筑波大学附属図書館報「つくばね」
私の一冊    五十殿 利治
クラシック・モダン : 1930年代日本の芸術
(せりか書房)〔体芸 702.16-O64〕

表紙写真  本書は同じ書肆から2003年に上梓した『モダニズム/ナショナリズム』(水沢勉と共編)に続くもので,1930年代日本の芸術をテーマとしている。しかし,視点の設定はむろんだが,文学,音楽,建築などジャンルを横断していた前著とは異なり,美術が中心となっている。執筆者も,前著と大きく様変わりして,大学院生を含む若手研究者が大半である。本書のために何回か研究会を催すことになったが,出版という明確な目的が設定されており,実のある議論となった。また,編集上ではややもすると締切を守られない中堅研究者とは異なり,若手の熱意で比較的順調に出版にまで漕ぎ着けたのでないかと思われる。
 さて,第一次大戦後のヨーロッパでは,ベルリン・ダダに代表されるように,尖鋭な美術運動の中心は敗戦と政治的混乱下のドイツ(とくにベルリン)に移り,戦勝国のフランスやイタリアではむしろ古典的・伝統的なものへの回帰,いわゆる「秩序への回帰」が顕著な潮流となった。たとえば,イタリアにおける形而上絵画と「ノヴェチェント」,フランスでもピカソの新古典主義絵画,相対的な安定期を迎えたドイツにおける「魔術的なリアリズム」あるいは「新即物主義」である。これは1920年代における新しいリアリズム,再解釈されたリアリズムと位置づけられる。
 翻って日本ではどうであったのだろうか?という問いかけが,本書が提起したものである。全体は大きく四部に分かれている。批評と時代,画家たちのテーマ,版画・デザイン,そして美術と伝統である。当初からこのような視点を設定していたわけではなく,寄稿者の各自の課題がこのように最終的にまとまったという着地点である。
 日本でこうした古典や伝統が美術の分野でさかんに論じられるようになるのは,30年代,昭和初年になってからのことである。つまり,大正期の新興美術運動が挫折した後のことであった。実際に,1925年結成の神原泰や矢部友衛による「造型」グループはイタリアの「ノヴェチェント」やドイツの新即物主義を方向転換のための梃子とした。
 このように新しいリアリズムの問題としてみれば,理解が容易である。ところが,「古典」や「伝統」となると一筋縄ではいかなくなる。国家というもの,つまり当時の議論でいえば「日本的なるもの」と分かちがたく結ばれているからである。洋画を例にとれば,ヨーロッパの「古典」が日本の洋画家にとって自明の「古典」といえるのかどうか,ということである。むろん,それは世界に共通する普遍的な「古典」とみえなくもない。しかし,「伝統」となれば,この議論も単純には通用しなくなる。「伝統」はほかでもない「日本」の伝統であるしかないからだ。
 本書のための研究会でも「古典」や「伝統」について,どのように見解を整理するのかということが問題となった。意見交換してみて、美術とはいえ,書,茶道,いけばなまでをカバーするので,各ジャンルにとって「古典」も「伝統」もそれほど簡単に規定できるものではないことが明らかになった。しかし,むしろそうした起伏のあることを確認できたのが共同研究の成果のひとつであった。研究会で,デザイン史の川畑直道がまさに指摘したことだが,デザインというジャンルには「古典」は存在しないのだ。
 こうした「古典」や「伝統」の議論でともすれば見落されがちなのは,作家は単に安定した権威や基盤だけをそこに求めたわけではないことである。優れた作家であればあるほど,そこに新鮮な芸術的な霊感を探し当てようとしたはずである。古いことが新しいということ。だからこそ,ピカソの新古典主義も,最新のトレンドとして理解されるのである。
 個人的には,窯芸を担当し長く教壇に立たれた筑波大学名誉教授安原喜孝先生のご協力を得られたことがなによりも幸運であった。もともと自分としては明るくはない戦前のいけばなの前衛と伝統の関係をテーマにして,草月流の勅使河原蒼風にどのようにアプローチしようかと考えあぐねていたところ,蒼風と近かった安原先生のご尊父喜明氏がそのテーマをふくらませる格好の陶芸家であったことを先生から示唆していただいた。草月会館における個展目録や戦前の草月流会報『草月箋』をはじめ貴重な資料の数々も拝見することができた。おかげでどうにか拙稿を書き上げることができたという次第。
 本書は1930年代日本の芸術をさまざまな角度から考察しようとする試みであり,現在次の企画が進行している。研究会も開始した。まだ内容が固まっていないので,ここではこれ以上詳しくは述べられないが,最初の『モダニズム/ナショナリズム』以来の課題である植民地の問題について踏み込んだ寄稿を盛り込むことになろう。

(おむか・としはる 人間総合科学研究科教授)
<<前の記事へ |  目次へ |  次の記事へ>>
(C)筑波大学附属図書館