Readingバトン(北川 博之 システム情報工学研究科長)

Readingバトン
北川先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(元)館長吉武先生中山(前)館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生谷口先生寺門先生和田先生徳永先生菊池先生西川館長に続く第27走者として、北川 博之 システム情報工学研究科長から寄稿いただきました。



ビッグデータと人工知能
Pick Up

『ビッグデータと人工知能 : 可能性と罠を見極める』西垣通著 ; 東京 : 中央公論新社, 2016.7【081-C64-2384】

Book Review
 今日,「ビッグデータと人工知能(AI (Artificial Intelligence))」が世界的に大変注目されている.我が国においても,次代の技術,産業,社会を担うキーワードとして,大きなうねりとなって関心を呼んでいる.そのような背景の中で最近出版された本書は,これらのキーワードが表すものの本質は何なのかを分かりやすく示すと共に,「人工知能が人間の仕事を奪うことになるのか」といった巷で良く聞かれる疑問に対して,著者の見解を示している.まず最初に,ビッグデータへの期待と課題について触れた後,専門外の人にも認知されつつある機械学習と人工知能について述べている.コンピュータの歴史において,人工知能が大いに注目を浴びるのは,これが三回目である.著者は,過去の二回の人工知能ブームと比較して,今日の人工知能の中核が,ビッグデータとそれに対する統計・学習にあることを明らかにする.次に,今日の技術の発展の中で,数十年のうちには,シンギュラリティ(技術的な特異点)が到来し,人間の知能に相当する「汎用人工知能(Artificial General Intelligence)/AGI」が実現するという「シンギュラリティ仮説」を紹介する.その後,欧米における伝統的な人間観も踏まえつつ,人間とコンピュータ(機械)の本質的な違いがどこにあるのかという視点から,この仮説を痛烈に批判する.さらに,ビッグデータとも関連性の深い集合知の活用の重要性について述べる.最後に,今後重要なのは,人間を支える技術としてのビッグデータ,人工知能,集合知であるとし,その意味で必要な人工知能はAIというよりもIA (Intelligent Amplifier)であるとしている.
 本書は,注目の高い「ビッグデータと人工知能」を専門外の読者にも分かりやすく説明するだけではなく,それに対する過度の期待を戒め,人間社会がそれらの技術とうまく向き合う方向性を示した著書として,幅広い読者に薦められる本である.著者がシンギュラリティ仮説に対して,「目標設定は『知能』の重要な一部であるが,人間においては目標設定は最終的には『生きる』ということが根拠になっている.一方,機械にはそのような価値観は無縁である.」という見解を示して批判している点は,印象に残るものであった.

■次回の更新は調整中です。


Readingバトン(番外編&展示のご紹介)

ReadingバトンReadingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
今回は番外編、第23走者の生命環境系和田先生からのご紹介で生物科学専攻と生物学類の学生2名から寄稿いただきました。
(2015年11月18日(水) サイエンスライティング講座発表会で発表済みです)
番外編
▼ 竹股ひとみ(生命環境科学研究科生物科学専攻)
▼ 高木亮輔(生命環境学群 生物学類)

▼ 新入生歓迎展示「ツクバ春のホン祭り ~走り出す君へ!~」




火の賜物
Pick Up

『火の賜物 : ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム著 ; 依田卓巳訳. NTT出版, 2010.3【469.2-W92】

Book Review
女性が料理をすべき、との考えはなぜ生まれたのか?
 料理をするということ、それは、人間なら誰もが生きる上で欠くことのできない行為です。しかし、これほど男女平等が叫ばれている現代においても、「料理は女性が行うべき」という考えは世界中の国々でいまだ根強く残っています。プロの料理人には男性もいるし、料理が苦手な女性もいるのに、なぜそのような考えが定着したのでしょうか。著者であるリチャード・ランガムは、本書のなかでその理由を模索しています。料理という行為が誕生した際の、人間の男女に生じた行動の変化が手がかりとなるようです。

料理の誕生と、それがもたらした男女の役割分担
 リチャード氏はハーバード大学生物人類学教授で、ピーボディ博物館霊長類行動生物学主幹を務めており、チンパンジーを始めとした霊長類文化の研究を専門としています。リチャード氏は本書で、文化人類学の視点から次のように述べています。

