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シェフィールド雑感

中山伸一


 昨年3月末より10ヵ月間,英国に滞在する機会を得た.滞在したのは英国のほぼ中心部に位置するシェフィールド(Sheffield)という街である.シェフィールドは50万人という英国第5番目の人口を擁する大都市であるが,その落ち着いた街並は日本の十万都市の雰囲気に近い.もともと鉄鋼産業が盛んな町で,第二次世界大戦時にはドイツ軍の空襲を受けたこともあったそうである.しかし,鉄鋼産業の衰退とともに失業者が増え,街の活気は失われたと言われている.確かに街の中心に空き地や廃屋が多く,最初シェフィールドの駅に降り立った時の印象は,さびれた街だなというものであった.しかし,実際住んで見ると,朝夕の車の渋滞も結構あり,昼休みには街に人があふれ,それなりの活気を呈していた.
 私が訪問したシェフィールド大学(University of Sheffield)は1897年に3つの学校が合併してできた総合大学で,現在の学生総数は2万人程である.近年,規模を拡張しており,普通の住宅を買い上げた研究室やオフィスがあちこちに見られる.シェフィールドにはもうひとつハーラム大学(Sheffield Hallam University)があり,合わせると4万5千人もの学生がいることになる.パブに集まる人々や商店街を歩く人々の中にかなりの数の若者を見ることができ,シェフィールドが鉄鋼街から大学街へと変貌して来ていることがうかがえる.
 シェフィールドの西側には,ピークディストリクト(Peak Distric)という国立公園が広がっている.その北部は岩山とヒースの生えた荒涼たる原野であり,南部は緑と水がきれいな渓谷があちこちにある.ここはシェフィールドを始めとして,マンチェスター,リーズ,バーミンガムという大都市が周りにあり,イギリスで最も訪れる人の多い国立公園である.彼らはここを訪れて何をするかというと,歩くのである.イギリス人の歩き好きは,話には聞いていたが,老若男女を問わず多くの人々がちょっとした山登りでもするような格好で,原野や渓谷を歩いているのをあちこちで見かけた.何がそんなに楽しいのかと最初の頃は思っていたが,滞在の後半には週末になると家族とピークを歩き回っている自分を発見した.
 さて,シェフィールド大学の本部はFirth Courtと呼ばれる煉瓦造りのどっしりとした建物にある.入り口にはノーベル賞受賞者のりスト(といっても5人程のもの)を刻んだプレートがある.その最初に炭化水素の酸化プロセス(クレブス回路)で知られるクレブス(Hans Krebs)の名前がある.彼の功績を記念してここにはクレブス研究所が設立されており,活発な分子生物学に関する研究活動が行われている.
 Firth Courtを出て少し下ったところの奥に中央図書館がある.正面の入り口を入ると左手にクロークがあり,右手正面に広い階段がある.階段を1階(英国では1階がグランドフロアで,2階が1階)に上がって左に折れると,ブックディテクションのついた出入り口がある.その左手はちょっとしたギャラリーになっていて,少しゆったりした空間を演出している.ギャラリーに行かずにその向こうの広い階段を2階に上がると,正面にL字型に配置されたカウンターが見えてくる.
 2階は二層分程の高い天井で,広い空間であるが周りが壁に囲まれて少し圧迫感がある.カウンターの前を通って階段を回り込むと,そこには端末と参考図書が整然と並んでいる.その左手にある入り口を入ると巨大な空間が現れる.正面(北向き)はガラス張りでそちらの側には机がならんでいるのが見える.入り口側の半分程のフロアには壁面と直角に書架がずらりとならんでいる.書架の側は2層構造になっており,人がすれ違えない程狭い階段を上って上層の書架空間に行くことができる.そこから下を見下ろすと机に座って勉強している学生の様子がうかがえる.この広い空間は,解放感があり創造的な思考に最適であると感じた.
 1階の出入り口に戻って,2階に上る階段と逆の方に進むと小さな扉があり,その奥を左に曲がると雑誌の並んだ書架がびっしりと林立している.研究者らしき年輩の人たちがその間をうろうろしている.狭い階段を降りた下の階も同じような空間で,古い雑誌が同様に並んでいる.これら雑誌のある階は2階に比べて天井が低く圧迫感があり,あなぐらの雰囲気である.書籍のフロアの居住性と雑誌のフロアの蓄積性という,二つの全く異なる空間のコントラストが印象に残る図書館であった.
 私が通っていたのはDepartment of lnformation Studiesというところで,中央図書館から500メートル程下った新しい建物の中にある.この学科はもともと図書館学科だったものを拡張したものである.マスターとドクターコースの学生だけで,学部の学生はいない.教授が5人程と,教育・研究スタッフがそれぞれ15人程のメンバーである.お世話になったのはPeter Willett教授で,専門は情報化学,情報生化学である.
 私は3階の6人部屋に机とパソコンをもらった.パソコンはネットワークにつながっており,電源を入れるとネットワーク経由でWindowsが立ち上がる.皆の机にも同様のパソコンがあり,主として電子メールと論文作成に使われている.研究スタッフは研究用のワークステーションを机上に並べて置いていたが,学生は隣室にある学科のワークステーションの所で研究を行っていた.学科のワークステーションはSilicon Graphicsのものを中心に10台程あり,常にロードが2から3の状態であった.私は,日本語の電子メールを使えるようにと持参したPower Bookを専ら端末として使っていたが,このフロアで初めてのMacintoshだと言われた.
 私の机の右手には窓があり,そこから教会が見える.その教会の周りには墓石が並んだ芝生が広がり,天気の良い日には同室の人達と墓石にすわってサンドイッチをほおばったものである.夜になるとライトアップされ,その荘厳さを浮き上がらせる.その建物は大学のもので,中は改装されて講堂といくつかの研究室になっている.英国人は古い建物をできるだけ壊さないで使うのが趣味のようである.シェフィールドは8時間連続して虹がかかったというギネスブックに載る記録を持つが,虹が出ると教会の上をまたいで,また一層の趣があった.
 部屋でパソコン相手に奮闘していると週に1回ぐらい,贈り物だよといって分厚い封筒が回ってくる.封筒の中身は数種類の近刊の雑誌である.たまに面白そうな論文があると2階に降りて事務室にコピーを取りにいく.2階には事務室を中心に教授の部屋が並んでいる.その一角にPeterの部屋もある.Peterの部屋に入って一番驚いたのは,そのゆったりとした空間である.英国の大学の教授の部屋というと,膨大な書籍と雑誌のつまった書架に取り囲まれているイメージを持っていたが,彼の部屋には数十冊の書籍と新刊の雑誌が十数種並んでいる簡単な作り付けの書架があるだけであった.
 部屋自体は6m四方程のそれほど大きなものではない.しかし,部屋にある什器といえば,入り口のそばにホワイトボード,テーブルと4脚程の椅子.窓の方にはパソコンの置いてある机,その脇に小さなファイルキャビネットが一つ.実にこれだけである.この部屋は,図書館の学生が勉強していたゆったりとした空間を思い起こさせる.そして,この部屋と図書館の雑誌のフロアは全く両極端に位置する空間である.情報を集めるための空間と創造を行うための空間とは別種であるべきものなのかも知れない. Peterの部屋と雑誌の置いてある図書館の間には500m程の道のりが介在している.しかし,英国人は歩くのが大好きである. Peterにとってその道のりは隣の部屋に行くようなものなのであろう.帰国後,私は研究室に溜め込んでいた雑誌のバックナンバーを捨てた.


Impression of Sheffield, by Shin‐ichi NAKAYAMA
本学助教授