筑波大学附属図書館報「つくばね」
私の一冊    浜名恵美
ジェンダーの驚き −シェイクスピアとジェンダー−
日本図書センター〔中央 932.33-H25〕
福原賞受賞(福原記念英米文学研究助成基金 出版助成)
表紙写真  「ジェンダーは驚きだ!」というある夜更けのひらめき, 荒木正純教授との出会い, 世界シェイクスピア会議や国際セミナーにおける国内外の研究者との交流。2003年に筑波大学で受理された博士論文に基づく本書は,さまざまな幸運に恵まれて誕生した。
 私の長年の関心であるジェンダー研究とシェイクスピア研究をまとめた本書では,シェイクスピア研究を介して, 今日のジェンダー・バイアスを是正するための仮説を提起し, さらにそれを使ってシェイクスピアのテクストの読み直しを試みた。その仮説とは, スティーヴン・グリーンブラットの『驚異と占有:新世界の驚き』(1991年)で提示された驚異なるものの表象体系を有益な枠組みとして, 「ジェンダーが驚きとして作用する」というものである。この考えが本格的に提唱されたことはないので,本書は, ジェンダーの驚きという統一的視点からシェイクスピアを代表とする近代初期イングランド文化を解明する最初の試みのひとつと言えるだろう。
 さらに,フェミニズムおよびその他の政治的批評が,多くの一般読者にとっての文学や演劇の存在理由である面白さを損なうことにもなったと認識し,シェイクスピアの現代的意義のなかでもとくに積極的な側面を追究し, 快楽を再発見することをめざした。
 本書は三部で構成されている。第一部は理論部, 第二部はインターフェイス, 第三部はシェイクスピアの詩と演劇のテクスト分析である。第一部では, ジェンダー研究と驚異研究を接合し, そこから仮説を提唱し, 第二部と第三部でその検証をするという形態をとっている。
 第一部第一章では,ジェンダー研究を概観し,ジェンダーの規定ではなく作用を考察することと構築主義の立場をとるという姿勢を表明し,第二章では,シェイクスピア演劇がジェンダーの演劇性に立脚したことを改めて確認し,それがいかに今日的な意味をもつかを論じた。第三章では,本書の実践的戦略となる「領有(アプロプリエーション)」の意義を説明したあと,いかにシェイクスピアのテクストが現代の関心と深い関連性をもっているかを示した。第四章では,驚異研究を概観してから,ジェンダーの驚きという仮説を提唱した。
 第二部では,処女女王エリザベスの表象をとりあげ,とくにウォルター・ローリーの『ギアナの発見』における植民地言説で,ジェンダーがいかに驚きとして作用していたかを検証した。
 第三部では,シェイクスピアの詩と演劇のテクストの主に女性表象をとりあげ,仮説の正当性をさらに論証した。第六章では,「ダーク・レイディ・ソネット集」をとりあげ,ジェンダーの対概念であるセクシュアリティについて分析し,性交の驚き,第七章では,『お気に召すまま』における異性装の驚き,第八章では,『ハムレット』のヒロインで狂気に陥ったオフィーリアの身体の驚き,第九章では,『アントニーとクレオパトラ』のエジプト女王のジェンダー構築に深層で関与している幻想の驚きについて解明した。 
 ジェンダーは驚きだと読者に納得してもらえるように,国内外の図書館と古書店,インターネットなどを使って資料を収集し,舞台や映画の多数の写真や図版を挿入した。取捨選択に悩んだが,これは楽しい作業であった。
 本書を献呈した多数の知人・友人から,私の四半世紀にわたる研究の集大成として好意的な評価をいただいた。(挑戦的であった若い頃と変わらずに)「全体にムキになっているところが何よりの取柄」と,長老格の教授から独特の言い回しでほめていただいた(のだと思う)。旧友からは英語版を出せという激励を頂戴した。今後も深刻な議論と喜劇的精神のバランスを保ちながら,人々に驚きと喜びを与えるような仕事をつづけたいと思っている。

(はまな・えみ 人文社会科学研究科教授)
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