筑波大学附属図書館展示Blog  2014年11月
筑波大学附属図書館で開催している特別展・企画展のスタッフブログを復元したものです。
※展示当時の情報を尊重し、参照リンク先URLやコメント等は基本的に当時のまま掲載しております。

すでに好評のうちに会期を終えてしまいましたが、展示番号4番のグーテンベルグ聖書について少し触れたいと思います。
グーテンベルグ聖書は、160から180部印刷され、その4分の1が羊皮紙、4分の3が紙に印刷されたものです。冊子として現存するのは不完全本も含め48部のみと言われています。
British Libraryでは、羊皮紙と紙の両方の完全本を所蔵しています。
慶應義塾大学図書館ではアジアでは唯一、紙に印刷された上巻を所蔵しています。
零葉(ばらばらになっている一部分)を所蔵している図書館は、日本では本学のほか、
早稲田大学(羊皮紙)
関西学院大学(2枚)
広島経済大学
天理大学、近畿大学などがあります。
ところで、今回の展示アンケートで、透かし(ウォーターマーク)に関するコメントをいただきました。
透かしは製紙の際に製紙所が独自のマークを入れたものですが、さまざまな形があり、古くから調査が行われています。グーテンベルグ聖書には、4種類の透かしの入った紙が使われました。(1枚の紙を二つ折りにして使っていますので、透かしのないページも存在します。)
Harry Ransom Center, University of Texas at Austin のサイトで画像が公開されています。
このサイトでは下の「>」をクリックすると以下の順で表示されます。画像をクリックすると黄色で浮かび上がるようになっています。
Grape Cluster(巻き髭のついた葡萄の房)
Steer(雄牛の頭)
Grape Cluster(太い茎のついた葡萄の房)
Ox(走っている(跳んでいる)雄牛)
本学所蔵分についている透かしは4番目のものと同じです。だいたい真ん中あたりに、逆さまについています。
あいにく本学の高精細画像は透かしが写るようには撮影されておらず、また、手にとらなければ肉眼での確認は困難なものですので、展示会場でご覧になるのも残念ながら難しかったと思われます。
参考:国会図書館のサイト
http://www.ndl.go.jp/incunabula/chapter3/chapter3_02.html
なお、参考として展示していた複製版と同じものが図情図書館のミュージアムで展示中です。見逃された方、もう一度ご覧になりたい方は、ぜひお立ち寄りください。

11月9日(日)に行われた、人文社会系教授 谷口孝介先生による特別講演会「図書館を飛び出した書物たち~複製本の用い方~」の動画をYoutubeのサイトにアップしました。以下のリンクからご覧ください。
その1
http://youtu.be/LEZ7oikAdIU
その2
http://youtu.be/AZ1UTlsd7qE
その3
http://youtu.be/MF9V-HhRn_o
講演の内容は当日の記事でも触れられていますが、講演中で紹介された資料を以下に並べてみましたのでご参照ください。(タイトルをクリックすると筑波大学附属図書館の所蔵情報が表示されます。[和装古書]は古典資料事務室で手続きしないと見られない資料ですが、[貴重図書]はリンク先のページにあるスキャナのアイコンから画像が見られます。それ以外の活字化された資料は一般書架に並んでいる資料です。興味を持った方は読んでみてくださいね。)

その1
★『神皇正統記』
阿刀本『神皇正統記』(複製本)(阪本龍門文庫蔵)[和装古書]
川喜多真彦校『標註校訂神皇正統記』慶応2(1866)年刊[和装古書]

★『御堂関白記』
 ※原本は国宝ですが、ユネスコの記憶遺産に登録されているそうで、ユネスコのサイトから一部写真をご覧いただけます。藤原道長の自筆部分が見られます。
『御堂関白記』(複製本)立命館出版部、1936年 [和装古書]
東京大学史料編纂所編『大日本古記録 御堂関白記』岩波書店、1952年

その2
★『菅家伝』
『菅家伝』(複製本)尊経閣叢刊、侯爵前田家育徳財団、1944年 [和装古書]
真壁俊信氏『天神信仰の基礎的研究』日本古典籍註釈研究会、1984年
真壁俊信氏校注『神道大系 北野』神道大系編纂会、1978年

