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附属図書館の20年

藤野  幸雄


 図書館情報大学の附属図書館は開館してから20年目に入った.この間,大学と同様にいくつもの大きな変化があったが,着実に蔵書を増やし,活動を続けてきたと言えるであろう.これは,かかってこれまで図書館の仕事を支えてきてくれた教官ならびに図書館職員のおかげである.
 20年間を支えた職員に感謝せねばならない理由の第一は,他の国立大学附属図書館と異なり,ここは夏の期間の大学図書館職員長期研修および司書講習を支えるため,一年間ほとんど開館しておかねばならない場であった.図書館の資料整備計画が三次にわたり引き続いて文部省からの支援を得られていることは,こうした活動によるものであろう.
 本学の附属図書館は,大学の開学とともに活動を始めた.すなわち昭和54年(1979)年10月,筑波での建築が進行中,図書館の設置計画がすでに開始され,第1次の資料整備6ヵ年計画に取り組んでいる. この計画の中心となったのは,図書館短期大学の図書館資料33,000冊の引き継ぎと,これを受けての将来計画であった.新しい時代の「図書館情報学」のためのコレクションをどのように構築してゆくか,期待とともに難題もいくつかあったはずである.
 実際に図書館業務が開始されたのは,昭和55年4月で,図書館に予定されていた建物はいまだ未完成であったため,現在は教室(104)となっている一階隅の部屋が仮の図書室にあてられていた.本館と研究棟が完成した昭和56年度からは,本格的に図書館サービスを開始しているが,ここには図書館業務の機械化ならびに市民に開いた公開図書室の開館への取り組みが含まれていた.図書館施設には,当時としては新しいメディア機器センターが付設されており,開学当初からメディア開発を視野に入れていたことを指摘しておく必要がある.機械化について,教官と図書館職員が協力してシステム開発に当たったこと,公開図書室の開設準備においては,教官と学生の協力が得られたことにより,新しい姿の附属図書館の活動が順調に離陸することになった.特に市民に向けた公開図書室の開設は国立大学としては初めての試みであり,最近でこそ市民への図書館開放が叫ばれているものの,本学ではすでにその実績を残していたことになる.
 図書館短期大学が閉鎖され,その図書館資料を引き継いでから,図書館も実質的なサービスを提供できるようになった.本学の附属図書館の目標は,全国の図書館活動のモデルを示すことであり,つねに他に先がけナて実験に取り組むことであった.現在にいたるも図書館への見学は外国からの客人を含め,きわめて多い.それは,図書館の開設から2年目にしてすでに大学図書館職員長期研修を開催しており,続いて司書講習も開設され,多くの図書館職員ならびに将来の図書館員が学ぶ場となっていたことに関連している.研修や講習の場で,進んだ図書館の姿を見せる必要にせまられていたからであった.こうした講習会の初期,当時としては珍しかった大型机一基ほどの大きさのワープロを実演して見せたことがある.技術の進歩はすばらしいもので,現在では考ええないような大型の機器でも,新たな仕組みとして当時の講習生の目を見はらせるものであった.
 附属図書館の機械化システムがLIAISONとして発足したのは昭和57年であった.このシステムは59年度には群馬大学にも移植されたものである.附属図書館の業務機械化はその後もさらに進み,本年3月にはディジタル図書館システムの開設にまでおよんでいる.こうした動きは,平成3年に設置された省令施設としての総合情報処理センターの支援があってこその話であった.本学のもう一つの特徴と言えるのは,附属図書館と情報処理センターとの緊密な協力関係であって,この問題に他の多くの大学が頭を悩ましている状況とは異なると言えるであろう.
 公開図書室が閉鎖になったのは平成2年(1990)12月であった.それまで8年半にわたって筑波市民に奉仕していたことになる.閉鎖になった理由は,6ヵ町村の合併により「つくば市」が出来,つくば市立図書館が近い場所に開館したことによるものであるが,これにより,特に児童室の利用状況の把握という実験施設の場は失われた.とはいえ,公開図書室を維持してきた経験は貴重なものであった.
