目次へ | トップへ

狩野山楽
[読み] かのう・さんらく
[始年] 1559-
[終年] 1635年
[Y1] 1574年頃、秀吉の命で狩野永徳門人(後に養子)となり修理亮と名乗る。
[Y2] 1588年、病の永徳に代り東福寺法堂天井の雲竜図を仕上げ巨大構図の手腕を買われる。
[Y3] 1590年、永徳没す。狩野一門の中心となる。
[Y4] 1596年、秀吉の伏見城に描くか。
[Y5] 1615年、大坂城落城後、松花堂昭乗の男山滝本坊に潜伏。昭乗の仲介で許され駿府で家康に拝謁、京に帰る(本朝画史)。
[Y6] 1618年、徳川秀忠再興の摂津住吉社神宮寺板壁画制作。
[Y7] 1619年迄には門人千賀彦三(狩野平四郎後山雪)を娘の婿とする。
[Y8] 晩年に長男光教21才で没す(丹青若木集)。
[Y9] 1629年、「当麻寺縁起」上巻第一段を描く。
[URL] 主題分類へ