令和2年度筑波大学附属図書館企画展
もう一度見たい名品 ~蔵出し一挙公開~

電子展示 もう一度見たい名品

平成19年度特別展

古地図の世界―世界図とその版木―

平成19年度特別展ポスター

会期:平成19年10月1日~10月26日

世界地図『重訂万国全図』の版木を中心に、『南瞻部州万国掌菓之図』や『大明京省九辺外国府州県路程図』など附属図書館が所蔵する古地図・和漢古書を公開し、様々な地図を通して、それぞれが作成された時代における人々の世界観・世界認識を紹介した。 本展示は、ほぼ原型のまま今日に伝わった地図の版木を公開したという点で非常に珍しいものである。

【平成19年度企画展公式Webサイト】


南瞻部州万国掌菓之図

(釈)浪華子製図并撰
[京] : 文台軒宇平, 宝永7 [1710] 【所蔵情報(電子資料あり)】

ヨーロッパ系世界図の伝来以降に作成された新型の仏教系世界図である。インドを示す南瞻部洲、その東部に中国、その東側の海上には日本が描かれ、伝統的な「三国世界観」を反映させていると同時に、 左上部にはヨーロッパ、日本の南には南アメリカが小さく配されており新知識も取り入れていることがわかる。(ネ040-348)

南瞻部州萬國掌菓之圖の写真

官板実測日本地図

[出版地不明] : 開成所, [1---] 【所蔵情報(電子資料あり)】

本図は、伊能忠敬が作成した実測日本図『大日本沿海輿地全図』(文政4・1821 年)の小図(いわゆる「伊能小図」)をもとに、幕府開成所から発行されたもの(官板)。「畿内 東海 東山 北陸」「山陰 山陽 南海 西海」「蝦夷諸島」「北蝦夷」の4 舗からなる。このうち「蝦夷諸島」の図は、伊能忠敬と間宮林蔵の測量結果にもとづいて描かれたものであり、 沿岸部のみならず内陸部にも詳細な地名が記載されているが、これは安政6(1859)年に刊行された松浦武四郎の『東西蝦夷山川地理取調図』によっている。我が国初の実測による刊行日本図である。(ネ040-652)

官板実測日本地図の写真

重訂万国全図

山路諧孝
[出版地不明] : [大学南校], [1871] 【所蔵情報(電子資料あり)】

1846 年に出版されたゲルマニア人の率(ソル)と半毒(ハンドトゲ)の合作図を元とし、フランス・イギリス・オランダで出版された地図も参考とした旨の記述がある。 安政2年版との主な相違点は、地名等の訂正と検索の便のための世界諸国の色わけの工夫であり、また安政2年版は木版筆彩であったが、明治4年版は木版色刷である。(ネ040-27)

重訂万国全図の写真

重訂万国全図[版木]

[東京] : 大学南校, 1871【所蔵情報】

この版木は、明治 4 年版『重訂万国全図』のものである。『重訂万国全図』は、『新訂万国全図』を安政 2(1855)年に天文方山路諧孝が改訂したものであるが、安政 2 年版『重訂万国全図』は、明治 4(1871)年にさらに大学南校によって改訂されており、 本図は幕末から明治初頭にかけての我が国を代表する世界図であったといえる。(290.38-J98 / 貴重書)

重訂万国全図[版木]の写真
平成21年度特別展

日光 描かれたご威光―東照宮のまつりと将軍の社参―

平成21年度特別展ポスター

会期:平成21年10月5日~10月30日

江戸幕府12代将軍徳川家慶の日光社参に際し、通行する日光道中での警備の様子を描いた『日光社参警固絵図』一八舗を中心に、世界遺産としても注目を集める日光に関係する所蔵資料を公開した。 一連の絵図は、前身校東京師範学校の時代に収集されたもので、徳川将軍の「ご威光」を示すだけでなく、周辺地域の歴史的景観・生活文化をも知ることができる貴重な絵図である。

