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オックスフォード見聞記

磯谷順一

 ダイヤモンドの共同研究の実験のため、8月にオックスフォード大学に滞在した。住んだのはハリウエル・ストリートにあるマートン・カレッジ所有のフラット(アパート)で、研究室のあるクラレンドン・ラボラトリー(オックスフォード大学物理学教室の主に固体物理関係)まで歩いて数分、キングズ・アームズおよびターフという著名なパブに至近距離であるという便利な所であった。フラットから3分ほど歩いたセントメアリー教会(15世紀の頃、大学中央図書館に相当するものが1室を占めていた)の塔に登ると、「夢見る尖塔の町」を見渡すことができる。圧巻なのは北の眺めで、城砦風のオールソウルズ・カレッジ(1437年創立)、城壁(City Wa11)で囲まれた庭をもつニュー・カレッジ(1379年創立)、ボードリアン図書館の旧館とラドクリフ・カメラ(閲覧室の一部として使われている)、シェルドニアン・シアター(17世紀建立、卒業式などに使われる)など古い様式の建築が並んでいる。町を歩くと塀の上に埋め込まれた鋭いガラス片や穂先をむき出した鉄柵(門限に遅れた学生が乗り越えるのを防ぐため)なども目につき、タイムマシーンに乗って来てしまったような違和感を拭えなかった。
 中世の頃の大学の始まりの姿を残しているオックスフォードでは、大学図書館の初期の姿を残した図書館にも巡り合えるが、そのひとつがマートン・カレッジ(1264年創立)にある。マートン・カレッジは、皇太子殿下(当時浩宮)が留学し、護衛つきではあったが、洗濯をはじめ学生生活を楽しまれたところである。殿下の住まわれた部屋の窓の下、赤い実をつけた桑の古木の傍らに立つと、植物園の木立とマダレン・カレッジの塔を背景にした「フェロウの庭」がイギリス的な落ち着いた風景としてひろがっている。図書館は1378年完成の中世のスタイルの建築で、中庭(Mob Quad)を囲む建物群の南から西への一角を占めたL字型をしている。古い図書館は2階にあり、図書館は19世紀に建物の1階に拡張されている。ヘンリー7世の紋章のついた船底型のオーク材の天井(石のままの天井から16世紀初めに改修)、中世のタイルぱりの床の上に赤い絨毯の敷かれた通路、その両側に並ぶがっしりとした赤焦げ茶色の木製の書棚(両面書架)という内部の雰囲気も重々しい。書架は、16世紀末にイタリアから取り入れたルネッサンスの様式である。書棚と書棚の間には、まるで平均台のような幅の狭い長いすが固定されてあり、書棚から水平に突き出た一段の棚が、閲覧机の役割をする形になっている。上の2〜4段のみでは蔵書がおさまらず、閲覧棚の下方に棚2段を付け足したために、向かい合う書棚の両方から突き出ていた閲覧棚の片方を取り払ったようである。書棚の側面には、分類を示すプレート(LIBRI THEOLGIAEなど)と、書棚(全部で95)の番号が付けられ、棚の各段にはA,B,Cの記号がつけられている。神学、医学、法律などの分類の本が並んでいるが、L字型の一方(西側)は、セブンアーツとして人文系などのコーナーとなっている。天井近くに幅広い窓が付け足され、現在は電気の照明もあるが、昔は、ろうそくの使用が禁じられ、縦に細い窓(ペインテドグラスないしステンドグラス)の明かりでは、日中しかも天気の悪くない時のみしか利用できなかったものと考えられる。図書館のできる前(13世紀)に本を収納していたチェスト(長持ちのようなもの、鍵が3個あり、3人が別々に管理していた)も残されている。図書館の本も当初は書架に鉄の鎖でつながれていたそうで、鎖つきの本が1冊だけ残されている。蔵書も羊皮紙に手書き(ラピスラズリから作られたインクも使用)の中世のもの350冊(古いものは9世紀の本)をはじめ、印刷本にはカンタベリー物語初版が含まれるなど古いことは言うまでもない。オックスフォード大学は36のカレッジからなる。