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飛鳥・奈良時代絵画
[読み] あすか じだい かいが
[始年] 538頃-
[終年] 753年頃
[Y1] 538年7月、仏教公伝(日本書紀欽明13.10)。飛鳥時代開始、794(延暦13)の平安遷都までをいう。その間、672(天武元)年の壬申の乱までを飛鳥時代、710(和銅3)年の平城京遷都までを白鳳時代、それ以降を天平時代と細分するならわしである。
[Y2] 渡来画工による仏画(天寿国繍帳など)、彼らに学んだ絵師による法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画、白鳳時代の画工司制度、天平時代の吉祥天像、鳥毛立女図屏風や絵因果経などが上げられる。年紀のある記事を記載する。
[Y3] 588年、百済より画工白加来朝(日本書紀)。
[Y4] 604年、聖徳太子、仏画制作のため黄書画師、山脊画師、簀秦画師等を定む(日本書紀推古12年9月)。
[Y5] 607年、小野妹子ら遣隋使(日本書紀推古15年7月3日)。
[Y6] 610年、高麗僧曇徴、紙・墨・彩色製法を伝う(日本書紀推古18年3月)。
[Y7] 622年、東漢末賢、高麗加西溢ら天寿国繍帳の下図作成(上宮聖徳法王帝説推古30年)。
[Y8] 623年、法隆寺釈迦三尊像台座絵描かる(光背銘、推古31年3月)。
[Y9] 632年、遣唐使帰国(日本書紀舒明4年10月4日)。
[Y10] 645年、大化の改新、奈良時代美術開始とされている。
[Y11] 653年、画工狛堅部子麻呂、鮒魚戸直ら制作の仏菩薩像を川原寺に安置(日本書紀白雉4年6月)。
[Y12] 670年、法隆寺焼亡(日本書紀天智9年4月30日)。
[Y13] 672年、壬申の乱、飛鳥時代美術終わる、とされている。
[Y14] 685-695年頃、法隆寺金堂壁画描かれる。
[Y15] 680-720年頃、高松塚古墳壁画描かれるか。
[Y16] 771年以前、薬師寺「吉祥天像」(国宝)描かれる。
[Y17] 794年、平城京遷都、奈良時代美術終わるとされている。
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