その3
★『土佐日記』
『土左日記』(複製本)尊経閣叢刊、育徳財団、1928年
※この図書は国立国会図書館近代デジタルライブラリーで公開されています。
池田亀鑑氏『古典の批判的処置に関する研究 第三部』岩波書店、1941年

★『枕草子』
『枕草子』(複製本)尊経閣叢刊、育徳財団、1927年 [和装古書]
  ※こちらも国立国会図書館近代デジタルライブラリーで公開されています。
『枕草子』寛永年間刊、古活字13行本(伝能因所持本系)[貴重図書]

展示番号10番の『絵本拾遺信長記』(えほんしゅういしんちょうき)は、前編13編・後編10編あわせて23冊から成る大部の書物ですが、後編巻之10(最終巻)の奥付には「文化元年甲子四月  浪華書林 譽田屋伊右衛門 播磨屋五兵衛 和泉屋源七」と記されており、文化元(1804)年4月に浪華(大坂)の版元によって出版が完了したことがわかります。しかし、図録には、文化元年の絵草紙取締によって版木および版本が没収される処分を受けた、と解説されていますので、出版されたまさにその年に処分を受けたことになり、その経緯などに興味を引かれます。
そこで、この『絵本拾遺信長記』と絵草紙取締の問題について、もう少し詳しく見ていきましょう。
これについては、宮武外骨が『改訂増補筆禍史』(『宮武外骨著作集』第四巻所収、河出書房新社、1985年)の中で次のように記しています。
絵本拾遺信長記(文化元年)
権現様(家康)の御儀は勿論総て御当家の御事、板行書本自今無用に可仕候といへるは、享保七年の幕府令なりしが、文化元年に至りては、家康等の事のみならず、天正以来の武将に関する事をも厳禁し、絵草紙の武者絵に、名前紋所合印等を入るゝをも禁じたり(以下略)
ここで「文化元年に至りては」と言っているのは、文化元年5月17日に出された絵草紙取締の触のことを指しています。「天正以来の武将」にはもちろん織田信長も入りますので、同年4月に出版されたばかりの本書も取締りの対象になってしまったというわけです。

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外骨はこれに続いて『大阪書籍商旧記類纂』から「本屋行事より奉行所に出せし上書」を引用していますが、その内容は大略以下のとおりです。
・絵本拾遺信長記は、寛政12(1800)年に出版願いをし、同13年に聞き届けられた
・そこで順次摺立て売買もしていたが、このたび江戸表において、この本の売捌きが差留められ本もお取上(没収)になった
・この本の「元板」も絶版を仰せ付けられたので、印刷済みの本79冊と版木150枚をお取上げとし、今後この本は出版してはいけないし、これまでに売った本も販売先がわかれば回収して差し出すように、との仰せ渡しを確かに承った
この処分について外骨は「一旦許可せしものを、其出版後に至りて直ちに絶版を命じるとは、御無理不尤の至極にして書肆の損害も亦少からざりしなるべし」と怒っています。
なお、ここで「元板」と言っているのは、『絵本拾遺信長記』が大坂の版元から出版されたので版木が大坂にあったためであり、「元板」=版木を大坂の奉行所に提出するよう命じているものです。
ではこの状況を、版元(本屋)側の記録によってもう少し見ていきましょう。具体的には『出勤帳』(『大坂本屋仲間記録』第二巻所収、大阪府立中之島図書館、1976年)から、『絵本拾遺信長記』について書かれた部分を適宜抜き出し、簡単にその内容をまとめて時系列順に並べてみます。
<文化元年>
4月16日
・画本拾遺信長記前後完成、版元から上本(本屋仲間への献本)があり、添章(販売許可書)が交付される。
9月15日
・東町奉行所に行事が行き、先だって出版許可された絵本拾遺信長記前後23冊について、このたび江戸表よりの命により版木並びに印刷済みの本を差し出すよう仰せ付けられたので、版木・本ともに17日に差し出すよう申し付かり、この旨を即日版元に伝えた。
9月16日
・絵本信長記版木を版元から取り寄せた。
・天満組惣会所で、版木は奉行所に、本は惣年寄に差し出すよう仰せ付けられた。
9月17日
・絵本拾遺信長記の件等について江戸の本屋仲間行事からの書状が到着したので、書状の控に写し置いた。
・信長記絶版のことを京の本屋仲間行司に連絡した。
9月18日
・信長軍記の類書の出版があれば書付を持参するようにとの指示があったので、惣年寄中村左源太に書付を差し出した。
・絵本信長記は明日中に残らず差し出すよう仰せ付けられた。
9月19日
・絵本拾遺信長記前篇三部、後篇四部を口上書を添えて中村左源太に差し出した。
9月23日
・中村左源太から呼び出しがあり、「絵本拾遺信長記は15冊で(出版)願を出していたが、23冊とじの分が流通しているのは甚だ不行届である。本屋が勝手に冊数を増減してもその後に申し出るように」と仰せ渡された。
11月5日
・拾遺信長記絶版について惣印をとった。
<文化5年>
7月朔日
・東町奉行所寺社役から至急の呼び出しがあり、このたび北海異談という写本20冊ができたが、仲間でのこの本の取扱いの有無を調べるよう仰せ付けられた。これにつき担当の仲間が所持しているものの中に、先年絶版になった絵本太閤記・同信長記拾遺があったので、これらはお取り上げになり、ほかに流通している本があるか調べて差し出すよう仰せ付けられた。
7月3日
・仲間惣印 北海異談・絵本太閤記・同信長記
7月5日
・絵本太閤記・同信長記前後につき、仲間より集めた本を御公儀に差し出す書付を認めた。

