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フンボルトとリッター

手塚 章

 私の研究分野(人文地理学)と図書館資料の関 係について,が与えられたテーマであるが,以下 では筑波大学附属図書館とのごく個人的な係わり を中心に述べてみたい。
 表題にかかげた2人は,18世紀末から19世紀の 前半にかけて活躍した著名な地理学者であり,「 近代地理学の父」として現在もよく紹介される。 彼らがいかに有名かは,没後百年の1959年に日本 地理学会・東京地学協会主催の「フンボルト・リ ッター100年祭」が行われたことに表れている。 外国人地理学者に対して,この種の催しは2人以 外に考えづらい。
 もっとも,フンボルトについていえば,単に地 理学者と呼ぶわけにはいくまい。彼は何よりもま ず博物学者であり,またドイツを代表する大旅行 家であった。また,フンボルト財団の招へいでド イツに滞在した数多くの研究者にとって,フンボ ルトが地理学と係わっていたことなど,恐らく想 像の彼方であろう。
 地理学の世界でそれほど有名であったにもかかわらず,私と2人との付き合 いは古くない。きっかけは1984年に図書館の大型コレクションとしてフンボル トの「新大陸における熱帯諸地域への旅行(全30巻)」(復刻版)(Voyage de Humboldt & Bonpland ; voyage aux regions equinoxiales du nouveau continent)[450.955-H98] が購入されたことである。命じられてその申 請書を作成した私としては,5階の大型書架に豪華本が並べられるや,何度も 足を運んだものである。
 それまで「地理学史」の講義で聞かされてはい たが,ちょっと古すぎると思ったせいか,ほとん ど関心を持たなかったフンボルトが,急に身近な 存在になった。読んでみると,なかなか面白いし 現代に通じる箇所も多い。ちょうど当時は,地理 学方法論の古典を系統的に読み直す作業をしてい るところであった。そこで,検討対象の時代をほ ぼ百年さかのぼって18世紀末からとし,フンボル ト(と必然的にリッター)の文献を集めだしたわ けである。
 その成果が1991年に刊行した『地理学の古典』 であるが,内容の3分の1をフンボルトとリッタ ーに割り当てた。成立過程からいえば,いわば付 加的な部分といえる。しかし,反響が大きかった のは,むしろこの部分で,とくにフンボルトにつ いては多くの方々からお褒めの言葉をいただいた。 日本に多くのフンボルト・ファンがいることを再 認識したしだいである。
 たしかにフンボルトの文章は,現代人にも十分 に面白い。彼のもう一つの代表作である「コスモ ス」は,発売と同時に書店に列ができたという伝 説があり,ベストセラー化した世界初の科学書と いわれている。いってみれば偶然にフンボルトと 出会った私であるが,それからというもの折りに 触れてはその著作に読みふけった。
 『地理学の古典』ではフンボルトの地理学方法 論に焦点をあてたが,著作家としての彼の本領が そこにあるわけではない。むしろ,おびただしく 残された文章のうち,方法論的な考察はごくわず かなものである。フンボルトの魅力は,フィール ドワークに基づく景観や地域社会の具体的な記述 にある。こうした観点から編纂したのが『続地理 学の古典:フンボルトの世界』で,その中心をな しているのは1799〜1804年に行われた熱帯アメリ カ旅行である。そこでは,中央図書館に並んでい る30巻本を十二分に活用させていただいた。
 したがって,ことフンボルトについては,その 原典の多くが筑波大学の図書館に所蔵されている。 「コスモス(全5巻)」(KOSMOS) も一部欠けて はいるが,主要な部分を見ることができる。また 『続地理学の古典』にその一部を収録した名著「 自然の姿」も,中央図書館で見ることができる。 もちろん,重要な文献で欠けているものも多く, 国会図書館や他大学の所蔵文献で補う必要がある。 しかし,フンボルト関連文献の充実度からいえば, 筑波大学はおそらく日本一ではないかと思う。
 他方,リッターに関しては,事情が多少こみい っている。結局のところ,『地理学の古典』に収 録した文章の原典は,筑波大学の図書館ではなく 国会図書館で入手した。また,リッターを代表す る大著「地理学(全19巻)」(Erdkunde) にし ても,筑波大学には飛び飛びに数冊あるだけで, 全貌をうかがうには程遠い。東京大学と京都大学 の地理学教室がこの膨大な著作をほぼ完全なかた ちで所蔵するのに対して,はなはだ見劣りがする。
 先輩にいわせると,かつての東京教育大学では, きちんと揃っていたそうである。筑波移転のどさ くさに紛れて,他の貴重図書とともに多くが行方 不明になったという説明であった。もっとも,学 部学生時代を東京教育大学ですごした経験でいう と,地理学教室の図書室でそれらを目にした記憶 がない。当時から現物はあちらこちらの研究室, あるいは教官(もと教官)の書斎に散らばってい たのではないか。移転にさいして,それが表面化 したのが事の真相ではなかったろうかと思ってい る。
 現在でも図書の紛失はあるだろうが,移転前と は比べものになるまい。自由に利用でき,きちん と管理するという点で,現行のシステムはなかな か優れている。難をいえば,東京教育大学からの 移送図書がまだ別扱いで,中央図書館の1階に眠 っていることである。新旧の蔵書が統合されれば, 単なる足し算以上の効果を発揮するであろう。
 以上,フンボルトとリッターにからめて,図書 館と私とのささやかな接触を述べた。もちろん, 地理学の分野として,これはいささか異例の部類 に属するであろう。
 通常の研究プロセスにおいて,最も一般的に使 われる図書館資料は国際学術雑誌である。現在, 筑波大学が購入している地理学関係の学術雑誌は, その質と量からいって日本最高のレベルにある。 筑波大学は,地理学分野における日本最大の研究 センターであり,本学で育ち全国各地に散った地 理学研究者が最新の文献を求めて中央図書館詣で をすることもまれではない。
 しかし,同時に,東京高師・文理科大学からの 伝統を引き継ぐ筑波大学には,過去の貴重な文献 資料が眠っている。引っ越しにともなう多少の散 逸はあるが,その遺産は地理学分野に関するかぎ り,東京大学・京都大学の両地理学教室図書室と ともに,日本3大蔵書の名にあたいしよう。『地 理学の古典』は韓国語版が出され,『続地理学の 古典』についても近く刊行の予定であるが,その 準備にあたられた韓国の地理学研究者が来日され たおり,中央図書館で当該の原典にじかに接して いただいた。それは,筑波大学にいるわれわれが, 非常にめぐまれた環境にいることを再認識させて くれる機会でもあった。

(てづか・あきら 地球科学系 教授)


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Last updated: 1999/09/22