筑波大学附属図書館報「つくばね」
大学図書館の将来へ向けて
西原 清一
1.私にとっての大学図書館
 大英博物館の正面を入ったところには,直径数十メートルもある巨大な半球状の人工空間がある。グレイトコートと呼ばれるその穹窿(ドーム)は実は全体がそっくり一つの図書閲覧室となっている。円周書架の壁面はぎっしりと書物で埋め尽くされ,それらがガラス張りの天窓から差し込む陽光に浮かび上がっている様子は,さながら‘知の宇宙’とでも呼びたいような静かな感銘を与えてくれる。蔵書家でもない私にとってもそれはなかなか印象深かった。それと好一対なのが,近くのロンドン大学の図書館である。テーマごとに区切られた部屋の両壁には天井まで本が並んでおり,真ん中にテーブルが細長く配置され,部屋の隅には端末が置かれている(写真)。使い勝手という点では,こちらの方が良さそうである。
 昔,研究者の卵だったころ学位論文をまとめるのに通った中央図書館は,いわばロンドン大学型であった。もちろん端末などはなかったが,石炭ストーブの暖房が入っていた。やぐら炬燵がポツンと待っているだけの寒く暗い下宿に比べれば,経済の面でも健康の点でもまったく有難い存在だった。大きな黒光りする机に資料を綺麗に広げただけでも,いい論文が書けそうな気がしたものだ。自分にとって図書館とは,レポート書きのような集中の要る作業をするときなど,世間の雑音や雑念をシャットアウトしてくれる牢獄のような,しかしどこか安心できる暖かい場所であった。
 大学図書館はこのように学生や職員にとって親しみ深い場所であったし,強い味方であった。
2.変革期を迎えた図書館
 上ではやや古いタイプの図書館を述べたが,利用者に親しまれ役に立つ場所であって欲しいという願いは,今も基本的には変わっていない。しかし,時代と共に大学図書館の存在理由も使われ方も変化してきた。このところ教員の単行書購入冊数が急激に減少しており,また洋書の比率も落ちている。学生も,専門書以外の新聞雑誌を読みに来たり端末を利用する人が増えたように感じているがいかがであろうか。2〜3年前,学系等資料室をほとんど利用しなくなっている自分に気づいたとき,私には,大学図書館の何かが大きく変わりつつあるという印象があった。
 昨年から附属図書館を内側から見ることができるようになり,利用者側から見えないことも少しわかるようになってきた。そして,一つの結論として言えることは,大学図書館はこれまで経験したことのない大きな構造的な変革を迫られているということである。この変革の流れは欧米の大学図書館においても,つとに起こっていることであるが,加えて日本特有の状況としては,国立大学が法人化され経費削減の波が重畳的に押し寄せてきているということがあり,問題を一層深刻にしている。
 その変革は,つぎのような3つにまとめることができる。
 まず,第一は,扱う対象の拡大である。従来のグーテンベルクに象徴される印刷による冊子体すなわち書籍・雑誌・報告書・古文書の枠を超えて,非紙媒体すなわちAV機器・ネットワーク上のディジタル情報を扱う割合が急速に増えつつある。‘図書・書物’という言い方から‘学術情報’へと呼称が変わってきた。
 学術情報という場合,次のようなものを含んでいる。例えば,冊子体無しの電子ジャーナル。学会誌をネット上でのみ発行する学会が増えつつある。これは,印刷の経費をゼロにできるためだけではなく,映像や音声を含む論文は印刷することが原理的に不可能なためである。また,国際会議の議事録ばかりか,会議自体をネット上で開催する例もある。印刷製本や会場準備などの経費を節約できる。さらに,eラーニング教材や実験データや,コンテンツのメタデータなども学術情報である。さらには,書物や論文のように定稿として一まとまりになった情報ばかりでなく,いわばページにばらされた断片的情報も多い。これらをどのように検索するかは将来の課題である。
 変革の第二は,利用形態の変容である。かつて大学図書館は情報を検索し獲得する場所であったが,いまや学術情報を発信しコミュニケイトする場所としての意義が高まりつつある。学内で生産された学術情報を組織的に学内外および国内外に発信する仕組みを作ることは,今後,諸研究機関との連携協力を進めるための資格となる前提条件である。学術情報の受身的な機関から,発信という能動的なサービス機関へと図書館を転換することが求められている。