「私たちの先祖がまだ火の利用を行っていなかった頃、彼らは一日の大半を食べ物の咀嚼に費やさねばならなかった。しかし火の利用を習得し料理を覚えると、食べ物がやわらかくなったため咀嚼に要する時間が短縮した。すると彼らはより多くの食べ物を得ようと体力のある男性が遠くまで狩りに行き、その間女性は家の周辺で植物などの採集をして食いつなぎながら男性の帰りを待つようになった」。

これは、料理の誕生によって男女の役割分担が生じたことを解説しています。その分担の定着が男女観の形成にも影響を与えた、という考えに、私は驚きを覚えました。加えて、次のような説明も述べられています。

「男性は狩りから帰宅すると獲物を女性に渡し、狩りの疲れを癒やすために休憩する。一方で女性は受け取った獲物を料理して家族に分け与える。男女双方がより多くの食べ物を得られるというメリットを共有できたためこの分担が定着し、その結果として料理は女性がするものだという考えが広まった」。

料理をしていると周囲の男性が群がり食べ物を奪う等の危険性があるため、女性たちはそれを回避しなければなりませんでした。そのために特定の男性と協力関係を結んだのではないか、とも本書の中で示唆されています。それが、結婚制度の始まり―—とても意外です。

料理についての様々な考察
 このように、男女観一つとっても、料理の誕生が人類に大きな影響を及ぼしたようです。
ほかにも本書では、生食主義者(食物をできる限り調理せずに摂取する人々のこと)が栄養不足であるという指摘から始まり、料理と人類の体や脳の発達の関係、料理が我々にもたらすエネルギーなど、料理に関して様々な点から論じており、勉強になります。
 すべての事象を料理と結びつけているために、ややこじつけのように感じる部分もあるかもしれません。ですが、料理という日常的な一つの行為が、実に様々な点で人類の発展と結びついている、そんなことが随所で示されている本書は、非常に奥深く興味深いです。

読めば料理がもっと楽しくなる
 私は本書を読んでからというもの、料理をしている際に人類の発展へと思いを馳せることが多くなりました。このたった20分で作ったチャーハンも、どこかで人類の発展と関係しているのかな…などと想像をめぐらせながら料理をするのは、なかなか楽しいものです。日々当たり前のように行っている料理だとしても、あなたも本書を読んだらきっと、ロマンを感じることができるでしょう。

竹股ひとみ(生命環境科学研究科生物科学専攻)




植物は<知性>をもっている
Pick Up

『植物は「知性」をもっている : 20の感覚で思考する生命システム』ステファノ・マンクーゾ, アレッサンドラ・ヴィオラ著 ; 久保耕司訳. NHK出版, 2015.11【471.3-Ma43】

Book Review
花壇に潜む知性の秘密とは
植物が知性をもつ――。初めて目にすると、俄かには信じがたいが、その考えは見事に覆される。読み終えて、「植物は知性をもっている」と納得させられてしまった。人間は、植物を知的な存在として受け入れ難い。植物は「動かない」、「感覚をもたない」と考えるためだ。本書は、古代ギリシャから続く伝統的な固定観念を疑問視し、魅力的な論を展開していく。植物を純粋に科学すれば、植物が動き、感覚を持つことは自明だという。

