電子展示

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第4部 源氏物語の世界

 『源氏物語』のビジュアル化は、一説によれば物語成立直後からはじまったとされ、描き続けられた「源氏絵」は、現存するものだけでもかなりの数にのぼる。浮世絵における「源氏絵」とは、柳亭種彦作・歌川国貞画の『偐紫田舎源氏』の挿絵をはじめとする。 源氏絵を大きく分けると、『源氏物語』の各場面を伝統的に描いた錦絵として独立させたものと、各場面を「遊び心」(創意)をもって描いたものの二つになる。
 伝統的な描き方は、ほぼ定型化しているため、浮世絵師それぞれの画風は出るものの、定型化されたものの描き方の工夫は微妙なところにしかあらわれにくい。
 それに対して後者は、浮世絵を購入するなどして楽しむ人を対象とするため、一般教養化しているもの、日常的にあるものがとりあげられたりした。たとえば、平安時代にはなかった謡、歌舞伎といった芸能をとりいれて国貞は源氏絵を描いた。こうした芸能は、今日では、知る人よりも知らない人の方が多いが、江戸時代、国貞の浮世絵を購入する人などには常識的なことであったので、その遊び心を楽しめたのである。
 第4部では『紫式部源氏かるた』の、特に近世的なオリジナリティのあるものを核とし、伝統的画風の『源氏香の圖』と比較する。今回の展示では、『源氏物語』の巻順にそってではなく、その「遊び心」が目立つものをとりあげ、別のストーリーを立て紹介する事とした。無制限とはいかないので、異類物を取り入れた「夕顔」(幽霊)「蜻蛉」(鷺娘)「幻」(宇宙人かぐや姫)、人気芸能物を取り入れた「紅葉賀」「須磨」「松風」、ペットを飼う女性の衣装に注目して「若菜」「若紫」、衣装のない女性を描いた「葵」を取り上げ、最後は、展示をご覧いただいた方々のご多幸を願って、ハッピーエンド仕立ての「夢浮橋」としている。

夕顔(ゆうがお)

〈光源氏は、惟光(これみつ)のはからいで、夕顔のもとに通いはじめる。夕顔は、光源氏が連れ出した荒廃した屋敷で、物の怪にとりつかれて死んでしまう。〉
 伝統的な源氏絵では、夕顔の花を載せた扇を手渡す場面が描かれることが大半である。したがって、簡略化して「夕顔の花を載せた扇」を描くだけで、「夕顔」巻と理解された。夏の夕方に咲き、朝にしぼむ夕顔の花は、はかないヒロイン「夕顔」を象徴している。
 国貞は、物の怪に取り殺される夕顔に注目し、今日も三大怪談の一つとしてしばしば上演される「牡丹灯籠」を用いた。「牡丹灯籠」によって物の怪を表現し、着物の模様が「夕顔の花」であることによって夕顔を表現している。

国貞画『紫式部源氏かるた』夕がほ
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』夕顔
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』夕顔
(個人蔵)


蜻蛉(かげろう)

〈浮舟が失踪し、遺骸のないまま葬儀が行われる。薫も匂宮も、悲しみに暮れる。入水した浮舟を、横川の僧都が発見、加持祈祷により物の怪が調伏され、浮舟は息をふきかえす〉
 伝統的な源氏絵では、蜻蛉を見ながら、死んだ(実は生きている)浮舟を思い、悲しみに浸る薫が描かれることが多い。「蜻蛉」は、成虫の寿命がとても短く、はかないものの比喩にしばしば用いられる。『源氏物語』でも、その虫のことで、浮舟を蜻蛉のようにはかない生涯としたのである。ところが「蜻蛉」は、トンボを意味することがあった。したがって、悲しみに暮れる薫が見ている虫は、トンボで描かれることが多い。
 国貞は、蜻蛉を鷺に見立て、恋に悩む女の舞踏「鷺娘」を用いた。「入水」から川、「浮舟」から筏、「よみがえる」から反魂香、といろいろと知識をちりばめている。

国貞画『紫式部源氏かるた』かげろふ
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』蜻蛉
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』蜻蛉
(個人蔵)


幻(まぼろし)

〈最愛の女性紫上に先立たれた光源氏は、紫上のありし日をしのびながら、出家を決意する。〉
 伝統的な源氏絵では、紫の上をしのび、大空をながめている光源氏が描かれることが多い。
 国貞は、「かぐや姫」(竹取物語)を用いた。紫上は、8月14日の明け方に死に、15日の暁に火葬され、煙となって昇天する。火葬の日は、中秋の名月の日である。これを、かぐや姫が月に帰る場面と重ね合わせたのである。雲に乗る女性は、髪を短めに切ってたばねているので、出家した紫上をあらわしている。こちらに向かっているようにも見えるが、あの世に往く場面を描いている。

国貞画『紫式部源氏かるた』まぼろし
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』幻
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』幻
(個人蔵)


紅葉賀(もみじのが)

〈桐壺帝が朱雀院にいらっしゃるにのに先だち試楽(しがく)が催された。光源氏は頭中将と青海波を舞う。〉
 伝統的源氏絵では、菊を挿した光源氏と紅葉を挿した頭中将が「青海波」を舞う場面が描かれている。
 国貞は、能や歌舞伎で知られる「紅葉狩」を用いた。高貴な女性ら(実は鬼)が紅葉を鑑賞し宴会を催していた酒席に、鹿狩りにきた平維茂(これもち)が通りかかり、女たちが勧める酒を飲み、酔い伏す。その後、目覚めた維茂が、襲いかかってきた鬼を退治したという話である。「青海波」という舞いを、「紅葉賀」という巻名に関連深い「紅葉狩」としたところが、国貞の遊び心である。

