筑波大学附属図書館報「つくばね」
古地図画像データベースの公開について
篠塚富士男

<はじめに>
 このたび図書館では古地図画像データベースを公開しました。
 このデータベースは,平成16年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)をベースに作成しましたが,この科研費は「近世文書・古地図の書誌情報及び画像情報データベース」の作成のために交付されたものです。
 科研費の「近世文書・古地図」という二つのテーマのうち,近世文書については,本学所蔵の昌平坂学問所関係文書の中から林家中興の祖といわれる林大学頭家第8代・林述斎(1768・明和5〜1841・天保12)と昌平坂学問所儒官にもなった江戸後期の儒学者佐藤一斎(1772・安永1〜1859・安政6)の書簡を中心に180件余りの文書をデジタル化しました。この昌平坂学問所関係のデータベースについては別の機会にご紹介することとし,本稿では科研費のもう一つのテーマである古地図画像データベースについてご紹介します。

 古地図という言葉は一般によく使われますが,その定義は必ずしも明確ではなく,古地図を研究対象とする学問分野によっても微妙な違いがあります。今回のデータベース化にあたっては,古地図を「近代的測量ならびに印刷術普及以前に作成された地図」と定義し,具体的には近世に作成された一枚ものの地図を主たる収録対象としました。したがって冊子体になっている地図(地図帳形式のもの)や書籍の中の折込図・挿図,あるいは城郭図や寺社境内図のような限られた領域を示す絵画的表現の地図(絵図)は対象からはずしましたが,実際には判断に迷うものも多く,この原則を厳密に適用できたわけではありません。今回公開したデータベースには約70件・100種余の高精細画像を収録していますが,まだまだ追加すべき古地図は多いので,今後は絵図的なものにも範囲を広げて継続してデジタル化し,古地図・絵図データベースの一層の充実をはかる予定です。

 なお、当館所蔵の古地図については,館報『つくばね』の「シリーズ・資料探訪」において,小野寺淳地球科学系講師(現・茨城大学教育学部教授)により「筑波大学所蔵の古地図」と題して16巻4号(1991年3月)から18巻4号(1993年3月)までの間,7回にわたって紹介されていますのであわせてご参照ください。

 また,当館では電子図書館の重要なコンテンツの一つとして貴重書を高精細画像で公開してきましたが,従来は基本的にFlashPixという画像フォーマットを利用して公開していました。これに対し,今回はiPallet/Limeというビューアを利用して公開しています。このiPallet/Limeは,東京大学大学院情報学環歴史情報論研究室堀内カラーイパレットの三者からなるグループが開発したiPalletnexusという画像閲覧ソフトウェアが基になっていますが,このiPalletnexusは南葵文庫国絵図(東京大学附属図書館)のデジタル化プロジェクトを契機に開発されたものであり,そうした経緯からも大型の地図の閲覧に適したビューアであるといえるでしょう。
 それでは今回公開した古地図の中から何点かご紹介しましょう。
南瞻部州萬國掌菓之圖(なんせんぶしゅうばんこくしょうかのず)>
宝永7(1710)年刊,浪華子(鳳潭)製図并撰,文臺軒宇平蔵版
 本図は,京都の華厳寺を開いた学僧鳳潭(ほうたん・1654・承応3〜1728・享保13)によって描かれたもので,わが国の仏教系世界図の中では,初めて木版刷りで刊行された図です。
 南瞻部洲とは,仏教の宇宙観では世界の中心にそびえる須弥山の南方にあるとされる大陸で,いわゆる人間世界を指すものですが,中央に中天竺,周囲に東西南北の四つの天竺が配されており,こうした教義上の考え方によって「五天竺図」(わが国で現存最古の「五天竺図」は法隆寺に伝わる貞治3(1364)年のもの)と呼ばれる地図が作られました。
 本図はこうした五天竺図に西洋式世界図の情報を部分的に取り入れて作られており,南瞻部洲の形はインド半島を連想させる伝統的な三角形で描かれていますが,絵図の左上には「イタリヤ」「阿蘭陀」「エウロパ」等のヨーロッパ関係の表記があり,右上には図面からはみ出すような形で陸続きの別の大陸(アメリカ大陸)があるかのように描かれています。また絵図右側の中国・朝鮮半島・日本の表記は非常に詳細で,仏教系世界図といえどもこの地図が刊行された近世中期という時代の知識を反映したものとなっています。
官板実測日本地図(かんぱんじっそくにほんちず)>
慶応3(1867)年刊,(伊能忠敬作製),開成所
 本図は,伊能忠敬が作製した実測日本図「大日本沿海輿地全図」(文政4・1821)の小図(いわゆる「伊能小図」)をもとに,幕府開成所から発行されたもの(官板)です。「畿内 東海 東山 北陸」「山陰 山陽 南海 西海」「蝦夷諸島」「北蝦夷」の4舗からなりますが,ここに掲載しているのは「蝦夷諸島」の図で,伊能忠敬と間宮林蔵の測量結果にもとづいて描かれたものです。また本図には,沿岸部のみならず内陸部にも詳細な地名が記載されていますが,これは安政6(1859)年に刊行された松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」(本図は26枚の図からなりますが,本学ではそのうちの13枚(那珂通世旧蔵)を所蔵しており,古地図画像データベースにも収録しています)によっています。
 なお,参考として左に掲げた図は,この本学所蔵の「東西蝦夷山川地理取調圖」のうちの「従東アッケシ領ヒハセイ,ノッシャフ岬 到子モロ領チニシヘツ 併クナシリ西崖」の図で,現在の根室半島,野付崎,および国後島の一部を描くものですが,非常に詳細な地名が記載されていることがよくわかります。