【平成21年度特別展公式Webサイト】


房川船橋勤番繪圖 御成之節

[製作地不明] : [製作者不明], [1---] 【所蔵情報(電子資料あり)】

(日光御参詣警固絵図の内) 栗橋宿(埼玉県北葛飾郡栗橋町)と中田宿(茨城県古河市)の間を流れる利根川の房川渡には社参中、船橋が架けられた。 船橋とは、舟運(河川交通)用の高瀬船を綱で連結して両岸の大杭に固定し、その上に橋を渡したもの。家慶社参時の船橋は、高瀬船50艘をつなぎ、全長151間(約272メートル)となる巨大な橋で、評判になった。(ヨ150-161)

房川船橋勤番繪圖 御成之節の写真

房川船橋勤番繪圖 還御之節

[製作地不明] : [製作者不明], [1---]【所蔵情報(電子資料あり】

(日光御参詣警固絵図の内) 日光道中栗橋宿(埼玉県北葛飾郡栗橋町)と中田宿(茨城県古河市)の間を流れる利根川の房川渡には社参中、船橋が架けられた。(ヨ150-161)

房川船橋勤番繪圖 還御之節の写真

日光神橋勤番絵図 (天保十四夘年四月着御還御之節日光山神橋七ヶ所御番所百人組土岐下野守頭組勤番繪圖)

[製作地不明] : [製作者不明], [1---]【所蔵情報(電子資料あり)】

(日光御参詣警固絵図の内)  4月13日に江戸を出立した将軍家慶は16日に日光山へ到着し、以後18日まで本坊に滞在した。その日光山の入口である神橋付近の警固絵図。番所は細やかな指示のもと、常置される1か所に加え、計7か所が用意されていた。(ヨ150-164)

日光神橋勤番絵図の写真
平成22年度企画展

慈雲尊者と悉曇学―自筆本『法華陀羅尼略解』と「梵学津梁」の世界―

平成22年度企画展ポスター

会期:平成22年10月4日~10月29日

江戸時代中・後期、河内高貴寺を中心に活動した慈雲尊者飲光(1718-1804)は、学徳兼備の名僧と謳われる。このたび、彼の『法華陀羅尼略解』が本学所蔵の和装古書より発見され、筆跡・日付・記名から慈雲最晩年の自筆本であることが判明した。同時に、本学所蔵の『梵学津梁略詮阿字部』など2点も彼の直筆であることが確認された。 これらの自筆本とともに、慈雲の編著「梵学津梁」を構成する諸書を展示し、本邦悉曇学の足跡を辿った。

【平成22年度特別展公式Webサイト】


法華陀羅尼略解

[製作地不明] : 飲光 [自筆], 享和3 [1803] 【所蔵情報(電子資料あり)】

慈雲はほとんど必ず、梵字によるサインを記す習慣をもっており、本書には「カーシュヤパ」(飲光)と記されている。さらに巻末には「享和癸亥三月四日小子記」とあるが、これは享和3(1803)年、慈雲の没年の一年前に当たり、末尾には臘六十四/行年八十六と記されている。間違いなく慈雲の真筆である。 『法華陀羅尼略解』は、その筆写本も持たないいわゆる「孤本」であり、現在のところ筑波大学所蔵の慈雲直筆本しか存在しないものと思われる。(ハ320-59 / 貴重書)

法華陀羅尼略解の写真

梵学津梁 4巻4冊

[書写地不明] : [書写者不明], [書写年不明]【所蔵情報(電子資料あり)】

全4冊で1帙を成し、それぞれ36丁,45丁,41丁,21丁より成る。第3冊目「略詮阿字部 巻三」が慈雲の直筆である。 この『略詮阿字部』は、辞書冒頭に当たる部分の、慈雲自身による下書き原稿ということになり、きわめて貴重な価値を持つものと言える。(チ590-10 / 貴重書)

五十字門説 ; 警發地神偈の写真

五十字門説 ; 警發地神偈

[製作地不明] : 清原宣賢 [写], 永正11 [1514]【所蔵情報(電子資料あり)】

全26丁であり、第16丁まで慈雲の自筆である。この写本は合本であり、前半と後半に分かれる。後半部第24丁裏には「享和貮年次壬戌初夏摂陽大坂喜多之 大寶山万善寺写焉」とあり、 慈雲晩年の成立を見る前半部との合本になった経緯が関心を引く。(チ590-1 / 貴重書)

五十字門説 ; 警發地神偈の写真