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私の一冊


「脱オリエンタリズムとしての社会知」
  駒井 洋著(ミネルヴァ書房 1998)

[中央図:301-Ko57]

駒井 洋

オリエンタリズムと名付けられた言説の存在は サイードにより指摘されたものであるが,かれの 問題提起は世界的にもますます大きな反響をよん でいる。オリエンタリズムとは,西欧産の学問が 非西欧を対象とするとき,それは例外なく非西欧 を支配するための権力的言説として構築されてき たとするものである。しかしながら,サイードは オリエンタリズムの批判をするのみであって,そ れに対抗しうる言説についてはまったく考慮して いない点に不満が残る。本書は,社会科学分野に かぎって,オリエンタリズムを乗りこえる知,す なわち「脱オリエンタリズム」の可能性を明らか にしようとして編集されたものである。

その際,第一に考慮されなければならないこと は,この概念がさまざまな陥穽へと導きかねない ことである。脱オリエンタリズムへの指向がミニ ・オクシデンタリズムとして権力的知の再生産を 産みだしかねないこと,あるいは世界の画一化傾 向が脱オリエンタリズムの成立をどこまで許容し うるかなどの吟味が必要である。

さらに,脱オリエンタリズムがとるべき方向に ついては,執筆者のあいだで意見が二分した。第 一の見解は,オリエントという概念自体がオクシ デントにより作りだされたものであるから,オリ エントに依拠して脱オリエンタリズムを構想する ことは結局オリエンタリズムの再生産にほかなら なくなるとするものである。したがって,この立 場の脱オリエンタリズムは,オリエント対オクシ デントという二項対立を拒否しなければならない。

それにたいして,私も賛成する第二の見解は, オリエントの知の伝統のなかにオクシデントの権 力的知の体系を乗りこえる可能性を見いだそうと するものであり,本書では仏教を再評価する三論 文が収録された。なお,本書は社会科学研究科所 属教員の共同研究成果の報告書をもとに,単行本 として編集されたものであることを付記しておく。

(こまい・ひろし 社会科学系教授)


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Last updated: 1999/01/06