竹内
この館報の10周年記念特集に,私は「これからの10年」という一文を草して,「図書館で大事なのは人だ」と書いた.実は今回改めてそれを見せられて,オヤオヤと思ったのだが,でもその考えは今も変わらない.大学図書館員は,教育と研究を本務とする人たちへのよきパートナーとして,また学生へのよきガイドとして働く事が期待される.この考えは1950年代の日本の大学図書館界で主張され,ある私立大学では独自に,司書とは教授相当,司書補は助教授相当と定めたほどである.しかし,戦後の混乱が収まり,図書館が整備されるにつれて,教育と研究に対する図書館員の影が薄くなってきたように思う.今はどうだろうか.私は国立大学図書館の集会でこのパートナー説を唱えたこともあったし,当時の東京大学図書館長も図書館員の海外留学や研修を強く主張されたが,大きく変わったという話は未だ聞かない.いったん定着したイメージを変えるのはどの分野でも難しいが,人の仕事を支えるというこの仕事では,特に困難だという気がする.
それは,単に大学図書館の中の問題ではなく,社会の中で,図書館の仕事あるいは可能性がどう理解されているかによる.そこで,従来のイメージを変えるのには,各方面にわたる長い長い努力の積み重ねが必要なのだと思う.
その努力を既に数年積み重ねて,司書という仕事が教育の中に定着し始めたところがある.岡山市と,箕面,豊中をはじめとする近畿地方の自治体の学校図書館がそれである.それぞれに学校司書を配置し,教師と司書とによって,学校図書館を教育の中に再生させるという実践を積み重ねて来た.この成果に学んで,学校司書を置く市町村が各地に現れている.
岡山市の学校図書館に見学に行ったとき,壁に次の3カ条が貼ってあったのを見つけた.
図章館のちかい
◎ みんながよみたい本をよめるようにじゅんぴをします.
◎ みんながしらべたいことを,本や資料でおうえんをします.
◎ だれがどんな本をよんでいるか,ひみつをまもります.
としょかんはこんなことをがんばったり,気をつけます.
この3ヵ条は,決して学校図書館だけのことではない.すべての種類の図書館の姿勢をはっきりと示している.しかもここには「逃げ」がない.資料の不備を利用者に指摘されて「何分にも予算が…」という逃げ口上を,私の実務時代に何度口にしたことだろうか.ここにそれがないのは「なければよそから借りて来てでも提供する」という実践と,サービス提供の強い意志の裏付けがあるからである.
さて,今年は20周年,あと10年すると30周年になる.その年には,今の小学校4年生が入学してくる.それまでに各地の学校図書館が充実し,公立図書館のバックアップも受け,司書教諭と学校司書とが協力して図書館の運営に当たるようになれば,生徒たちの図書館の使い方も,図書館員に対する期待も,今とは大きく変わってくることであろう.そのような社会的環境の中に,教育者・研究者のよきパートナー,学生のよきガイドとしての大学図書館員像が築かれるのではないだろうか.そういう30周年を私は大いに期待している.
終わりに一言,私の在職中,図書館員と市民及び学生のボランティアの方々が本学図書館のために一所懸命につくして下さいました.ありがとうございました.ここに改めて感謝の意を表します.
Once again, "For the Next Ten Years”, by Satoru TAKEUCHI
本学名誉教授