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航星日誌宇宙暦1996.7.30

緑川信之

 新スタートレック(The Next Generation)の中に、科学技術が発達しすぎて何でも自動的にやってくれるので、機械の使い方はわかるがその原理を知らない人たちだけになってしまった惑星の話があった。そして、機械が故障しても直しかたがわからず、絶滅を待つぱかりのところヘエンタープライズ号が来てたすかるという筋書きだったと思う。
 この話ほど大袈裟ではないが、マルチメディア化が若年層に浸透していく最近の現象を見ていると、あの惑星と似たような運命になるのではないかという気がしてならない。
 確かに、マルチメディアは科学を理解する上で有効な道具となるであろう。画像、映像、音声などをまじえた説明は、学術論文にでてくるような文字と図・表だけの説明よりもわかりやすい。特に、若年層にはそうであろうし、また彼らに科学への興味を抱かせる上でも役に立つであろう。
 しかし、画像や映像による説明は文字による説明にとってかわるものではない。画像や映像で方程式やその解法が表現できるだろうか。文字による論理展開を画像や映像でどこまで置き換えられるだろうか。画像や映像にはそれらに独自の論理が備わっているのかもしれない。しかし、それは文字による論理と同じではないように思われる。現在の科学は文字による論理に基づいて構築されてきたものであり、これを画像や映像による論理に置き換えても成立するという保証はない。
 マルチメディアが若年層に普及するにつれて、彼らは文字による論理を理解できなくなりつつあるのではないか、というのが私の仮説である。文字と画像や映像などがうまく組み合わされぱ効果を発揮するであろう。しかし、一般的には文字による説明よりも画像や映像による説明のほうがわかりやすい。人間は容易な道を選ぶものであり、わざわざ文字によるむずかしい説明を理解しなくても、画像や映像でわかった気になれぱそれでよい、と考えるであろう。これが上の仮説の根拠である。
 文字による論理が理解できなくなれぱ、科学が理解できなくなる。最近、科学離れが懸念されているが、それは科学が嫌いだからではなく、文字による論理が嫌いだからではないか。だから、いくらマルチメディアを使ったり、おもしろい実験をして興味を引こうとしても、それ自体は意味のあることかもしれないが、文字による論理に関心を引きつけない限り科学離れをくい止めることはできないであろう。
 もっとも、私はこの現象を必ずしも悪いことだと結論しているのではない。科学技術の無制限な発展に脅威を感じている人にとってはよいことだと思われるかもしれない。文字に基づく論理的思考力がなくなれば科学技術を理解できる人がいなくなり、科学の進展は止まるからである。
 しかし、この考えは楽観的すぎるかもしれない。現在の私たちは科学技術にどっぷり浸っている。私たちが科学技術に頼らないで生きていかれるようになる前に科学技術の知識を失ってしまったら、スタートレックの中の惑星のように絶滅の運命にさらされるであろう。エンタープライズ号が助けに来てくれるとは考えられない。また、すべての人が文字による論理的思考力を失うのではなく、一部のエリートがそれを持ち続け、その力を利用して自ら支配者になるか、あるいは支配者に利用されるであろう。
 大袈裟な話になってしまった。テレビの見過ぎだろうか。


本学助教授
Captain's Log : Stardate 1996.7.30. Nobuyuki Midorikawa