筑波大学附属図書館報「つくばね」
図書館ボランティアを経験して
高田 定司
 終戦後日本の再興と自分自身の人生再出発を図って大学で化学を勉強した。当時軍関係学校の卒業者は公職追放の身分だったので,卒業後民間の化学会社に入った。小生にとって,戦前・戦中は第一の人生で,戦後の化学会社勤めは第二の人生。夫々に人生の目的があり,仲間や社会があり,それなりに達成感や生甲斐を味わった。永年世話になった化学会社とは定年とともに離れた。これで会社とのしがらみから解き放たれ待望の自由の身となった。小生にとってはいわば第三の人生であった。やがて縁あってつくば市に住むことになったものの,そこにはかつての仲間も会社もない。筑波大学をはじめとして多くの国立・民間研究所が立ち並ぶ学園都市は定年を遥かに過ぎた無位無官の小生には縁のないものだった。でも人生の大半関わりを持った化学または科学に関連した面でこの地域社会と接触を持ちたい,奉仕したいという願望があった。平成9年のはじめころ,筑波大学附属図書館で図書館ボランティアを募集していることを知り,「生涯学習」の言葉に魅せられ,早速応募,幸いにも採用して頂いた。
 平成9年3月一週間ばかりのオリエンテーションを受け,4月から早速本番の勤務。中央図書館のボランティアカウンターに先輩ボランティアとともに座ったものの僅か一週間のオリエンテーションで図書館の全貌を理解できるわけが無い。当然ながら最初は戸惑いや失敗の連続だった。しかしこれで学生や一般の利用者にいささかながらお手伝いが出来る喜びを覚えた。
 何処となく漂ってくるかび臭い本の匂いはアカデミックな雰囲気を呼びおこしてくれる。しかし学生時代(終戦後2〜3年の頃)の大学図書館しか知らない小生にとって筑波大学の開架式図書館は大変新鮮なものだった。240万冊に近い蔵書と約2万2千タイトルの雑誌が中央図書館と体芸,医学,図書館情報学,大塚の各図書館に整然と並んでいる。しかも利用者は自由にアクセス出来るのである。これはなんとも素晴らしいと思った。
 かつて,国会図書館や日本科学技術情報センターなどで本や文献の調査をしたことがあったが,資料名を請求伝票に書き込んで職員に探して貰う閉架方式だった。時には目的とする資料とは内容が違っていたり,製本中,貸し出し中だったりして徒労に終ることもしばしば。筑波大学は開学以来蔵書目録の電子化を進めその電子化率は国立大学の図書館の中では最高であると聞いている。蔵書の集中保管,開架方式と高い電子化率の環境下で大学の教職員や学生などに平等な利用の機会を提供している。平成10年の電子図書館システム導入により,蔵書目録のWWW版OPACも改善され,その結果,図書館機能の利便性はおおいに高まった。前述のようなすれ違い問題は少なくなった。しかしこれでも万全とは言えない。図書館ボランティアは利用者(学生,留学生,外来者)から質問や要請があれば一緒に資料を探すなどいろいろな手伝いをしている。視覚障害者への対面朗読のサービスも行っている。
 開架式図書館では,蔵書などの資料が分類通り配列され,維持されていなければその機能を発揮することは出来ない。このため本図書館はシェルフリーディングに大変な努力を払っている。大変地味な作業である。図書館ボランティアもこのシェルフリーディングの一翼を担っている。昨年の秋,アメリカの留学生が整然とした書架を見て,彼は自分の母校の図書館はとてもこれに及ばないと感心していた。図書館ボランティア達の地味な活動の成果が伝わっている!と,ちょっと嬉しい気持ちになった。
 図書館ボランティア活動発足以来10年を経過し,お陰で我々の活動はその環境の中になんとか収まり,それなりに図書館運営のお手伝いの面で成果をあげられるようになって来たと思う。また生涯学習と言う面からは,自主研修や文化紹介活動などを通じての相互の研鑚で成果をあげていると思う。図書館側で準備して下さる講演会,学内研修,学外研修は我々ボランティアにとって楽しみであり図書館ボランティア間の融和,帰属意識の向上,生涯学習に役立っていると信ずる。小生もボランティアカウンターで利用者と対話したり,共に資料を探したり,図書館案内するなど,ささやかながら社会へのお返しをし,かつボランティア活動を楽しんでいる。ときには蔵書を借りたり,文献を読んだり自らへの学習も抜け目なく。気長に見守って下さった図書館の職員の皆さんに感謝。
(たかだ・さだじ 附属図書館ボランティア)
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