 最後に,変革の第三は,図書館の遍在化である。本来,学術情報(書籍)が集積された物理的な場所というのが図書館の第一義であった。そのことは変わらないとしても,今後はネットワークを介した分散化と情報の組織化が急速に進むと予想される。たとえば,自分の身近な端末から電子図書館にアクセスするというのは見やすい話であり,それが私が学系等資料室に行かなくなった理由でもある。が,それに止まらず将来は,自分の端末の中に自分専用の仮想図書館(私設書斎)を構築することができるようになるであろう。そこには,自分に必要な雑誌だけを選んで見やすいように並べ,興味のあるテーマについてピンポイントで検索するコマンドを登録しておいてときどきブラウジングしたり,外国のさる研究所の最新情報を定期購読(情報プッシュ)するのである。私設書斎,それは,図書館情報の分散化ではなく,図書館の遍在化という表現がふさわしい。
3.学術情報を‘組織化’し,‘発信’しよう
 学術情報というとき,従来の印刷された‘本’という概念を超えた広い対象を含むことはすでに述べた。しかし,映像や音声など印刷できないもの,断片的な情報,2次情報のような媒体や形式の面だけでなく,内容の面でも境界が漠とした広い概念である。
 たとえば,ある論評を見てその著者の所属や担当授業の講義ノートを知りたいケース,あるいは,ある研究論文についてそのプロジェクトの全容を知りたいケースなど,さまざまな要求が起こることが予想される。それらの検索要求がきっかけとなり共同研究や学術交流が始まるかもしれない。このようなことを可能にするには,大学の研究者データベースやプロジェクト情報が整備され,それらが学術情報と有機的に結合され連動するようになっているという環境が必要である。この意味で,学術情報は単独に存在するだけでは,その有効活用の観点から十分とはいえない。学術情報の境界上に在る教材コンテンツや研究者情報なども含めた情報の組織化が,システム設計段階で用意周到に視野に入れられていることが要請される。‘大学情報の組織化’と離れて,大学図書館はひとり自分の学術情報の整備に専念しておれば事足りるという状況にはない。
 一方では,全国の大学図書館間では,学術情報の整備に向けて協力することの必要性が認識されつつある。たとえば,高騰する学術雑誌の契約交渉のためのタスクフォースの活動,学術雑誌の新しい出版方式の模索などであるが,最近,その重要性が強く謳われつつあるのが,‘学術機関リポジトリ’の構築であり,国立大学図書館協会(国大図協)の重点プロジェクトとなっている。
 大学などの学術機関において生産された学術情報を電子化し保存しておき,広く学内外からインターネットを介してアクセスできるように発信することは,各機関の存在を示し社会的説明責任を果たすために必要なことと位置付けられている。このような学術機関リポジトリの構築は,従来の図書館業務にはなかった新しいテーマであって,きわめて技術的な,したがって図書館組織に絡む課題を内包している。学術機関リポジトリの構築は,外部アクセスに対する認証とセキュリティの確立,著作権処理方式,コンテンツのメタデータの標準化とこれに基づく検索収集(ハーベスティング)技術など課題山積である。本学においてもこれらの課題に対処するために,教員など利用者を含めた協力体制作りが速やかに行われることを期待したい。
4.附属図書館「研究開発室」の役割
 大学図書館は,構成員にとって役に立つ機関であるべきことは言うまでもないが,役に立ち方が変わりつつある。従来の図書整備業務の効率化は依然として重要な課題であるが,上述した3つの改革も大学図書館の将来に関わる重要事項である。これらはとくに技術的な課題であるところが特徴的である。昭和27年に決定された「大学図書館基準」には,‘大学図書館は,…その業務の改善を図るための研究・開発機能を併せもたなければならない。’とあるが,現実にはそのような機能は設置されてこなかった。この度ようやく附属図書館に研究開発室が設置されることになったが,利用者である教員の主体的なご協力を仰ぎながら,将来の大学図書館に資する活動を展開していくことが期待される。
 将来,後からやってくる人たち,学生・院生や次世代の研究者に良い学習・研究環境を残すことは大切なことと思う。児孫のために美田を「買う」必要はないが,耕しておくことはできるかも知れない。
(にしはら・せいいち 附属図書館副館長)
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