トピックコーナー

「林泰輔と日本漢学(抜粋)」

館報『つくばね』 vol.23 no.2 より

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林 泰輔 (はやし たいすけ) 安政元(1854)〜大正11(1922)
 明治時代の漢学者。字は浩卿。号は進斎。千葉県香取郡常磐村(現多古町)に生まれる。東京大学古典講習科を卒業し、明治32年以来東京高等師範学校講師のち教授として漢籍を講じた。大きな業績として、殷墟出土の甲骨文字の研究があり、その分野の開拓者である。

林文庫
 東京高等師範学校教授林泰輔の旧蔵書1,903 点から成るコレクシ ョン。大正11(1922)年12月受入。林文庫は、ほとんどが我が国で書写された漢籍と和刻の漢籍であるが、元亀写本の論語集注ほか貴重なものが少なくない。


『論語集註』 
 零本(存巻一) 一冊 朱熹(宋)集註。元亀4(1573)年写。春永筆。
『論語集註』の図

 日本で書写された集註本最古の写本。本書に施されている訓点は桂庵点と称される訓点法によっており、訓点史上、経学史上において重要な研究資料である。

『論語抄』 
 零本(存巻七〜十) 二冊 [ 室町時代後期 - 江戸時代初期 ]写
 何晏集解の文明7年奥書本。経文には訓点を付す。巻末識語の末尾「文明七乙未仲冬上浣題」の後に、改行して「可耻々々、没蹤跡処」とある。この八文字は他の文明本にはない。

『論語集解』 
 五冊 [ 室町時代中期 ]写
『論語集解』正平版論語単跋本

 巻末に「堺浦道祐居士重新命工鏤梓 正平甲辰五月吉日謹誌」の識語をもつ、正平版論語単跋本の写本。印記に「円融印」「盛胤之印」とあり、天台宗円融印の梶井宮盛胤法親王の所蔵本であることを示す。

『論語抄』 
 九冊 [ 慶長・元和中(1596-1624) ]写。古活字版。
 第一冊に「船橋蔵書」の印記がある。「船橋」とは、博士家である清原家の流れを汲む、儒道を家業とし歴代天皇の侍読をつとめた家柄である。この「論語抄」について、林泰輔は、『論語年譜』に「論語抄の中に於て最も完備せしものの如くなれば、清家中にありても特に学識ありしものの作なるべし。」と記している。


漢籍の訓読
 中国の古典文である漢文を直接日本語として読んでしまう一種の訳語技法が訓読である。読み下しともいう。漢字に記号や文字を付して日本語的な読みを示すことは8世紀末頃から始まった。その読み方は当初は流動的であったらしいが、平安時代中期以後、博士家と呼ばれる特定の家ごとの訓読法が成立し、それが代々継承されていった。博士家の訓読法はそれぞれの家で秘説として伝えられ、家ごとに差異があり、互いに工夫を競った。
 これらは次第に交流・融合がおこり、僧侶や武士などに広まるにつれ新しい語法なども一部取り込まれ、室町末期ごろから博士家の訓読法に対して、朱子学の新注を採用した新しい訓読法を唱える学派も現れ、博士家の訓読法とも並存しつつ、次第に近世訓読法に展開した。



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Last updated: 2012/03/16