カレッジは生活の場として、宿舎(寮)、カレッジ図書館、チャペル(礼拝堂)、ホール(食堂)等を持ち、フェロウと呼ばれる先生によるチュートリアル(個人指導)が中心になる。大学はカレッジの共同体であり、連邦政府的な存在として試験、入学式、卒業式などの実施を行う。大学中央図書館のボードリアン図書館(1602年にボードリーによって再興)は、英国で出版された書物のすべてを所蔵している。クラレンドン・ラボラトリーには講義や学生実験に各カレッジからの学生が集まってくるが、教官の研究室があり、ポストドクターや大学院生の研究の場である。訪問前に私の短期滞在受け入れの準備ができていて、初日に書類に署名をして提出すれば、電子メイルや建物の鍵(夜間の出入り用)とならんで、クラレンドン・ラボラトリーの図書室及びボードリアン図書館の使用が開始できるようになっていた(ボードリアン図書館は、固体物理教室主任の推薦状を持っていき、利用者証(Reader's Ticket)を発行してもらう)。クラレンドン・ラボラトリーの図書室に入る(夜間も鍵がかからない)と、右手のガラスばりの司書の小部屋がカウンターを兼ね、コピー機(暗証番号で使用)、端末を置いたラウンジを抜けると、細長い(幅約5メートル)閲覧室である。左手に参考図書類と新着および未製本の雑誌のコーナー、右奥に古い雑誌用の集密書庫があるが、部屋の中央の一列の両面書架にアルファベット順に製本された雑誌が並ぶという単純な配列で、両側(窓側)に閲覧用の小テーブルが並んでいる。継続購読しているのは物理関係の雑誌63種(そのうち、24種はオンライン版との併用)である。主に学術論文を対象に図書館を利用している立場では、図書館訪問の興味のひとつが雑誌製本の装丁になる。雑誌製本の表紙は、すべての雑誌に同じ色を用いる例(つくぱでは機械技術研究所の図書室では濃紺に白文字に統一して落ち着いた雰囲気を出している)もあるが、最近は、赤、オレンジ、水色などを含めた色どり豊かな傾向である。自分の慣れた図書館では、知らず知らずのうちに色を目当てに書架を歩き回ることになる。どこでも製本雑誌はアルファベット順に配列されているのだが、雑誌と色の対応が図書館によって違っていると、目的以外の雑誌に手が延びたりする。クラレンドン・ラボラトリーはトイレにもロイヤル・ドルトン製のものが使われているようなところであり、集密書庫収蔵の古いものが皮製に飾り付きの金文字という装丁であることはもとより、7年前のものまでは、雑誌名の上下に各2本の金線(雑誌名の部分のみ帯状に色を変えたものもある)をいれるという凝ったものであった(最近のものは簡素化されている)。背表紙に雑誌名、巻数、年号のほか、各製本単位に収録されているぺ一ジがはいっているのは親切である。毎月、ワープロ打ち裏表1枚のお知らせが、司書から発行されていて、最新のものでは、新着図書リスト、行方不明の本の照会などの通報に加えて、新しくオンライン版の出る雑誌やインターネットでアクセスできるデータベースなどの紹介がされている。我々は、研究動向を把握するために、自分の分野に重要なめぼしい雑誌については、新着ごとに目次のコピーを研究室内に回覧しているが、クラレンドン・ラボラトリーの図書室では新着雑誌の目次のリストをネットワークで自分の部屋で見られるサービスも行なっていた。
 テームズ川に添った小道を歩くと(散歩をしてパブで昼食をとるのが週末のすごしかた)、市中心部から30分も歩かないのに、小道の脇は野草の茂みである。クラレンドン・ラボラトリーでは10時と3時にカフェテリアでティータイムがある。古い建物や自然への接し方、生活スタイルに、伝統を重んじるイギリスであるが、オンライン版雑誌の購読や図書室のサービスなど、新しい技術は遅れずに取り入れているのは、ビートルズが出現するような国柄の一端であろうか。


本学・教授
Impressions of Oxford. by Junichi Isoya