電子展示

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第3部 紫式部像

『源氏物語』関連知識として、外すことのできなかったのが、その作者紫式部である。庶民向け刊行物では、『源氏物語』が、どのように著されることになったのか、という知識が第一に提供され、余裕があれば、それを著した紫式部のすぐれた才能についての知識が提供される。
 紫式部の絵像は、月夜に石山寺で執筆している姿で描かれる、というのが原則である。これは、『源氏物語』は、紫式部が、石山寺の一室で、琵琶湖に浮かぶ月をみて着想を得た、という『石山寺縁起絵巻』の話をもとにしている。庶民向け刊行物で、古典文学などがとりあげられる場合、その作者についても記されたり、作者像が掲載されたりすることが多く、『源氏物語』も例外ではない。その絵像は、絵師によって工夫がなされ、立って月を見ている立像もあれば、文机を前にして座っている座像もある。色刷の絵であれば、琵琶湖に浮かぶ月を描いてもわかりやすいが、黒い線だけで描かれた場合はわかりにくいため、版本に掲載されたものでは、空にうかぶ月をながめている姿が多く描かれた。
 『石山寺縁起絵巻』をもとにした紫式部像が一般にも知れ渡るようになると、絵師たちは「遊び心」をもった紫式部像を描くようになる。これらは、特に明記していなくても、紫式部だと理解できる人たちが、絵師たちの「遊び心」を楽しめたのである。
第3部では、『源氏物語』の作者として、多くの絵師によって知識化された「紫式部像」 を紹介する。

  

石山寺源氏閒紫式部影讃

(個人蔵)
全紙に木版刷りされた、いわば「所蔵品パンフレット」である。紫式部像が右側に描かれ、『源氏物語』を執筆するにあたって使用された硯の絵が左側に描かれる。現在でも石山寺には「源氏の間」があり、はじめて石山寺を訪れた人のほとんどが拝観する。仏教的立場からすれば、「真如の月」をみて物語を書き始めた、ということが大切なので、「源氏閒」と門構えの中は「月」であり、硯の形も満月のように丸い。
  

紫式部源語ヲ艸スル図

(個人蔵)
紫式部が「才女」であると認識されていたからこそ制作された浮世絵。「勉強は幸福の母たり」という標語の内容からして、江戸時代のものではない。「は」と「り」が、変体仮名で書かれているので第二次世界大戦前に制作されたもの。明るいので、「太陽」にみえるかもしれないが、「月」である。「月」には「雁」がつきものであり、この絵には「雁」が描かれているので太陽ではなく月である。
  

『雪月花』 近江 石山 秋の月 紫式部

(個人蔵)
近代を代表する浮世絵師楊州周延(1838-1912)の作である。上部に風景、下部に美人が描かれている。周延は、「月」というテーマで、紫式部が石山寺でみた月を描いた。立像で描かれていることから、『源氏物語』を著したことよりも、月をみたことを重視したということがうかがわれる。この作品は「雪月花」のうちの一点である。
  

『紫式部一代話 根源実紫』 八編 紫女閑室に源語を綴る所

(個人蔵)
笠亭仙果(1804-1868)の作である。紫式部の生涯を物語化した草双紙で、売れなければ続編は刊行されないので、八編までは順調に売れていたと考えられる。歴史上の人物として紫式部に関心を持つ者が多かったのかもしれない。その絵に描かれた紫式部像は、髪の毛が束ねられ、いかにも江戸時代風である。ちなみに絵師は梅蝶楼国貞(二代目歌川国貞)である。
  

昭和二年朝日カレンダー(其四)

(個人蔵)
昨今でも、カレンダーの絵柄に浮世絵が用いられることがあるが、それはいまから90年前でも同様であった。歌川広重と歌川国貞の合作『風流源氏』を用いて作成されたものである。そのままでも十分に美人画として鑑賞できるが、紫式部像の伝統を踏まえ、美人、文机、月、水辺が描かれている、ということがわかると、さらに楽しめる。カレンダー部分は、現在と比較すると興味深いものがある。