第3章 歴聖大儒像への道

16. 賢儒図像扁額模本 右ノ1

松谷天来写 14枚 【所蔵情報(電子資料あり)】

賢儒図像扁額模本 右ノ1

 湯島聖堂の内陣を飾った先賢先儒89人を描いた扁額の模本(16枚中2枚欠)。扁額は、元禄元(1688)年、狩野益信(1625-1694)によって制作されたが、元禄16(1703)年の火災によって焼失。翌年の宝永元(1704)年には狩野常信(1636-1713)によって再制作された。その後、聖堂は二度火災に遭うが、この常信のものが被害を免れたかどうかは不明。本図は、この常信作の模本にあたると考えられる。
 各図裏には、朱文方印「松谷天来粉本之印」が捺されている。この「松谷天来」については、渡辺崋山(1793-1841)の次男である渡辺小華(1835-1887)にあたる説が提示されている。 (カ210-192)


17. 三才図絵 人物4巻

(明)王圻纂修 (明)男思義校正 万暦己酉(1609)序 106巻60冊 【所蔵情報】

三才図絵 先聖像 三才図絵 顔子像

 類書と呼ばれる百科事典。明の万暦35(1607)年完成。万暦37(1609)年刊。王圻とその次男の王思義による編纂。世に存在する様々な事象を14部門に分けて、絵を主体にして解説をほどこしている。このうち、「人物」の部には、「歴聖大儒像」に描かれた「三皇五帝」や「武王」、「孔子」、「周子」などの肖像が描かれている。狩野山雪は、この『三才図会』を粉本として、「孔子」と「四配」の顔貌を描き分けた。 (イ290-48)


18. 聖賢像賛 巻4

(明) 冠洋子撰 4巻2冊 【所蔵情報】

聖賢像賛 巻4 周子 聖賢像賛 巻4 朱子

 原本は、明代の万暦21(1593)年刊。本学所蔵本はその和刻本で、刊行年は不明。先聖について、それぞれ略歴、図像、賛文が記されている。本展には出品されないが、「歴聖大儒像」のうち文王像は、この『聖賢像賛』の原本を下敷きとしており、顎髭や頬髭の形状、目じりが上方に上がる切れ長の目、通天冠の表現などが共通している。山雪は、この『聖賢像賛』を手本としていた。 (タ740-7)


19. 宋史紀事本末論正 巻80

(明)馮琦 ; 陳邦瞻等原編 109巻(存92巻)25冊 【所蔵情報】

宋史紀事本末論正 巻80

 明末の官僚であった陳邦瞻(?-1623)によって編纂された宋朝の歴史書。紀事本末体と呼ばれる形式によって書かれており、各事件について完結的にその起承転結について年月日を追って叙述する体裁を採る。清朝中期の『四庫全書』編纂のおりにも正目に入れられ、後世、高い評価を得ている。
 紹定3(1230)年、理宗は自らの道統を保証するため、「道統十三賛」を作ったとする記事が見受けられる。後に画院祗候の馬麟は、その理宗「道統十三賛」に基づいた肖像画13幅を制作した。『羅山林先生文集』には、『宋史』に関する記事があり、羅山は、この「道統十三賛」を知っていた可能性がある。 (222.053-F51-22)


20. 晦庵先生朱文公文集 巻86

(宋)朱熹撰 四部叢刊 : 集部40 上海 : 商務印書館 100巻・目録2巻・続集11巻・別集10巻・50冊 【所蔵情報】

晦庵先生朱文公文集 巻86 左ページ 晦庵先生朱文公文集 巻86 右ページ

 南宋時代の儒学者である朱熹(1130-1200)の文集。明・嘉靖刊本影印版。朱熹の若年より晩年に至るまでの詩や封事、奏状、申請、跋文、祭文、墓表などを分類して、ほぼ年代順に収録されている。
 南宋時代の釈奠は、朱熹によって、孔子と四配、周子、程伯子、程叔子、張子、邵子の従祀があることが定められた。これにより「滄州精舎告先聖文」(巻86)にあるように「恭しく道統を惟う」と先聖の教えを伝える系統としての「道統」を保証したのである。 (イ350-94)