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エッセイ

晴晴耕耕・雨読

椎名 健

 秋が深まると、長芋の収穫である。昨年まで我が家では鳥取県北条町に2坪ほどの収穫権を地主から買い受けていた。文化の日あたりは天気を選んで、4,50分の道のりに車を走らせる。
 芋の葉は既に取り払われて、畑の土が露わであった。貸してくれるスコップを手に、我々はただ芋を掘るだけである。畑は砂地で掘りやすいことは掘りやすいが、崩れやすくもある。数十センチ掘りこむと、砂崩れを避けるためスコップで穴の開口部に橋をかけ、橋に掴まりながら芋を取り出す。長い芋でも、5,60センチ掘るとすっぼりと抜けるが、無理をすれば簡単に折れてしまう。
 鳥取の畑の土は砂丘の土と同じで、いわぱ山砂である。その砂は粒が大きく重量がある。乾くとさらさらとこぽれ落ちるので衣服が汚れにくい。対照的に筑波の土は軽いと思った。犬の散歩の折りに糞を埋めようとして移植ごてで土を掘る度にそう気づかされる。しかも、水に濡れると粘度が出てまつわりつく。汚れると落ちない。乾くと細かい土は挨となって舞い上がる。鳥取の土は濡れても乾いても扱いが楽であった。
 楽だというのは今の話である。昔は水はけが良すぎて農家は水遣りに苦しんだ。「嫁殺し」という言葉さえ生まれた。水場から桶で水を運んでは畑に撒く作業に嫁たちは死ぬほど苦しんだ。
 スプリンクラーをまわして水をやる濯概施設が整ったのは約35年の昔である。鳥取大学に20年勤務した私が赴任した頃は「嫁殺し」の言葉がまだリアルな響きを残して人々の口に上っていた。スプリンクラーは鳥取の農家にとり至福の贈り物になった。今では、大栄町の西瓜、北条町のワイン、福部村の砂丘らっきょう等、名産の誉れが高い。
 私も家庭菜園をしながら、十回以上のさまざまな春夏秋冬を畑の中で味わった。最初は同僚のN先生が遊ぱせていた宅地に4家族が集い畑を始めた。そこは、もともと畑地だったので、スプリンクラー用の配管が生きていた。
 その後、Nさんが家を建てることになり、追われた我々はある農家の休墾地を借り受けて菜園を続けた。春は種まきと植え付け、夏場は大学から帰るとまず畑に直行し、水をやる。しかし、実際のところスプリンクラーはほとんど使わなかった。畑の面積が知れていたこともあるが、ホースを使って手で水をやる方がずっと楽しみが多い。放水しながら、いつしか無我の境地に引き込まれる。頭の芯の方では、子どもたちが収穫を喜ぶ姿が浮かんで励みになっていたかもしれないが、彼らはただ収穫こそ楽しむものの、その日の日記にさえ書くことはしなかった。思えぱ、畑仕事も子育ても採算など考えないものなのだ。日々のプロセスを楽しみ、将来のあいまいな可能性を喜べるだけで十分満足している。
 さて、冬には雪や曇天が多い日本海側でも、夏場は晴天が続くのである。楽しい畑仕事も、そのうちに惰性のように続ける日々がやってくる。今や、雨の日を待ちわびるのだ。「ああ、今日は水遣りがいらない。」と、水をやりに行かなくてよいことが喜びになる。雨の日は何と安穏に本が読めることだ。雨天の充実感というのは畑をやらないときには決して味わえなかったものである。読書の喜びについて畑仕事に追われるようになって初めて知った部分である。


本学・教授
Behind my pleasure of reading. by Ken Shina