植物は「動く」
著者は、イタリア人の植物生理学者ステファノ・マンクーゾである。フィレンツェ大学国際植物神経生物学研究所(LINV)の所長で、「植物の知性」の分野を代表する研究者だ。また共著者のアレッサンドラ・ヴィオラは科学ジャーナリストであり、難解な内容も理解しやすく伝えてくれている。「神経」というと、哺乳類や昆虫類に対してイメージしやすい。これら動物の体内に神経細胞が存在し統合して、情報伝達を担う仕組みを持つからだろう。一方で、神経細胞を持たない植物に対しては違和感のある用語だが、あえて植物の生理的な仕組みに対して「神経」という言葉を用いるのは、現代の生命科学が、植物を動物と同等に扱うようになってきた証拠なのである。
植物は、酸素や栄養を供給する必要不可欠な存在である。しかしこれだけでは、植物への認識は全く不十分であるようだ。筆者は、「私たちの植物への理解を妨げている原因は、動物と植物の間にある生活スタイルや体構造の大きな違いである」と述べている。
動物と植物は5億年前に進化の枝を分かち、動物は他の動植物を探して食べることで栄養を摂取する「移動」、植物は与えられた環境から栄養を引き出す「定住」、を選択した。このことが体構造の違いまでもたらしたらしい。動物は動くことを前提として、脳や心臓といった器官に重要な生命機能を集中させた。一方で植物は、移動しない生存戦略を選び、体の一部を失っても問題のない、機能を分散させたモジュール構造の体を作り上げた。植物体は分割可能なパーツの組合せであり、ネットワークがそれをつなぐ。さながらレゴブロックのような構造であるという。
加えてもう一つ、植物を的確に理解するにあたり障害となっているのは、時間の尺度が大きく異なることだと述べられている。植物の動きは人間からすると非常にゆるやかであり、動いていると認識できないほどなのだ。私たちの視点が動物の視点であることを強く自覚するべきなのだろう。事実、開花の早送り映像を見たことがある人は、植物は動く、と実感できたはずだ。

定住者の生存戦略
さらに著者は、植物も「感覚」を備えていることを明らかにする。思わず「ちょっと待って!」と異議を唱えたい人もいるかもしれない。ところが、視覚を例にとると、これを「目で見る能力」ではなく、「光を知覚する能力」と考えれば、植物は視覚を持つといえる。同じように捉えると、植物は人間の五感をきちんと持っているのだ。
例えば、食虫植物のハエトリグサが好む昆虫だけを捕食するのは、まさに触覚や味覚の現れであると示されている。驚くべきことに、五感に加えて重力を感じる感覚など十五の感覚を有する(しかもそのための個々の器官なくして)ようだ。植物は定住して生きていくために、多彩で鋭い感覚を持っているという。
さらに植物は「コミュニケーション」をとる。著者によると、これがメッセージを発信者から受信者に伝えるという意味合いであり、その上で植物体内や植物体間、植物と動物の間においても、コミュニケーションが行われているというのだ。植物の個体内には多数の「情報処理センター」があり、各々が必要な場所に刺激の情報を統合し、直接信号を送ることができるらしい。また個体間のコミュニケーションでは、放出される複数の化学物質を言語として用いているというのだ。草原の中で他の植物と競って根を伸ばしたり、昆虫に受粉の手伝いをさせたりと、植物はコミュニケーション能力を発揮している。私たちが花を買って花壇に植えることでさえ、植物の驚異的な操縦能力の結果だというから、花壇に植わっているパンジーを見る目が劇的に変わること必至だろう。

そこに知性がある
それにしても、そもそも知性とは何なのか――本書は、難解かつ重要な問題提起に挑んだ。ここでは、「知性は問題を解決する能力である」と再定義し、議論を進めている。植物は、大量の環境からの情報を記録し、そのデータを基準としてあらゆる生命活動に関わる決定を下しているのである。この事実の実証にいち早く動いたのは、かのチャールズ・ダーウィンであり、根の先端部である根端の並外れた感覚能力に気付いたという。根端は、外部の刺激を感じ取れるだけではない。刺激を絶えず記録し、植物の各部と個体全体の要求に応えて計算を行い、その結果に応じて根を伸ばしていくのである。これを知性と呼ばずに何と言おうか。
著者は、各根端が集合的に機能を発揮するネットワークの一部であり、知性を分散させる戦略をとっていると述べる。この戦略は飛ぶ鳥の群れによくみられ、個々にはない性質が全体として現れる「創発」と呼ばれる現象が観察されるという。渋谷のスクランブル交差点でぶつからずに歩くことも、創発で説明されうる。動物では個体の集合で群れが形成される一方で、植物は、一個体が多数の根で創発行動を起こす一つの群れと考えられるのである。