これによると、『絵本拾遺信長記』は文化元年4月16日に販売許可がおりましたが、5月17日に出された絵草紙取締の触を受け、大坂では9月15日に版木・本ともに差し出すよう命じられています。これはすなわち絶版・回収処分ということですが、これに引き続き、信長軍記の類書の調査や、15冊で許可がおりていたものを勝手に23冊にかえて売りひろめていることへの厳重注意がありました。
ここで冊数の変更の問題が取り上げられていますが、『開板御願書扣』(『大坂本屋仲間記録』第十七巻所収、大阪府立中之島図書館、1992年)によれば、寛政12(1800)年9月に「作者秋里仁左衛門 開板人譽田屋伊右衛門」による『絵本拾遺信長記』全部15冊の開板願が出され、享和元(1801)年3月14日付けでこの願いどおりの形で東町奉行所の許可がおりていますので、23冊本が流通しているのは不届きである、ということになります(なお、付言すれば、作者も出願時の秋里仁左衛門=秋里籬島ではありません)。

また、文化5年に至って、北海異談の絶版問題から再び『絵本拾遺信長記』の回収が行われています。このとき、『絵本太閤記』もあわせて回収されていますが、『絵本太閤記』も『絵本拾遺信長記』同様、文化元年の絵草紙取締によって絶版になったものです。しかし、この時点で再びこれらの回収が命ぜられているのは、これらが引き続き流通していたことの表れとも考えられます。特に『絵本太閤記』については、「普く海内に流布」(『筆禍史』「絵本太閤記及絵草紙」より)していたといわれることや、『○○太閤記』といった書名の本がたくさん出版されていたこともあり、根強い人気があったものと思われます。
なお、『筆禍史』には、天保8(1837)年に出版された『御代の若餅』と題する一枚絵は、家康を風刺した図柄であったのでたちまち絶版になったばかりか、文化元年の禁令をも犯したとして、これを描いた絵師歌川芳虎と版元は手鎖五十日の刑に処せられ、版木も焼き捨てられたと記されており、文化元年の絵草紙取締がその後も適用されたことを示しています。
以上のように、『絵本拾遺信長記』は出版後わずか5ヶ月ほどで版木・印刷本ともに没収になりました。このような事情から、前後編23冊本完揃いの残存数は多くないものと思われますが、その中にあって今回展示されているような非常に状態のいいものはさらに少なく、その意味でも本書は大変貴重なものといえるでしょう。(篠塚 富士男)

comments[2014-11-21/篠塚富士男]

