筑波大学附属図書館報「つくばね」
私の一冊    川西宏幸
同型鏡とワカタケル―古墳時代国家論の再構築
(同成社)〔中央 210.32-Ka96〕
余滴
表紙写真  明治8年(1875)に来日して,紙幣の印刷技術を指導し,西郷隆盛像など貴顕の肖像画を描いたエドアルド・キヨソーネというイタリア人の版画家がいる。日本で没したらしいが,その日本コレクションが,ジェノバの市立博物館に収蔵されている。京都の民間研究所に属して,ポンペイで考古学調査に携っていた頃に,それを知った。私のめざす遺品がここにあった。さっそく調査の余暇を割いて博物館を訪れ,遺品と対面した。こうして目的は達したが,仏像や書画や陶磁器などの優品達は,異国の地で忘れられ,相応しい扱いを受けていなかった。11年を経た今も,うら寂しい光景が印象に残っている。北イタリアの冬の曇天が,よけいにそう思わせたのかもしれない。
 私のめざした遺品というのは,古墳時代の鏡である。その当時,エジプトやポンペイで調査を行う傍ら,日本の古墳時代を対象にして,同型鏡の研究に取り組んでいた。同型鏡とは,一つのモデルに土を押し当てて鋳型を作り,鋳造した青銅製の鏡のことであるが,この一面がキヨソーネ・コレクションに含まれていたのである。
 このようにときには国外にも赴いて実査した同型鏡の資料は,15種104面の8割にのぼる。調査が許される遺品は,見尽くしたつもりである。沖合を行く小船は,止まっているように見えて,知らぬ間にずいぶん進んでいる。このような,いつ果てるともわからない細ぼそとした15年の歩みであった。勢いにまかせて一気呵成に突き進む研究スタイルは知っていたが,息長く続ける重さをはじめて学んだ。新たな材料を見つけて同じスタイルで取り組もうという気持ちはあるが,完成までの長い歳月を思うと,老骨には辛い。
 同型鏡は5世紀中葉に中国南朝の宋から輸入され,列島の各地に分与された。この頃,倭にはワカタケルという大王がいた。「宋書」の記す倭王の武である。四半世紀余り前に,埼玉県行田市にある稲荷山古墳の鉄剣から115字の銀象嵌銘が発見され,そこにワカタケルの名が刻まれていた。発見当時は,連日この報道がマスコミを飾り,人びとの話題をさらった。関連図書の出版もあいつぎ,古代史ブームが到来した。バブル期に向かっていたときである。
 銘文は学会に大きな影響を与えた。考古学や文献史学の主だった研究者が談話を出し,筆を執った。ところが,古墳時代研究の第一人者であった私の恩師は,ほとんど黙して語らなかった。東アジアの視野から銘文の意義を説き,倭の国家形成を論じようとした優れた文献史学者に較べ,歴史意識の点で考古学者は劣っていたのである。このような考古学者の姿を苦にがしく思っておられたのであろうと,師の当時の心中を忖度している。古代国家史上の画期であるワカタケルの時代を,考古学の立場から論述しなければならない。まだ30歳代であった私に,こんな使命感が芽生えた。その積年の思いを,まがりなりにも形にすることができた。これもまたエジプト調査と併行した息の長い仕事ではあったが,あまり達成感がない。
 今回の出版は,単著の3冊目にあたる。いずれも専門書であるが,なかでもっとも専門度が高い。『山上宗二記』が語る茶湯の修行論のなかに,50歳になれば一器の水を一器に移すように,再び師のもとに帰れとある。ずいぶん遠くへ来てしまった私が師のもとへ再帰する微意を込めた1冊であるから,いきおい地味になった。それでも,出版社の方で力を注いでくれた。期待に応えられたかどうか,息をひそめて評価をまっている。

(かわにし・ひろゆき 人文社会科学研究科教授)
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