筑波大学附属図書館報「つくばね」
私の一冊    吉田 右子
すべての人に無料の図書館 : カーネギー図書館とアメリカ文化1890-1920年 / アビゲイル・A.ヴァンスリック著 ; 川崎良孝, 吉田右子, 佐橋恭子訳
(京都大学図書館情報学研究会) 〔図情 016.25-Sl〕
表紙写真  鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが19世紀末から20世紀初頭にかけて行った図書館への慈善事業は,アメリカの図書館史において最も重要な出来事である。全米各地のコミュニティに対して行った図書館建築のための継続的な寄附は,図書館での読書によって貧しさを克服した自らの体験に基づいていた。カーネギーの支援によりアメリカの公共図書館数は飛躍的に増加し,その数は1917年までに約1,700館に達している。本書はアメリカ人にとって古き良きコミュニティを思い出させるカーネギー図書館を建築に焦点を当てて描いたものである。カーネギー図書館の建築過程を詳細に分析するために挿入された写真や設計図によって,読者はこの本をまずアメリカ建築史の写真集として楽しむことができる。
 一方,本書は図書館研究の第一級の学術書としての側面を持つ。1970年代以降,図書館史研究において研究対象となる図書館に単に没入するのではなく,図書館を存立させている諸力の文化政治的構図を明らかにすることが求められるようになった。本書はこうした図書館研究の流れを汲み,図書館建築という領域から図書館および図書館専門職の本質を浮かび上がらせようとした労作である。
 特に図書館専門職の大部分を占めていた女性図書館員が,カーネギー図書館という職場とどのように関わっていたのかという問題に対して,多くの議論が費やされている。当時の女性図書館員は専門教育を受けたプロフェッショナルであったにもかかわらず,男性図書館員の下で補佐的な仕事に従事せざるをえない立場にあった。初期アメリカ公共図書館における女性図書館員の位置づけは,図書館史ジェンダー研究の中で問題化され解明が進んでいる。本書に収録された女性図書館員の勤務日誌や活動の克明な記述は,当時の女性図書館職員の置かれていた状況や意見を知るための貴重な記録として,この研究領域に貢献している。
 しかし本書はそれだけにとどまらず,カーネギー図書館という職場の物理的枠組みを徹底的に分析することで,図書館史研究の新たな領野を切り開いているように思える。というのも,図書館の中核的存在であった女性図書館員が,図書館専門職のために設計されたカーネギーの図書館を実は息苦しく感じ,専門職の証でもあった場所から出て,図書館の外の世界に自らの仕事を開拓していったことが明らかにされているからである。ポジティブな裏切りとでもいうべき女性図書館員のあらたな活動局面を,鮮やかに浮かび上がらせたことが本書の最大の成果なのである。
 本書にはジェンダーを中心とした抗争以外にも,地理的観点,階級的観点から導かれた文化的差異が示されている。本文中に仕掛けられた複数の対立的枠組みは,図書館および図書館研究の可能性としてとらえるべきであろう。


(よしだ・ゆうこ 図書館情報メディア研究科助教授)
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