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文献学の重要性

和泉 新

 昭和の三十年代であったと思う。日本橋の某デパートで中国唐代の詩人杜甫(とほ)の展覧会が開かれ,杜甫に関する文物がいろいろ展示された。いかにも杜甫の気性を連想する豪快な親筆?に混じって,前漢の揚雄(ようゆう)の力強い椿書も展示された。絵画や書の真贋を見定めるのは容易ではない。ただ,前漢の時代に楢書が存在したかという大間題を含む展示だったのである。
 図書の真贋鑑定も文献学や書誌学の領域の中では重要な問題である。九州のある図書館でカード目録を綴っていたら,漢の刊本がぞろぞろ現われた。これなどは真贋鑑定の問題とは言えない。刊本は木版を用いて紙に印刷したものであるから,漢代には存在しない。刊本の意味をよく知らない人が目録を作成したまでのことである。
 情報が地域限定的であったころは,知識はたまたま土地を訪れ目撃したものだけの所有するところとなった。そして人文の学問は人の知見に依拠して行うのが一般的であったが,なかなか問題を共有しにくいという事情が存在した。ところが近年の図書館情報ネットワークの進展によって問題は白日の下に曝された。
 平成7年福島の磐梯熱海で漢籍研究会第11回夏季研修会が行われ,駒沢大学の阿部博則氏によって重複書誌についての研究発表がなされた。学術情報センターのデータベースを検索すると,どうやら同じものらしい図書が何通りも現われる。学術情報センターでは書誌調整を行わず,従って利用者の判断力が問われるという。情報処理機器の発達と技術の開発により,居ながらにして,各機関の入力した情報の一覧というメリットを享受できる反面,今まで以上に文献学または書誌学(図書学)の力を貯え,実際の図書に対する認識能力を高めることが必要となったのである。図書館職員に認識能力がなければ,重複書誌の問題は解決されないであろう。
 昔は図書を研究する者は図書を買い漁った。文献学(書誌学)が物に即した学問であったため,片端から図書を購入できぬものはこの分野の研究を諦めざるを得なかった。ところが,今や図書の大方はすでに図書館の所蔵となり,たとえ裕福であっても市場に購入できる物がなくなった結果,研究の方法はがらりと変わった。図書館の蔵書で研究をすることになったのである。ただ,今は見れない図書もあり,図書のすべてを見ることができないため,先人の論文に教えを乞うことが多く,その結果,文献学(書誌学)はいよいよ難解になった。
 図書館情報大学20周年にあたり中国・日本・西洋の地域別の展示が企画され,改めて洋装について考える機会がもてたお陰で,物に即して研究することの重要さを今更に思い知らされたのである。
 明治の開国に当たって,欧米からものの考え方や習慣とともにさまざまの文物が渡来した。この時,西洋の 「洋」の字をかぶせ,もとから存在したものと区別して呼ぶのが慣わしであった。洋食,洋服,洋館などいずれも洋風,洋式の意味をこめたことばである。同じように洋装ということばがあった。
 洋装,和装のことばは人の服装のみではなく,図書の装訂にも用いられた。洋風の装訂を洋装,江戸時代以来の装訂を和装と呼んだのである。和風と漢風(唐風)とを合わせて「和」と呼ぶのはあまりにおおまかに過ぎたが,これは西洋を意識し過ぎた結果であろうか。ともあれ,図書の装訂に関する和装・洋装の呼称は,大学図書館においては現在なお一般的であり,そのことに疑念を挟む余地はなさそうである。
 ところで,洋装の特徴は数枚から十数枚を重ねて二つ折りし,折り目を糸で綴じたものを幾つも重ねて背中でかがり,背表紙をつけるところにある。この工程は現在はすべて機械で行われているが,数十年前までは手作業で行われたので,手工業的であるか機械制的であるかは洋装の本質ではなく,また背中の糸かがりが丸見えの,背表紙をつけなかったものもあった。明治期に渡来したこのような装訂の図書を洋装と称し,従来の図書を和装と称して区別したのであるが,実は和装の中に洋装の特徴を持つ装訂の図書があった。すなわち綴葉装(てつようそう)で,列帖装(れっちょうそう)ともいう。
 列帖に関して,田中敬は「列帖の綴方は洋式製本の綴方と酷似して,而も少しく異なるものである」(『図書学概論』)と述べたのは良いとして,「列帖は粘葉(でっちょう)の音の転調であり,大和綴じと同じ綴方である」とも述べている。先人の研究を折衷した結果,極めて難解な結論に達したと言える。
 実は綴葉装は洋装と基本的に同じ装訂法である。列帖は多帖と同種のことばで,洋書ではパーチメントの時代からあった。この装訂は機能的には写本に向いており,今日のノートの装訂に生きている。木版印刷に向く粘葉(胡蝶装)と同次元で論じるべきではない。綴葉装と言えば,京都仁和寺に所蔵される国宝『三十帖冊子』は遣唐使の空海が唐より持ち帰ったものであり,一般に粘葉または胡蝶装の現存最古のものとされる。ところが,粘葉または胡蝶装は唐代にはまだ一般的でなかった装訂である。そこで昭和60年春,特に許され手にとって調査することができたが,これはまぎれもなく唐代の綴葉装であって,粘葉ではなかった。そしてこれと同じ綴葉装が中国にも敦煌研究院に『金剛経』一部が現存する。パーチメントの装訂から綴葉装が生まれ,シルクロードを経て日本にももたらされたと考えられるが,そうであれば洋装は日本に再度渡来したことになる。
 なお,『三十帖冊子』は表紙にカバーをつけた形になっており,背中ごとくるまれているので外見からだけでは綴葉装と認識できない。


聖徳大学教授,本学名誉教授
An important aspect of bibliogaphy. by Shin IZUMI