この記事を書いた篠塚です。
記事中の「(なお、付言すれば、作者も出願時の秋里仁左衛門=秋里籬島ではありません)。」という表現は言葉が足りず誤解を招く表現でしたので、次のように訂正します。
「(なお、この絵本の挿絵の作者=絵師は丹羽桃渓と多賀如圭で、出願時に作者として名前が出てくる秋里仁左衛門=秋里籬島が絵を描いたというわけではありません。秋里籬島は本文の作者と考えられますが、この本にはその名前の記載はありません)。」

11月2日に行われた山澤学先生によるギャラリートークの後半の動画をアップしました。
後半は北野神社文書の紹介から始まり、終盤には「鯰絵」「古今和歌集」「新古今和歌集」「住吉物語絵巻」と、当館で貴重図書に指定されている資料たちが続々出てきます。ぜひご覧ください。
「図書館を飛び出した書物たち」ギャラリートーク2
http://youtu.be/Ef2OoQjF1GE

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そして、この動画を見て現物が見たくなった方は後1日しかありません!ぜひ中央図書館へ足を運んで本物をご覧ください。写真とは質感が違いますよ。

※ちなみに前半の動画はこちら。
「図書館を飛び出した書物たち」ギャラリートーク1
http://youtu.be/Y4RPQ6R5yOg

展示番号3番『神皇正統記』は、14世紀(約670年前)に筑波山の麓であるつくば市小田で起筆されました。南北朝時代の頃といえば、歴史好きの方には足利尊氏や楠正成、お髭の後醍醐天皇の肖像が思い浮かばれるでしょうか。
著者は後醍醐天皇率いる南朝の重鎮・北畠親房です。京都の貴族だった親房ですが、南北朝の対立が激しい頃、劣勢を覆すべく東国に軍勢を求めて下向していたそうです。もっと詳しく言えば、実は伊勢からお船に乗って東国を目指していたら、嵐で仲間とはぐれ、常陸国(茨城県)に流れ着いたらしいです。(かわいそう・・・。)
当時、周辺を治めていた小田氏の元に身を寄せた親房(推定47歳)が、「後醍醐天皇(南朝)は、正当なんだ!」という根拠として書き始めたのが、『神皇正統記』でした。[参考:「日本大百科全書」小学館発行]
“筑波大学の近くに展示品ゆかりの地がある!”ということで、9月某日、企画展メンバー有志で史跡「小田城跡」に行ってきました。まだ残暑厳しい頃で、緑陰がまぶしい日でした。あんまりにもお天気がよくて、写真が逆光気味なのはご容赦ください・・・。

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「小田城跡」看板の右側に見えるのは、筑波山です。城跡全体はあまり大きく感じられず、お堀もそんなに深くないように見えます。周辺は田んぼに囲まれ、バッタやトンボがたくさんいて、とてものどかな雰囲気でした。この静かな地で、都人だった親房はどんな想いで過ごしたのでしょうか。
私たちの一番のお目当てだった「神皇正統記起稿之地」と書かれた石碑は、遺跡整備工事のために移動されていて見当たりませんでしたが、小高い丘のようになっている本丸跡には2メートル超えの大きな石碑が堂々と建っていました。
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ちなみに、本丸跡のすぐそばにサイクリング道路「つくばりんりんロード」が通っていて、かっこいい自転車に乗っている人たちをたくさん見ました。周辺は民家が多く、自動車だとナビシステムがあってもちょっと迷うかもしれないので、興味&体力のある方は自転車で訪れるのもおススメです。
企画展で『神皇正統記』をじっくり見た後に、その起稿の地を訪れて歴史のロマンに思いをはせるのもいいかもしれませんね。

展示番号24番の『女歌仙新抄』(おんなかせんしんしょう)は、浮世絵の祖ともいわれる菱川師宣の画がふんだんに楽しめる本です。女流歌人の歌仙絵とともに、注釈と歌の意味を表した絵を付しているところが、鎌倉時代からの伝統を踏まえながらも、江戸時代の雰囲気が感じられるところです。
当館では貴重書には指定されず、いわば「忘れられていた本」でしたが、今回の企画展のネタ元である過去の利用申請書を探っていたところ、『天理図書館善本叢書 師宣政信絵本集』刊行の際に、天理図書館本の落丁補完のため当館所蔵本の画像が使用されていたことがわかり、再発見されました。
なんと、当館と天理図書館にしか現存しない本なのです。