新・植物時代の到来
本書を読めば、著者の明快で論理的な説明と情熱的な語り口によって、読者は植物の無限の可能性に思いを馳せることだろう。これまでの植物がもたらしてくれた恩恵への畏敬の念が生まれ、これからの植物に「支配」される豊かな未来が眼前に広がるはずだ。植物の知性は、私たちの社会をよりよく変える力も持っているのだという。応用的な技術開発が進んでおり、その中でも面白いのは、アンドロイドに続くロボットである、プラントイド(植物型ロボット)だ。動物とは異なる植物の特性が今後必ず活かされていくに違いない。洗練された知的生命体である植物との新たな出会いに、ワクワクが止まらない。

高木亮輔(生命環境学群 生物学類)



ツクバ春のホン祭り

ツクバ春のホン祭り

ツクバ春のホン祭り

ツクバ春のホン祭り

ツクバ春のホン祭り
Before

ツクバ春のホン祭り
After

2016年4月6日(水)~5月8日(日)、中央図書館本館2階ラーニング・スクエアのギャラリーゾーンにて春の特別展示を開催しました。展示のタイトルは「ツクバ春のホン祭り ~走り出す君へ!~」。新年度のスタートを切るのにふさわしい本の数々が、レビューを添えて展示されました。
展示されているのは2011年12月から附属図書館ラーニング・アドバイザー(LA)の皆さんによって続けられている、ブクログを用いた推薦図書紹介「筑波大学附属図書館ラーニング・スクエア☆学習支援の本棚」。そして2010年6月から各分野の先生方によって紹介されてきた「Reading バトン-教員から筑波大生へのmessage-」内の選りすぐりの本たちです。展示作業中から通りすがりの学生・新入生の皆さんが足を止めてじっくり見て行ってくれました。もちろん貸出も可能で展示後半には、特にReadingバトンの棚の本はほとんど借りられてしまうほどの盛況ぶりでした。

■次回の更新は6月下旬を予定しています。


マナーアップキャンペーン「図書館の本はみんなのもの」

附属図書館では、資料の延滞や書き込み等が多いことから、マナーアップキャンペーンを企画しました。
どのようなことが迷惑行為にあたるかを描いたポスターや、汚破損資料の現物をPOPつきで展示しています。
水にぬらしてしまった本をよみがえらせる方法もご案内しています。
場所:中央図書館メインカウンター前
期間:2016年1月8日(金)~1月31日(日)

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今回は、なんとオリジナルキャンペーンソングがあります!
中央図書館夜間カウンターの学生アルバイトが、バンド “The Librarians” を結成。
彼らの切実な願いが綴られたオリジナルソング『17時過ぎのイレイサー』
YouTubeで視聴できますので、ぜひお楽しみください♪

http://youtu.be/0OZ01yMUBew

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”One For All, All For One”
筑波大学附属図書館の資産を大切に使いましょう。
また、卒業・修了・退職を控えた皆様、図書館資料の返却をお忘れなきようお願い致します。


Readingバトン(和田洋 生命環境系教授)

Readingバトン
和田先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(前)館長吉武先生中山館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生谷口先生寺門先生に続く第23走者として、和田洋 生命環境系教授から寄稿いただきました。



