筑波大学附属図書館報「つくばね」
私の一冊    竹谷悦子
U.S. Women Writers and the Discourses of Colonialism, 1825-1861.
(University of Tennessee Press)〔中央 939.023-Ta66〕
アメリカ学会清水博賞受賞
表紙写真   ワシントンDCにある議会図書館の貴重書室のはりつめた空気のなか, 茶色くなって触れると今にも崩れそうな古い児童雑誌に描かれたインディアンや黒人の描写に見入る。まだ肌寒い三月, ニューヨーク州のバプティスト歴史図書館で, 紙にくるまれた一房の色あせた巻き毛を前に, かつて人気女性作家としての地位をかなぐり捨てビルマへ宣教師として渡った女性の一生にひとり思いを馳せる。阿片の密輸をおこなう貿易商の叔父とともにポルトガル領マカオに渡った若いアメリカ女性の日記を読み, そこに描かれた豪奢なマカオの社交界(とその影で阿片に冒されていく中国社会)に複雑な思いが去来する。

  150年間ほとんど忘れられていた女性作家たちを発掘していくという本書の成立過程には, そんな新鮮な驚きとそしてそれ以上に困惑がつねにあった。私が十九世紀の女性作家にこだわったのは, 歴史のなかのマイノリティーであった女性の真の力を, ロマンティックに賛美したかったからではない。政治家として国策にかかわることのなかった女性たちが, アメリカの植民地主義言説の形成にどのように関与していたのか。戦争や奴隷制などの暴力的支配に反対していた女性たちが, その支配と図らずもどのような共犯的な関係に陥っていったのか。そして共犯者はどのようにして社会を変革する力になりうるのか―それらを解明してみたかったからである。それはもしかしたら半分自分自身に突きつけていた問題でもあったのかもしれない。

  かつてアメリカ文学を代表する作家ナサニエル・ホーソーンは, 次々とベストセラーを生み出していった女性作家たちを「忌々しい物書きする女ども」と呼び捨てた。しかし女性作家たちはいつも大衆受けする家庭小説や感傷小説ばかりを書いていたわけではない。雑誌, 教科書, 詩, 旅行記, 短編や小説などのジャンルを横断し, 彼女たちの活動の軌跡をつぶさに探っていけば, 彼女たちの眼差しが, インド, ビルマ, マカオ, リベリア, レバノンといったいわゆる第三世界にも向けられていたことがわかる。そればかりではない。彼女たちの文学がアジアやアフリカで行使された非公式なアメリカの植民地主義の系譜をあぶり出していることを, 私たちはあらためて知ることになる。

  本書の原稿をアメリカのテネシー大学出版局に送った直後に同時多発テロ事件が起きた。本書を書きながら私が問いかけていた問題は, アメリカの同盟国としてイラクに自衛隊を派遣した日本国で,アメリカ文学を教え研究するとはどういうことなのかという問題と奇妙に相俟って, いま一層の緊急性をもって私の目のまえにある。

(たけたに・えつこ 人文社会科学研究科助教授)
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