星野 力
ある日同級生から,ノイマンがコンピュータを構想した経緯を学会誌へ書いて欲しいという電話がかかってきた。こうしてビクトリア朝のバベッジとエイダから,第2次世界大戦直後のノイマンやウィルクスまで 100年間のコンピュータ開発史への旅が始まった。旅といっても物理的な旅は,第3学群の研究室から中央図書館の書庫までの数100 メートルの旅をしていただけである。筑波大学の図書館には,コンピュータ史の豊富な図書が揃っていた。それら書籍や雑誌を読みあさり,コンピュータの専門知識に照らして推理するだけの,いわば“安楽椅子の探偵”を決め込んで書いたこの本が,日本における“コンピュータ開発史の決定版”という高い評価を受けているらしい。
ひどいフィクションがコンピュータの歴史にはまかり通っていることに驚かされた。これは,原典にあたらずに,孫引き,ひ孫引きを繰り返しているうちに事実になってしまったのだろう。フィクションの再生産を止めるには,私も自らを律しないといけない。そこで,文献を客観的に引用した箇所と,私の個人的推量を書いた部分とを厳密に区別するため,わざわざ活字を2種類使った。これは,理系の専門家からは高く評価されたが,文系でもこれは評価されるのだろうか?
計算機械という技術的パラダイムはどのように出現したのか?それが,この本を書いていたときの最大の関心事だった。コンピュータのパラダイムは,しばしば“逆接”によって出現していることは,私にとって大発見だった。逆接とは私の造語で,図らずも何々になってしまった,ということ。プロテスタンティズムが図らずも資本主義出現のきっかけとなったように。それで,ロケットを預言した人はいても,コンピュータを預言した人はいなかったことの説明が付く。歴史研究の面白さと奥深さが体験できた,想い出深い本である。
〔中央:548.2-H92〕
(ほしの・つとむ 構造工学系教授)
秋山 学
法政大学出版局の「叢書ウニベルシタス」から,5月に細井敦子氏(成蹊大学)との共訳で,J.ド・ロミイ著『ギリシア文学概説』を上梓する運びとなった。ホメーロスからローマ帝国期のキリスト教文学までを扱う非常に広範な概説書で,原著者はフランス学士院会員,欧米古典学界の重鎮である。細井氏が前半部の古典古代期を担当し,私はプラトン以降のギリシア哲学とヘレニズム文学,それにローマ期のギリシア文学を受け持った。原著の初版は1980年,以来各国語に訳されるなど定評のある文学史である。しかも単なる作品紹介に留まらず,著者が原作を読破し独自の史観に基づいて記述を展開しているため,文化史としても内容は濃い。古典文学史の枠を古代末期の教父時代までとするあたり,英米圏のものとは若干趣を異にし,大陸系の古代文化史観を提示している。訳業とは言え,否それも文学史の概説書だけに,原古典作品の内容と著者の理解を踏まえていることが前提とされるほか,研究史の把握のためにも蔵書の豊かな環境が与えられていなければ作業はおぼつかない。前任校から筑波大へ異動する間に急いで完成させた仕事であったが,最終的な文献列挙などの段階で,開館時間が長く豊富な蔵書を誇る本学図書館からは大いに恩恵を被った。おかげで巻末の邦訳/邦語研究書の文献目録は,かなり網羅的なものになったのではないかとひそかに自負している。
巻末の著者紹介にも挙げられているが,原著者は戦中・戦後における古典学教育の衰退に抗し,その必要性を訴え続けてきた。本学にも,旧教育大以来の西洋古典学の学統と研究課程,それに豊富な蔵書が揃っている。訳書ではあるが,わが国の大学教育における古典学の必要性を訴える一書ともなればと祈念している。
〔中央図:991-R66〕
(あきやま・まなぶ 文芸・言語学系講師)