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当館本は刊記(今の本でいう奥付)がないため、OPAC(蔵書目録)で「出版年不明」とされていたのですが、天理本の刊記から天和2 (1682)年と推定することができました。
ところで、この本は東京教育大学時代まで使っていた旧分類(ル218-17)の本ですが、昭和9(1934)年発行の前身校目録『東京文理科大学附属図書館和漢書分類目録』にはありませんので、それ以降に蔵書になったものです。
「図書原簿」という事務用の図書管理簿が残っているはずですので、倉庫に行って探してみたところありました!
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下から4行目です(「208164」という前身校の登録番号が本自体に記入してあり、この番号で探せます)。
ここには、「天和二年 江戸板」とも書かれています。購入先の古書店からの情報でしょうか?
江戸版とすれば、天理本の刊記に「山形屋」とともにある山形の商標の一部が、江戸通油町にあった山形屋市郎右衛門のものと似ている感じです。今回は確証がないため出版地の推定を見送りましたが、専門の方にご判断いただきたいところです。(oz)

企画展の図録は展示会場で無料配布していますが、電子展示のページからもWeb版(pdf)を公開しています。
pdfファイルなのでiPadなどのタブレットでも見ることができます。中央図書館で貸し出しをしているiPadにダウンロードしてみました。ダウンロードは簡単です。
Safariで企画展の電子展示から図録のページを開きます。
今回は高解像度版のpdfを選んで、出てきたpdf画像を「“iBooks”で開く」を使ってiBookに送りこみました。

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iBookで開いた図録はこんな感じ。
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紙の図録に比べて画面サイズが小さいので、ちょっと読みづらいかもしれません。
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だがしかし、ピンチインで画像を拡大すると、写真の文字まではっきり読めるんです。動作も軽いですから自由自在にページを移動できます。タブレットならではの使いかたですね。
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ちなみに、図録掲載写真は高精細画像を除いて、職員が撮影・加工しています。それなりに見やすい画像になっていると自負していますが、拡大してあらが見えてもご容赦ください。
また、地図などの大判資料は拡大しても細かい字までは読めないかもしれません。電子展示のページから所蔵を検索して高精細画像でご覧ください。
今回一番大きな地図の高精細画像はこちら「弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之圖」

とはいえ写真は写真。加工も専門家がやっているわけではなく、図録できれいに見えることを優先したので、紙の黄ばみ具合や墨の色合い、よごれ等は正確に再現されていませんし、紙の質感や筆遣いなど実物の迫力は別物です。是非、会場でご覧ください。
やっぱり紙の図録じゃなきゃという方もどうぞお越しください。図録は無料配布です。

お待たせしました!
11月2日の記事でご紹介したギャラリートークの模様をお届けします。
ギャラリートークの講師は、昨年の特別展でも講演会にギャラリートークにと大活躍された、人文社会系准教授の山澤学先生です。先生は附属図書館の研究開発室の室員でもあり、今回の企画展でもアドバイザーとしてご参加いただいています。
当日は風邪をひかれていたとのことでお話しするのも大変だったかと思いますが、それでも1時間近くにわたって楽しいお話を聞かせてくださいました。

本日はまず前半部分をご紹介。
「グーテンベルク42行聖書」「北野天神縁起」「平家物語」など、古典や歴史の教科書で聞いたことがある資料が続々と出てきます。ぜひご覧ください。
(下のURLまたは写真をクリックするとyoutubeのページに移動します)
http://youtu.be/Y4RPQ6R5yOg

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今回の展示の「第1部 いつかどこかで見た書物」は、教科書にもとりあげられているよく知られた書物を中心に展示していますので、ご観覧の皆さんも文字通り「いつかどこかで」見たことのあるものが多いことと思います。
でも、その第1部の中で、「あれ?」と思う本はありませんでしたか?
「あれ?」の意味をどうとるかで、人により「あれ?」と思う本はいろいろあるかも知れませんが、ここでは書名の問題を二つとりあげてみましょう。
一つ目は展示番号6番の『前田本枕草子』に付随して「参考」としてあがっている『清少納言』です。

