大衆が長い時間をかけ育んだ文芸には、言語で表現される詩・小説・戯曲だけでなく、芸術・演劇・音楽など広い分野が含まれる。小説は書籍という形態をもち、時空間を越えた伝播が可能である。日本に伝わった書籍はどのように成立したのか、その流れを見る。
1 小説の史実と虚構性
『源氏物語』では「いづれの御時にか」と始まるが、中国の小説は虚構でも時代を明記する。三大奇書も『三国志』には三国時代(220-280) を記録した史書、陳寿著『三国志』があり、『西遊記』には唐代(618-907) 三蔵法師による天竺への取経旅行の見聞を書いた『大唐西域記』があり、『水滸伝』には宋代(960-1279)宋江を首領とする一団が帰順して異民族を討ったことを記録する『三朝北盟会編』があり、時代が特定されている。史実が伝承され、その過程で創作が加わり、物語として講談や芝居に登場する。テレビやラジオがなかった時代では街が三大奇書の原型を育んだ。張択端による『清明上河図』はそうした宋代の街の賑わいを伝える巻物である。
元代(1206-1368) には講釈師の手控や芝居の概要を読物風にして挿絵を文の上に添えた『至治新刊全相平話三国志』が出版され、『水滸伝』の原型『新刊宣和遺事』にはすでに36人の名が列挙され、『元曲選』所収の雑劇「梁山泊李逵負荊」「黒旋風双献功」などは後の刊行本の一場面に組み込まれている。『西遊記』にもやや時代は遡るが『大唐三蔵取経詩話』が祖本としてあり、朝鮮で編まれた中国語テキストにも『西遊記』の話が載っている。
3 刊行本と続書
明代(1368-1644) にはそれまでの物語を集大成したものとして、『三国志』では嘉靖本とされる『三国志通俗演義』があり、後の清代(1616-1911) には今日流布している定本が完成した。『水滸伝』では『水滸伝容与堂本』百回本、後に『水滸全伝』百二十回本ができ清代には七十回本が定本となった。『西遊記』では世徳堂『西遊記』が万暦年間に作られ後には『李卓吾先生批評西遊記』が読まれるようになった。また三国志と水滸伝が上下に配された『精鐫合刻三国水滸全伝』、別名『英雄譜』も今に伝わり、本学所蔵の貴重書になっている。集大成本がまとまると簡略や増補など各種の版本が生まれると同時に、物語の後日談として『後三国演義』『水滸後伝』『後西遊記』などの続書も生まれた。とりわけ『水滸後伝』は生き残った36人とその子孫の活躍を海外飛翔物語として描き、時代を反映した作品としての評価も高く、これも本学の貴重書となっている。木版や活版に比べ安く印刷できる石版印刷の伝来も清代である。『増像全図加批西遊記』には清代最後の「宣統」の年号が入っている。