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狩野栄川院典信
[読み] かのう・えいせんいん・みちのぶ
[始年] 1730-
[終年] 1790年
[Y1] 1762年、法眼に叙せられる。
[Y2] 1763年、奥御用を承り、中務卿を許される。
[Y3] 1773年、御医師並となる。
[Y4] 1777年、田沼意次より木挽町の屋敷を得てから、木挽町狩野家と呼ばれるようになる。
[Y5] 1780年には法印にあげられ、栄川院と称す。
[Y6] 1790年、禁裡御造営に紫宸殿の賢聖障子を担当する下絵を全部整えて上洛したが、 制作途中で没する。
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