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「清少納言って、枕草子の作者だったはずだけど、なぜこれが書名になってるの?」と疑問に思われた方はいませんか? 
展示されている本の冒頭には、何も書名らしいものは見当たらず、いきなり本文が始まっていますが、図録に掲載されている表紙の写真を見ると、「清少納言 一」と書かれた紙(題簽・だいせん)が貼られていることがわかります。この題簽は「書き題簽」、すなわち筆で書かれたものなのですが、この本は当館では貴重書に指定されているので、OPACで検索すると電子化画像があることを示すアイコンがあり、そこからカラーのデジタル画像を見ることができます。この画像によって各冊の巻末を見ると、たとえば「清少納言 一」の巻末には「清少納言巻一終」と刷られており、『清少納言』が書名として扱われていることがわかります。
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『源氏物語』をはじめ、日本の古典には、もともとどういう書名だったのか明らかではないものがたくさんありますが、『枕草子』についても書名の表記が異なるものがあります。田中重太郎は『枕冊子』(日本古典全書、朝日新聞社、第24刷1973年)の「解説」で、「清少納言枕冊子は古来つぎのやうに呼ばれてゐる」として、「清少納言枕草子」「清少納言草子」「清少納言記」など9種類の呼称をあげていますが、この中に「清少納言」と「枕草子」もあがっています。そして田中自身は「原義に即してもつとも正しいと考へられる」『枕冊子』を書名として採用しています。
また『枕草子 紫式部日記』(日本古典文学大系、岩波書店、1958年)の解説でも書名の問題に触れられていますが、「古写本についてみると、その外題においても、内題においても、雅嘉のいうが如く「清少納言」と称した称呼をもつものは、ほとんどない。江戸時代も中期に下った、所謂慶安版本に「清少納言」とあるのみである」と書かれています。しかし、今回参考展示した古活字本『清少納言』は、寛永年間(1624-44)の出版と推定されており、慶安年間(1648-52)よりも前の時代のものですが、先に述べたように巻末に「清少納言巻○終」の記述があるのは興味深いところです。
この問題はかなり専門的な話となりますので、ここではこれ以上は立ち入りませんが、『枕草子』には『清少納言』という書名で出版されたものもある、ということを確認しておきたいと思います。
二つ目は展示番号7番の『土左日記』です。
これも『土左じゃなくて土佐じゃないの?』と疑問に思われた方もいるかもしれませんね。これに付随して「参考」としてあがっている万治刊本は『土佐日記』という書名になっているので、余計に不思議(不審?)に思われた方もいるでしょう。
これについて鈴木知太郎は、『土左日記』(岩波文庫、岩波書店、1979年)の「解説」で書名について以下のように記述していますので、少し長くなりますが引用してみましょう。
 「今日一般には「土佐日記」と書かれるが、前田家蔵本(藤原定家自筆本)・青谿書屋旧  蔵本・(略)・三条西家旧蔵本等、信ずべき古写本の外題や奥書には、いずれも「土左日記」とあるので、古くは「土左」の文字があてられていたものと思われる。この書名は作者たる紀貫之がみずから名づけたものか否かは明らかではないが、前田家蔵本に付せられた定家自筆の奥書に「紀氏自筆本」の体裁を記した部分があり、そのなかに、「有外題 土左日記 貫之筆」とあるのを信ずれば、「土左日記」という書名は貫之自身の名づけるところで、しかも「紀氏自筆本」には、自筆で、「土左日記」と外題が記されていたということになろう。」
岩波文庫が書名として「土左」を採用したのは、このような理由があったからですが、展示番号7番の『土左日記』は、まさにこの解説に出てくる前田家蔵本(藤原定家自筆本)の複製本ですので、我々の展示でも「土左」を採用しています。
日本の古典籍の書名の確定は、それ自体が研究の対象になるような重要な問題ですが、今回の展示のような、原本あるいは原本そのままに複製された複製本を見ることができる機会があれば、一見単純に見える書名にもいろいろな話題があることを思い起こしていただければ幸いです。
(篠塚 富士男)

本日は企画展の目玉企画のひとつ、特別講演会が開催されました。
ぐずついたお天気の中、週末のキャンパスはひっそりとしていましたが、講演会には30名余りの方に来場いただき、皆さん熱心にお話を聞いていらっしゃいました。
講師は人文社会系の谷口孝介先生。
企画展のテーマの一つである複製本について、『御堂関白記』や『管家伝』、『土左日記』などの複製本を例に、その意義や使われ方についてお話をされました。