 図書館の蔵書は現在のところ約19万冊に達している.年間約1万冊という年もあって,その整理には,教官研究費からの支援と非常勤の職員の手伝いに頼らざるを得ないこともあった.とはいえ,蔵書構築の計画はほぼ順調に進んできたと言ってよかろう.年々高騰する資料費を捻出できたのは,資料整備計画への支えがあったからであるとともに,雑誌購入にかかる教官からの理解があったからである.
 図書館コレクションの特徴となっている貴重書ならびに印刷文化史関係資料は,20年という年月にしてはよく揃えたものだと思う.西欧の初期印刷本など,点数は多いとはいえないが学生の教育に資するサンプルとしては揃えることができた.そして,本学の教育・研究に密着した資料群としての百科事典コレクションは,国内でも有数のものとして誇れるものであろう.この方面の資料収集に当たっては,歴代学長の理解と支援に負うところが大きかった.
 サービス面での実験的な試みとしては,土曜日開館および24時間図書館利用に取り組んだことが挙げられるであろう.この面でも他の国立大学に先がけているわけではあるが,本学の規模が小さいこと,学生アルバイトが得られやすいという有利な事情が背後にあるからであって,必ずしも威張れるわけのものではない.
 わが国の図書館は多くの問題を抱え,変革期にさしかかっている.解決すべき課題は山積しているといってよい.図書館情報学を研究の中心テーマとする本学にあっては,その答えを出してゆく責任があるだろう.さしあたり取り組まねばならないのは,図書館組織のありかた,保存システムの見直し,メディア開発による「コンテンツ」情報発信,担当する図書館職員の養成という21世紀の図書館が取り組むべき課題であろう.
 行政改革が差し迫っている現在,定員削減がすでに日程にあげられており,図書館だけがそれを免れるわけではない.図書館の管理システムの効率化のため,上記の課題はぜひとも実現せねばならないし,それらの課題が図書館全体のものであるがため,全国的なシステムとして構築されねばならない.
 本学では,新しい姿の大学院が構想されており,新たな情報メディア総合センター,保存科学センター,生涯学習教育研究センターが大学の将来像の計画に取り入れられている.これらを拠点とした研究開発を推進することにより,図書館の未来像を提示してゆくことこそ,本学の今後10年の実験となるはずであるが,それはやりがいのある仕事でもあろう.こうした意味で,本学の附属図書館は,これまでと同様,変化のなかで歩まざるをえないことになるであろう.しかし,たとえ試行錯誤があるにせよ,新たな実験を試みることは楽しいことでもある.
 大学が過去の20年に研究と教育の面で残してきた遺産は,次第に社会に定着しているように思える.卒業生は多くの大学図書館や公共図書館で働いており,その数は今後とも増加してゆくであろう.ある数ではあれ図書館職員を教育してきたこと,そして,長期研修や司書講習,近年では学校図書館司書教諭講習により,本学のいわゆる「シンパ」は増えているので,本学の開学当初の「知名度」とは比較にならないものがある.それは,図書館長研修等の開かれた大学としての本学の事業によるところが大きい.こうした「修了生」が学部・大学院の卒業・修了生と.ともに,自分たちの仕事の拠り所と見なすことができるよう.いつでも「ホームカミング」 ができるような場として,図書館の今後のありかたが今問いかけられているのではなかろうか.
 20年という歳月は長いようでいて,経ってみると短い.しかし,その間に大学の施設も充実してきたし,筑波の町も変わった.蛇が道を横断していたかつての田舎の風景はもう見られない.さりとて,20年後の姿などは予想もつかない.そのころに本学の図書館が 「図書館の図書館」となっているのか,あるいはまた,蛇が再び行き交う「兵どもが夢の跡」となっているのか,前者であることに希望を繋ぎたいが,そのためには,これからの一歩一歩,教職員と学生が一致して目標に向かうことがもっとも大切であろう.


ULIS Library‐Twenty Years-, by Yukio FUJINO
附属図書館長