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エツセイ

「おたくはと聞かれたように」

綿抜豊昭

 ある有名大学で,オタクに関する講座が設けられ,学生に大変好評で,その講義をまとめた本も,この種のものとしてはよく売れているらしい.
 このオタクなる言葉はもともと「お宅」に由来する.「宅」という漢字は,屋根の形を象った冠と,くつろぐ人の象形である音符からなる.すなわち,人が身をのびやかにして,くつろぐ家屋のことを表しており,もともとは住居とか住むの意味である.日本ではそれに特別な意味が加わり,妻が夫を指していう語としても用いられる.当然,以上のような意味ならば,語感としてマイナスのイメージはない.
 『百人一首』の歌を題材に多くの狂歌や川柳が詠まれた.喜撰法師の「我庵は都のたつみしかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」も多くの川柳の題材にされているが,その一つに「お宅はと聞かれたやうに喜撰詠み」がある.この場合の「お宅」は住居のことを意味したものだが,後に相手自身のことを指すようになっていく.
 しかしその意味では昭和40年代からは若い者たちの間でほとんど使用されなくなっていた.それが,ある種の共通した特徴を持つ人達が相手のことを「おたく」と呼ぷことが多くなり,そのような使用をする人達を指すようになる.
 はじめはコミケに集まるようなマンガのオタクに限定されていたが,後に様々な分野に及ぴ,**オタクといった場合,筆者の周辺では,どちらかといえば差別語的に使用されることが多かった.マイナスの語感があったのである.
 今から10年前に『東京ゴミ袋』なる本が文芸春秋から出版されている.その著者の瀬戸山玄氏が,他人の捨てたゴミ袋をあけて,いろいろと分析して,考えを述ぺたものである.筒井康隆の小説の,ゲロを分析してゲロった人の健康などを分析する登場人物に共通する,危ない魅力があった.それは「研究」という行為の持つ危なさに通じるものがあるからであろう.
 ほぽ同じ行為,他人の捨てたゴミを拾ってきて分析する人を,今では「陰」のオタクと分類するらしい.オタクの指す範囲も広がったものだ.
 光あるところに陰がある.オタクと同じように,ある種の収集癖があっても,本人が本気でそう思っているか否かは別として,こんなことたいしたことないんだ,といった余裕を見せて,そうした収集癖のない人と普通に接することができる場合はカルトといって,プラスのイメージがあった.価値観の相違を認めることができるか否かの差異である.今の「光」のオタクが昔の「カルト」に多少近いと,個人的には考えている.
 富山県の方言の一つに「ミャーラクモン」がある.かつては道楽者のことを侮蔑した語で,マイナスのイメージがあった.語源は「身楽者」と言われる.身を楽にしている者の意味である.多少評価があがる風潮もあったが,この不景気でまた差別の対象となるのであろう.だが,不景気な暗い世相故,お金をかけず物事を楽しむコツを学び,そうした楽しみで自己満足できることが必要なのではないかと思う.
 「長生きしてよかったと思える社会」といったことをよく聞く.「宅」には墓の意味もある.身を楽しませ,くつろがせ,人生を終える.「おたく学」とは不景気でしかも高齢化社会で必要とされる,「実学的」学問になりうるような気がする.


本学・助教授
OTAKU?, by Toyoaki Watanuki