筑波大学附属図書館報「つくばね」
私の一冊    掛谷 英紀
学問とは何か:専門家・メディア・科学技術の倫理
(大学教育出版)〔中央 002-Ka24〕
表紙写真  工学分野で技術者倫理が盛んに論じられるようになっている。しかし,そこでの議論に何か白けたものを感じているのは私だけではないはずだ。間違った報道をしても何の責任も取らないマスメディア,特定の利権に有利な結論を導くために調査結果に手心を加える人文・社会科学者などを見れば分かるように,倫理の崩壊は社会全体で進行している。その中で,技術者倫理や医師の倫理など,特定の職業人の倫理だけが重く問われるというアンバランスに感づいている人は少なくないだろう。
 そもそも,倫理とはある集団がその集団内に課す規範である。しかし,現実には,ある集団が別の集団に課す規範として倫理という言葉が使われることが多い。技術者や医師への倫理規範も,主にジャーナリストや人文・社会科学者によって迫られる。しかし,彼ら自身が,それに見合う倫理規範を守っていないのであるから,彼らの言葉が技術者や医師の心を動かすことは到底できない。
 そこで,本書は,文系・理系を問わず,学問に関わる全ての専門職業人に共通する倫理規範を確立し,その倫理を実践するための社会的仕組みを提案することを試みる。そのためには,まず学問とは何かを定義する必要がある。学問とは何か?こう学生に聞かれたら,皆さんはどう答えるか?難しい言葉を並べ立ててごまかすことはできるかもしれないが,多くの学生に納得のいく回答であるためには,その回答が正しい学説とそうでない学説を区別する何らかの基準を与えることが必要だろう。
 もちろん,これは既にポパー派とクーン派の間で長く争われてきた問題である。多くの社会学者はクーンを支持し,それが相対主義的価値観の隆盛に繋がっている。しかし,彼らはクーンを支持しつつも,実践レベルの科学技術に対しては客観主義や実証主義を求める。でなければ,彼らは科学技術に倫理を問うことができない。このダブルスタンダードが,現在の専門職業人に課せられる倫理に大きな捻じれを生じさせている。われわれは,この捻じれを解消するところからまず始めなければならない。
 なぜ地動説が正しくて,天動説が間違いなのか?その根拠は惑星の逆行か,はたまたフーコーの振り子か?そもそもどちらも正しいとは言えないのか?ポパー流でもクーン流でもない答えを知りたい方は,是非本書を手に取っていただきたい。


(かけや・ひでき システム情報工学研究科講師)
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