東輿図(とうよず)>
(記載されている地名等は1795〜1800年当時のもの),彩色筆写本
 本図は,17帖からなる彩色筆写本朝鮮全図で,ここに掲げたものは左端に白頭山を含む図です。
 朝鮮時代(1392〜1910)後期に作成された朝鮮全図として韓国で最もよく知られている『大東輿地図』は,1861年に金正浩によって作成され,木版印刷で刊行されました。縮尺はおよそ1:166000で,地図全体が22帖に分かれていますが,それを全部つなぎあわせると縦6.6メートル,横2.2メートルほどの巨大な朝鮮半島全図になります。
 『東輿図』は,この『大東輿地図』に先行して金正浩によって作成されたものとする説があり,本学所蔵の『東輿図』も,その構成等において『大東輿地図』と類似するところがあります。しかし,一方ではこれまで知られていた『東輿図』とは異なった形式のものであり,年代についても記載されている地名から1795〜1800年という古い時期の内容であることがわかっており,さらなる調査研究が必要な貴重な地図といえるでしょう。
 なお,本図については楊普景・渋谷鎮明「日本に所蔵される19世紀朝鮮全図に関する書誌学的研究:『大東輿地図』および関連地図を中心に」(『歴史地理学』45巻4号所収,2003年9月)の研究成果により記述しました。
往昔越後國之圖(おうせきえちごのくにのず)>>
元治元(1864)年,藤原嘉長写
 本図は,いわゆる歴史図に相当するもので,右端にこの図の伝来について,「寛治3(1089)年7月に源頼綱の家臣である三郎兵衛信慶がかいた越後国邑志にあるもので,文政10(1827)年まで709年になる」という意味の記述がまずあり,それに続いて朱書きで「この図は越後三島郡前島村の託念寺の先代の廓証が写し置いた絵を借りて,元治元(1864)年6月に藤原嘉長が写した」旨の記述があります。
 すなわちこの図は,寛治3年成立の原図を文政10年に写し,さらにこれを元治元年に藤原嘉長が写した,ということになるのですが,書かれている地名から,この図は寛治年間の作成ではなく,後世の偽作であるといわれています。しかし,絵図中央に半島状に突き出た部分に「寛治6(1092)年に大波で打ち崩れ,また海となる」旨の記述もあり,本図と同じ「寛治図」を所蔵している新潟県立図書館の解説にもあるように「偽図と言うより,江戸時代の人が昔の越後を想像して描いたもの」である,という性格の地図として興味深いものです。
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩圖(こうかていびなつしがつじゅうさんにち しんしゅうさいがわほうげきろくぐんひょうとうのず)>
出版地・出版者不明,(弘化丁未は弘化4・1847年),木版色刷
 本図は,弘化4(1847)年3月24日(太陽暦では5月8日)に発生した善光寺地震(マグニチュード7.4程度と推定)の20日後(4月13日・太陽暦では5月28日)に発生した善光寺平の大洪水の被害を示す災害図と呼ばれる種類の図です。
 善光寺地震では,地震そのものによる家屋の倒壊といった一次災害の他に,火災や地すべり,山崩れ等の二次災害やそれらによって引き起こされる三次災害が発生しましたが,その中でも犀川の大洪水では北信濃一帯に被害がありました。本図はその様子をまざまざと伝えるもので,水流に没した村々の名前を見ていくだけでも,いかに大きな災害であったかが強く印象づけられる図といえるでしょう。




(しのづか・ふじお 情報管理課課長補佐)
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