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エツセイ

茜色の映える本、詩を語る博士論文

武者小路澄子

 ある本と博士論文から始めることにしよう。

 Reflexive Thesis(Malcolm Ashmore 著)に出会ったのは、八十年代末の神田の北澤書店だった。社会学の棚の最上に並んでいた手強そうな風貌の書籍の中、一等先に手に取ったのが、朱色のカバーのひときわ明るいこの本だった。その次に浮かぶ光景は、電車の中。車窓から見える冬の黒ぐろとした夜に、雲に反射する夕陽の細い帯が、茜色に輝いている。渋谷まで走る中でこの本を読み進めると、急に、本の扉から勢いよく滑り込んだように夢中になった。空の茜色は本の世界の中で映え、カバーの朱色がそこに溶け、その色は暖かな炎のように電車の中の空間に広がった。五年以上たった今もそれは眩しい。

 この本がきっかけとなって、その著者のMalcolm Ashmore のいる英国ラフバラヘ博士課程研究に赴いた。彼は、科学知識の社会学(Sociology of Scientific Knowledge)の研究者で、私はその二番目の弟子。一番目の弟子が、私の最良の同僚で、親友となった Katie MacMillan である。詩人で、催眠療法の資格者である彼女は、催眠療法と詩を社会構成主義の立場から研究すると同時に、そうした社会科学者の立場に対しても相対的な立場をとり、社会科学の博士論文を療法的、詩的なものとして書くという試みを進めていた。従って、彼女の論文は、社会科学の論文でありながら(勿論そこから抜け出さないながら)、詩としての一貌、療法的な一貌をもっていた。

 彼女が博士論文(Trance-scripts:The Poetics of a Reflexive Guide to Hypnosis and Trance Talk. Duke University Press より出版予定)の中の詩を読み聴かせてくれた夕が忘れられない。その澄んだ声に耳を傾ける中、私は背骨の揺すぶられるのを感じた。ついに背骨は床に溶けだし、空中の暖かさと、外へ外へとつながろうとする流れと、少しだけ残っている意識のくすぐったさを感じた。覚えていることをここに書くと、幻を書いているようにも読める。だが、はっきり言えることは、恐らくこうした感じ方が、彼女の論文の声をもっとも汲んでいると言えるのに近い読み方であり、彼女に音読してもらう機会を得た私は、とても幸運だということだ。

 一方、私の研究指導者となった Malcolm は、研究者であると同時に、セミプロのドラム奏者だった。ある夕、社会科学部の教官と博士課程の学生は、レスターにあるライブハウスヘと、彼の演奏を聴きに訪れた。そこは、演奏が天井から床まで激しく炸裂し、その片隅にベンチとパブ・カウンターがあって他に何もない場所だった。演奏とそれに併せて踊る人々の熱気が全てを圧倒していた。同僚の社会科学の錚々たる研究者は片隅に固まり、ビアグラスを傾けていたが、Katie はすぐに抜け出て、音とリズムのままに踊りに溶け込んだ。しばらくして彼女は、私の手を取って踊りの中に導いた。三杯分のジントニックが手伝って、私は Reflexive Thesis の著者のドラムの響きに合わせて踊った。Malcolm,Reflexive Thesis の本、Katie、ジントニック、踊り……その時空間は、まじめもまじめに突き詰めている研究の時空間と、断ち切れずにつながっているだけでなく、近いところにあった。

 今、大学でこの本と博士論文を手に取り、まっすぐな姿勢をとると、この二冊は、豊かな色、香り、酩酊や身体のリズム、詩、夢想や希望、親しさや哀しさやあらゆるものを伴って、あるいはそれらと同位体的なものとして、語りかけてくる。しかし、それを学術研究や学術資料に関する語りとつなげようとすると、そこに不調和や違和感があると告発する声もまた、現在の私のどこかから響いてきてしまう。なぜなのだろう。

 図書館情報学として学術情報や学術コミュニケーションを研究し、語る上で、こうしたことを死なせぬ言語を、まだ見出せていない。


本学助手
A Book Reflecting the Glowing Colour, a Thesis Speaking with a Poetic Language . by Sumiko MUSHAKOJI