国貞画『紫式部源氏かるた』紅葉の賀
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』紅葉賀
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』紅葉賀
(個人蔵)


須磨(すま)

〈都での自分の立場がよくないことを察して、光源氏はわずかなお供とともに須磨にくだった。〉
 伝統的な源氏絵では、須磨の海をながめて、都を思いやる光源氏が描かれることが多い。須磨であることをあらわすために、千鳥がそえられることも多い。
 国貞は、松風・村雨伝説を用いた。松風・村雨伝説とは、在原業平の兄である行平が、わけあって須磨に蟄居させられ、そこで松風・村雨という美しい姉妹と恋人関係になったという伝説であり、能などになっている。須磨をあらわすために千鳥が大きく描かれ、松風・村雨姉妹が漁をする女性であることを、盥いっぱいの魚であらわしている。

国貞画『紫式部源氏かるた』須磨
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』須磨
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』須磨
(個人蔵)


松風(まつかぜ)

〈二条院の東院が造営されたので、光源氏は明石上とその娘に上京をすすめ、明石上は、まず大堰川のほとりの邸宅にうつる。〉
 伝統的な源氏絵では、父親の建てた大堰川ぞいの邸宅が描かれる。明石上は琴が上手で、邸宅で奏でる。本来、松の木吹く風の音は、さわやかなものとされ、さらには琴の音に似通うものともされた。
その「松風」を国貞は大きくひねり、「須磨」巻に引き続き、松風・村雨姉妹を描く。能の「松風」で、諸国をめぐる僧侶が弔った墓とは、海辺にある、いわくありげな松であり、それは松風・村雨のものであった、という話をふまえている。琴の音色に聞こえるさわやかな風が、墓に吹く、かなしい風に転換されているのである。


国貞画『紫式部源氏かるた』松風
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』松風
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』松の風
(個人蔵)


若紫(わかむらさき)

〈わらわ病の加持のため、北山の聖を訪れたさい、光源氏は、近所の小さな庵室で、美しい少女紫上を見いだす。〉
 伝統的な源氏絵では、紫上の飼っていた雀を逃がしたとさわがしいところを、のぞき見る光源氏が描かれる。この巻と理解されるために雀が描かれる。
 国貞は、少女の紫上を、遊郭でつとめる大人の女性として描いたところが「遊び心」である。そして「雀が逃げた」のではなく、放生会のように籠から「雀を逃がしてやった」場面を描いている。また、伝統的な源氏絵では、のぞき見する光源氏は、手前に描かれるが、国貞は、画面の奥に小さく描いている。こうしたところも国貞の工夫である。

国貞画『紫式部源氏かるた』若紫
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』若紫
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』若紫
(個人蔵)


若菜上(わかなじょう)

〈柏木は、六条院で行われた蹴鞠の会で女三宮を垣間見るとともに、恋に落ちてしまう。〉
 『源氏物語』を題材とする絵像で、かなりの高い頻度で絵像化されたのが、柏木が女三宮を見初める場面である。伝統的な源氏絵も例外ではない。女三宮の飼い猫が室外に出る際に、御簾をもちあげてしまい、蹴鞠をしていた柏木が、女三宮をみる。蹴鞠、猫の絵によってこの場面と認識できるように描かれる。
 国貞もこの場面を内容通りに描いているが、猫が片足のあげている様など、いかにも遊び心がある。
 なおこの場面、源氏絵ではずされることはないのだが、描かれる巻が異なることがあるのは、いろいろと絵になることが多い関係からである。国貞のこの絵、実は「柏木」巻のものである。

国貞画『紫式部源氏かるた』かしわ木
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』若菜下
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』若菜下
(個人蔵)


葵(あおい)

〈賀茂の御禊の日に、見物に来ていた葵上と六条御息所の車が争い、六条御息所は辱めをうけ、六条御息所の生き霊にとりつかれた葵上は、光源氏の子(薫)を生んで急死する。〉
 伝統的な源氏絵では、葵上と六条御息所の車の争いが描かれる。葵の葉で作成した飾りを「葵かつら」といって、賀茂のお祭りには、参列者や見物人が頭にさしたり、牛車のすだれに付けたりした。
 国貞は、葵上が体を拭いてもらっている場面を描いている。盥に手をついて、体を拭く場面は、こうしたシリーズものによく用いられている。一枚物でも、こうした場面を描いたものが少なくない。よほど好まれたものなのであろう。「サービスプリント」といってよいのかもしれない。

国貞画『紫式部源氏かるた』あふひ
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』葵
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』葵
(個人蔵)


夢浮橋(ゆめのうきはし)

〈薫は、横川僧都に会い、浮舟の生存を確認するが、浮舟に会わせてはくれなかった。〉
 伝統的な源氏絵では、浮舟が、薫からの手紙を持った尼君に会う場面や、薫が横川僧都と話し合っている場面が描かれることが多い。
 『源氏物語』の最終巻である「夢の浮橋」巻の内容は、決して明るく楽しい内容ではない。ところが国貞は、右に蓬莱の台、左に宝船を描いており、実にめでたい絵になっている。国貞の『今源氏錦絵合』でも、「浮舟」巻で「宝船」が描かれている。「浮舟」巻という巻名からの連想であろう。ハッピーエンドを求めたという時代背景を考えなくては、理解しがたい絵である。付け加えて言えば、『源氏物語』は嫁入りのときに持参する本でもあった。


国貞画『紫式部源氏かるた』夢の浮はし
所蔵情報(全文あり)
豊国画『源氏香の圖』夢浮橋
所蔵情報(全文あり)
月耕画『源氏五十四帖』夢浮橋
(個人蔵)