Readingバトン(谷口陽子 人文社会系准教授)

2015年9月10日
Readingバトン -教員から筑波大生へのmessage-
稲葉先生に続く第21走者として、谷口陽子 人文社会系准教授から寄稿いただきました。

 

 

Pick Up
『日本の「境界」 : 前近代の国家・民族・文化』ブルース・バートン著. 青木書店, 2000.4【210.04-B27】

Book Review
 「グローバル化」?いまさら、時代遅れの言葉に感じます。
 もしかすると歴史の授業で教えてもらわなかったかもしれませんが、私たち日本人のミトコンドリアDNAや(男性だけにある)Y染色体には、バイカル湖周辺、北東アジア、東南アジア、長江流域、黄河流域、韓半島、いろいろなところの記憶が残されています。中国や韓半島その他での戦争や政変で追われた難民や、新天地を求めた移民たちが、数千年来(いまでも)、つぎつぎと日本列島にやってきては共生し、融合して、「日本人」になってきました。遺伝子レベルで考えれば、もともと潜在的に日本人は極めて多様で、グローバルな存在といえるでしょう。
 さて、お薦めしたいのは、『日本の「境界」-前近代の国家・民族・文化-』(ブルース・バートン著2001年)。考古学的な最新成果が反映されていないなど少し古い本ではありますが、アメリカ人の日本古代史の専門家が、考古学や民族、言語、文化、政治などの事例を用いて、欧米の歴史・社会理論に基づきわかりやすく、しかし大変面白く「日本」の「境界」について論じた書籍です。いま、日本の国境について周辺諸国と揉めていますが、本来、日本の国境はさまざまな要因により「その位置においてもその性質においても極めて多様」であり「ぼやけた」存在であったことを、ハヤトやエミシ、浄-穢、琉球・朝鮮・蝦夷地、エスニシティなど古代・中世・近世の事例を自在に挙げて説明しています。基本となる「境界」の概念には、「バウンダリー」:線的で内向きなものと、「フロンティア」:外向きで領域的な概念の二つがあり、日本の国境とは何か、その変化のありかたを、政治や経済、ワールドシステム論、ネットワークの視点から、「境界」がいかにその時期の政治の求心力や「対抗する勢力」の存在如何によって変化するのかダイナミックに論じていきます。ところどころに、アメリカ人である著者による「外」からの視点を感じるかもしれません。
 日本列島には残念ながら冶金や顔料づくりのための金属資源やそれを加工する技術がほとんどなく、古来、青銅器、鉄器、ガラスなど威信財や大量品獲得のために、周辺地域からさまざまな原料や製品を直接的・間接的に世界各地から入手してきました。日本列島は、たとえ鎖国下にあっても、意図的ではないにせよ、数千年にわたってグローバルなネットワークの一部に組み込まれていたと言えるでしょう。したがって、(当然ですが)したたかに、そして柔軟に、「フロンティア」を介して周辺地域と関係を結んでいたはずです。
 皆さんには、知の領域において、既存の「定説」の呪縛から解放され、私たちの来し方、歴史や社会、そしてこれからについて自由に思索をめぐらしてもらえたらと願っています。マルチスケールな視点から事象を楽しむ力、面白いと思う力を涵養できる1冊ではないかと思います。

■次は、寺門臨太郎先生(芸術系准教授)です。