
刀剣といえば,現在では武器として実用のものではないが,今日でも神社のご神体として大切に祀られ,また三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の一つとして天皇の位が継承される際に儀礼的に譲渡されている。そしてかつては言うまでもなく主要な武器であった。刀剣は武的実用性のみならず,信仰・宗教の世界や,皇位継承といった社会制度に係る領域にまで,実に広範囲にわたって神聖なものとして取り扱われてきた。本書は,こういった日本人の刀剣に対する思いを,精神文化史の問題として解き明かしたものである。
この研究の動機は,実は剣道の文化性にある。幼少より剣道の実技をする中で,その技術観の中核に刀剣を一種神聖視するような観念があるのではないか,というのが出発点である。
調べてみると,その背後にはとてつもなく壮大な精神文化史があった。古代から近世までの刀剣観を考える上で,特にそのルーツを古代朝鮮さらには春秋時代の中国にまで追い求め,東アジアを舞台とした刀剣に係る精神史を明らかにすることに努めた。大まかな流れは以下のようになっている。
第一章 古代中国・朝鮮における刀剣観について
第二章 古代日本における刀剣文化受容の様相
第三章 宗教に関わる刀剣観
第四章 三種の神器にみられる刀剣
第五章 近世剣術における刀剣観
冒頭紹介したように,刀剣を神聖視するような観念は広範囲にわたって窺えるが,概ね潜在意識の層・共通理解の層・現実の活動の層の三層構造をなしている。各々の層において刀剣は象徴として機能しており,多くの場合この観念は下の層に依拠する形で成り立っている。具体的な例をあげると,三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)は,皇位の象徴であるが(共通理解の層),この剣の神聖性の拠りどころは,同時に熱田神宮において神の象徴として祀られていることにある(潜在意識の層)。このように各層が有機的に連繋しているところに日本的な特徴がある。こういったシステムは,古代中国や朝鮮にはみられない。
もう一つこの研究での大きな発見は,片刃の刀ではなく両刃の剣を特に神聖視するような「剣の観念」とでもいうべきものが,東アジアの中での普遍的な流れとしてあったということである。こういった考え方は,現代剣道にも受け継がれている。
剣道という一つの身体運動の背後に,かくも壮大な精神文化史が存在していた。日本の運動文化における独自性にもつながる部分ではないかと自負している。
尚,本書は,筑波大学より平成14年3月に博士(体育科学)の学位を授与された論考に,加筆修正を施したものである。基本的に論旨に変わりはない。