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図書館は “大学のハート”である

山本順一

 大学図書館は‘大学の心臓部’(the heart of the University)であるといったのは,ハーバード大学の 学長チャールズ・ウィリアム・エリオット(Charles William Eliot 1834-1926)である.彼がハーバード大 学の学長になったのは1869年,35歳のときであ る.1909年までなんと40年間その職にあった.ハー バードを2番で卒業した彼は母校に残り教壇にたつ が,1863年から2年間のヨーロッパ留学の後,マサ チューセッツ工科大学の化学教授となる.1869年に フランシス・H・ストーラー(Francis H. Storer) と共著でロングセラーとなった化学分析マニュアル を書いている.化学者の彼がハーバード大学の学長 に起用されたきっかけは,アメリカとヨーロッパの 教育に関する彼の著述が世間の注目を集めたことに よる.
 彼がハーバードの学長になった頃,オックスフォ ードやケンブリッジをモデルとしていたアメリカの 高等教育は大きな曲がり角にあった.ラテン語で書 かれた古典の暗唱を内容とする当時の大学教育に対 して,遅まきながらおかしいという気運が支配的に なりつつあった.そして,1876年,メリーランド州 ボルチモアに新設されたジョンズ・ホプキンス大学 がその後の大学改革の方向を明示することになった. 同大学は,アメリカで本当の意味での最初の大学と もいわれる.この大学はドイツに範をとり,大学院 に重点をおき,ゼミナール方式を取り入れた実証的 な教育研究を行った.エリオットのひきいるハーバ ードは,ただちにジョンズ・ホプキンス大学の後を 追った.
 苔むしたカリキュラムを見直し,多くの選択科目 を導入した.科学もカリキュラムに取り入れられた. 1892年には,英語と現代諸言語だけを必修とする画 期的なカリキュラムとなった.このような教学面で の大改革は,それまで学生たちが利用する必要のな かった大学図書館の役割を大きく変えた.
 エリオットは,1877年,ジョン・L・シブレー(John Langdon Sibley 1804-1885)に代えて,ジャステ ィン・ウィンザー(Justin Winsor 1831-1897)を 図書館長にすえる.ボストン公共図書館長を経てハ ーバードの図書館長に就任したウィンザーは,オッ クスフォード型の教育に飽き足らず一旦はハーバー ドを中退した経験をもち,エリオットの行ったカリ キュラムの自由化を含む改革のもっとも良き理解者 であった.
 彼は,開館時間を延長し,それまで禁じられてい た学生の書庫への出入りを認めた.授業の効果を高 めるために指定図書制度の拡充も行った.他館との 相互貸借にも前向きに取り組み,ボストン・ケンブ リッジ地区の図書館の逐次刊行物総合目録を編纂し た.図書館の入っていたゴア・ホールの環境整備に も努め,1895年には図書館に電灯がともるようにな った.また,ハーバードのキャンパスには沢山の小 さな部局図書館が散在していたが,ウィンザーはそ れらを今日風の言い方をすれば中央図書館を中心と した図書館ネットワークにしたてあげた.このウィ ンザーは10年にわたり初代のアメリカ図書館協会長 を務め,1897年にも再度会長に選ばれた当時の図書 館界の第一人者であるだけでなく,歴史学者として も著名でみずからその創設に尽力したアメリカ歴史 学会の会長をも務めている.歴史上,代表的な学者 図書館員(scholar‐librarian)のひとりである.
 ウィンザーに‘心臓’である図書館をまかせたエリ オットは,その在任期間のあいだに3つの学部を増 設し,教授陣を10倍,学生数を4倍に伸ばし,ハー バードを世界で最高の大学のひとつに押し上げた.


本学教授
The Library is "the Heart of theUniversity", by Jun-ich YAMAMOTO