マインド・タイム : 脳と意識の時間
Pick Up

『マインド・タイム : 脳と意識の時間』ベンジャミン・リベット 著 下條信輔 訳. 岩波書店, 2005.7【491.371-L61】

Book Review
シュレーディンガーの最後の砦への挑戦

自分が「生きている」ということを実感していない人は少ないだろう。毎朝起きるたびに、「今日も生きている」と喜べることは(年齢のせいか)減ってきているにせよ、「生きていること」の裏返しとしての「死への恐怖」というのは、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないか。
 評者は生物学類で進化生物学を教えている。生物学は、文字通り生物を研究する学問である。にもかかわらず、生物学者は、未だに「生物とは何か」という、シュレーディンガーの掲げた問題に明確な答えを出すことができていない。我々の感覚の中に深く根ざしている「生きている」という実感を、未だに言葉に写し取ることができていない。シュレーディンガーの「生命とは何か(岩波新書)」以来、さまざまな定義が試みられてきたが(モノー「偶然と必然」みすず書房、福岡伸一「生物と非生物のあいだ」講談社現代新書など参照)、分子生物学の進展により、生命と非生命の境界は、どんどん薄れていっているように思われる。我々が生物学として教えている内容は、生命現象も、分子と分子の相互作用できちんと説明できる、つまり化学的、物理学的現象の延長として理解できるのですよ、ということばかりだ。生物学は、むしろ「生きている」ということと生きていないことに本質的な違いはないと説くかのようだ。
 しつこいようだが、私には「1個体」として、生を全うしているという実感がある。しかし、物理学的、化学的には、この「1個体」という単位すらあやしくなる。我々の体を構成する細胞の多くは日々置き換わっている。臓器によって置き換わるタイムスパンは異なり、例えば脳の神経細胞などはほとんど置き換わらない。しかし、神経細胞を構成しているタンパク質などは常に置き換わっている。生物の「1個体」としての連続性は、物理学的、化学的にはどう担保されているのだろう。おそらく、ハードではなくソフトなのでしょう。そう、「1個体」としての生の連続性は、我々の意識にしかないのかもしれない。
 物理学的、化学的には説明できていない生命現象として、最後の砦の一つは、この意識だ(評者は進化の歴史の創造性ももう一つの砦だと思っている)。しかし、もちろん意識もアンタッチャブルではない。リベットによる「マインド・タイム」は、この砦も崩されつつあることをひしひしと感じさせてくれる。無意識に始まる脳の活動が、意識に捕らえられ「気づき」に至るまでには時間の遅れがあることが綿密な実験によって示される。この遅れに潜む脳の活動こそが意識の物理学的、化学的な基盤になるのか。「意識はいつ生まれるのか」亜紀書房などの類書とともに読み進めると、「生きている」ことの最後の砦の一つにも小さな穴が開きつつあることに気づくだろう。意識が解体されたとき、我々はどのような生命観をもつのだろう。

■次回の更新は12月下旬を予定しています。


Readingバトン(梅村雅之 計算科学研究センター長)

Readingバトン梅村先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(前)附属図書館長吉武大学研究センター長中山附属図書館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生>、池田先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生に続く第18走者として、梅村雅之 計算科学研究センター長から寄稿いただきました。


自然界の非対称性 : 生命から宇宙まで Pick Up

『自然界の非対称性 : 生命から宇宙まで 』フランク・クロース著、はやしまさる訳. 紀伊國屋書店, 2002.3【分類404-C79】

Book Review
 この自然界は非対称性に満ちており,もし自然が完全に対称だったら,宇宙も生命も存在しなかった。本書は,素粒子の世界から生命・宇宙まで,自然界の成り立ちを司っている非対称性の構造と起源に迫った好著である。
 私たちは,物質世界に住んでいる。当たり前と思っているかもしれないが,宇宙の始まりに物質は存在しなかった。あったのは光だけである。高エネルギー加速器実験で,非常にエネルギーの高い光を互いにぶつけると,“物質”と“反物質”が等量生まれる。物質と反物質は再度出会うと互いに消滅して光に戻ってしまう。宇宙の始まりで起きていたことは物質と反物質の生成であり,この対称性が厳密に保たれたとすると,現在我々が住んでいる物質(のみの)世界は作られなかったはずである。我々が物質世界にいるということはこの対称性が破れたためなのである。
生命現象に目を向けると,生命体の基本分子であるアミノ酸には,化学的な性質が全く同じ左巻き(L型)と右巻き(D型)が存在するが,地上の生命はなぜか左巻き(L型)のアミノ酸しか使っていない。これを,鏡像異性体過剰ないし鏡像非対称性という。鏡像異性体過剰は,19世紀のパスツール以来100年以上にわたって謎になっている。その起源を宇宙に求める説がある。1969年,オーストラリアのマーチソン村に隕石が落下し,その隕石からアミノ酸が検出され,そして鏡像異性体過剰が確認された。宇宙空間で作られたアミノ酸が隕石と共に地球に運ばれて生命の起源となり,L型のアミノ酸だけからなる生命が誕生したというのが宇宙起源説である。(我々の研究室でもこの宇宙起源説の研究をしている。)
 本書では,この他にも,原子・原子核,人体,銀河における非対称性に至るまで,興味深く説明されている。この本を通して,自然界の非対称性の意味と,自然の奥深さを知ってほしい。

■次回の更新は6月下旬を予定しています。