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『御堂関白記』に用いられた暦の話や道長の書き込みのこと、『管家伝』の複製本を刊行した尊経閣叢刊の話、『土左日記』に見る藤原定家の筆遣いや紀貫之自筆本の臨模の話など、次々に読み解かれていくお話に来場した皆さんの知的好奇心が大いに刺激されたのではないかと思います。
講演の後は展示室に移動してのギャラリートーク、ここでも展示資料を見ながら皆さん熱心にお話を聴いており、終了後もいろいろと質問が続きました。
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講演会の様子は後日YouTubeでご覧いただける予定です。

本日、永田学長と5名の副学長に企画展をご観覧いただきました。
谷口先生の説明を興味深く聞かれ、展示物をじっくりとご覧になっていました。
<ご観覧の様子>

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今回展示している『土左日記』は、あの有名な冒頭「をとこもすなる日記といふものを・・・」とは異なり、「をとこもすといふ日記というものを・・・」で始まるのですが、永田学長はその違いにすぐお気づきになっていました。さすがです・・・!
谷口先生、ご説明ありがとうございました。
「ずっとここに居たい」と学長がおっしゃるほど心地の良い空間の企画展は、11/21(金)まで開催しております。
また、11/9(日)13:30から中央図書館集会室にて谷口先生の講演会も予定しております。
一度企画展に来られた方も、まだの方も、ぜひ足を運んでみてください!

企画展もいよいよ中盤、折り返し地点にやってきました。ご来場者の皆さまからいただいたアンケートをいくつかご紹介します。
○ 高校生で古典をやっているのですが、実はあまり興味がありませんでした。けれども、授業で触れた書物を実際見て、書物の質感や字体を知り楽しむことができました。
○卒業生なのですが、印刷術の歴史をテーマに論文を書いていたので、グーテンベルクを中心にわくわくする書物ばかりでした。
○高校日本史でお馴染の史料があったのは楽しかったです。
○よく知っている資料が大学の所蔵品であることに驚いた。
○なまず絵がとても楽しかったです。図録等でみたことはありましたが、やはり実物を見ると和紙や絵の具の質感が楽しめて、本当に来て良かったと思いました。
○なまずの浮世絵がもっと見たい。
○キャプションをもっと分かりやすくかみくだいた表現で書いてほしい。
○「もっと知りたい!」という思いをかきたててくれる展示だったと思います。
○『みだれ髪』など、個人的に好きな本についての展示も多く、とても親しみやすく、ひとりの本好きとしても楽しかったです。
○以前の展示も拝見させていただいたのですが、小規模の展示であっても、丁寧に解説のついた充実した図録が用意してあるのは、見る側としては、とても嬉しいです。是非、このスタイルのまま続けていってほしいと思います。

なお、11月9日(日)には人文社会系教授の谷口孝介先生による特別講演会「図書館を飛び出した書物たち」を予定しております。今回の展示では、定家本『土左日記』などの貴重な複製本を展示しておりますが、谷口先生は複製本の効用をめぐっての講演をされる予定です。館内向けギャラリートーク等で一足早く先生のお話を耳にした方からは、以下のようなご意見がありました。
○複製本の話は、自分の今までの考えとは異なり(複製だからどんどん使ってもらってよいと考えていました)、大事にしてく必要があるものだと認識しました。特に当館は尊経閣叢刊がほとんどあるということも貴重な財産だと思いました。
○「複製本」の意義を考えさせられました。現在研究している分野にも関連する所なので、とても有意義な時間になりました。

谷口先生の講演会は、11月9日(日)午後1時30分から中央図書館2階集会室にて開催予定です。どうぞお楽しみに!

本日は、人文社会系准教授の山澤学先生によりギャラリートークでした。
学生さんや学外の方、中の人など、26名の参加がありました。
展示物を実際に見ながら、時折笑いが起こる和やかな雰囲気の中、あっという間の1時間でした。

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なお、このギャラリートークの様子は、後日公開する予定です。お楽しみに!