第4章 歴聖大儒像の評価

21. 鵞峰先生林学士文集 巻86

林鵞峰著 林鳳岡ほか編 元禄2(1689)年刊 文集120巻・目録2巻・詩集120巻・目録2巻・附自叙略譜1巻105冊【所蔵情報(電子資料あり)】

鵞峰先生林学士文集 巻86

 林家2代鵞峰の著作を集成した全文集。本資料は尾張藩校明倫堂の旧蔵書。巻86所収の寛文9(1669)年「狩野永納家伝画軸序」によれば、鵞峰の父林羅山は、江戸上野忍岡の邸内に孔子を祀る先聖殿(聖堂)を創建し、その文庫に「歴聖大儒像」の画幅を納めようとした。同じ藤原惺窩の門下で尾張藩主徳川義直に仕える堀杏庵の紹介で石清水八幡宮滝本坊の松花堂昭乗に制作を依頼したが、固辞され、代わりに昭乗が推挙する京狩野家2代山雪を頼ることとなった。完成した画幅は、釈奠時に聖堂の両廡(左右の脇廊)に並べ、観覧された。 (ル295-13/貴)


22. 羅山林先生文集 巻64

林羅山著 林恕(鵞峰)編 寛文2(1662)年刊 文集75巻・詩集75巻・目録3巻・附録5巻・60冊 【所蔵情報】

羅山林先生文集 巻64 左ページ 羅山林先生文集 巻64 右ページ

 徳川家康から4代の将軍に出仕した儒学者林羅山の著作を集成した全文集。本資料は陸奥磐城平藩主内藤義概(義泰、風虎)の旧蔵書。巻64に収録される「聖賢像軸」には、「歴聖大儒像」の画幅完成から4年後の寛永13(1636)年に、賛の揮毫を朝鮮通信使副使金世濂に懇望、実現した経緯が記される。壮年期の羅山は着賛することに禁欲的で、実際の賛も「古語幷びに旧賛を表出」した文言とされた。羅山は、儒学を深く理解する金世濂の賛を得たことにより、「歴聖大儒像」を「以て家珍とするに足る」と述べ、家の誇りとした。 (ル295-7)


23. 本朝画史 巻4・5

狩野永納撰 京 : 丸屋源兵衛 ; 吉野屋揔兵衛 元禄6(1693)刊 5巻5冊 【所蔵情報】

本朝画史 巻4・5

 狩野山雪の子、永納が亡父の草稿を整理して出版した書物。本資料は、近代の孔子祭典開催に尽力した東京文理科大学初代学長三宅米吉の旧蔵書。巻4所収の「人物画法序」には、狩野家の画法の工夫として「凡そ図像は、三教をもってこれに附す。故に衣紋の曲直、その威儀に従うなり」とあり、「歴聖大儒像」にも見られるように、衣紋表現が人物の特性を表現するときの肝要であると述べられている。巻5には画家の伝記が収められ、その中に松花堂昭乗の伝記がある。 (カ200-69)