シリーズ・資料探訪43


 大倉 浩 (おおくら・ひろし 文芸・言語学系助教授)

 「節用集」(せつようしゅう)とは,もともと室町時代に成立した 国語辞書の名称で,当時の書き言葉を語頭のイロ ハ順に分け,天地・時節・草木・人倫など12前後 の意義部門別に多少の注記をほどこして示すのが 特徴である。連歌を作ったり手紙を書いたりする 際に,語を漢字でどう書くか確かめるために引く 辞書である。例えば「バカ」という語は,イロハ のハの部,態芸門に「馬鹿(バカ) 或作母嫁馬嫁破家共狼籍之義也」 (『文明本節用集』)と出てくる。原本は失われて おり,現存する室町時代の諸本にも序や跋文が無 く,編者や成立年代を特定することは難しいが, 編纂の基礎資料となった『下学集』の成立(文安 元<1444>年)以降,現存最古の写本『文明本節 用集』の記述(文明六<1474>年)以前の成立と 見られ,編者も収録語から禅宗の僧侶が関係して いると推定されている。

 書名は『論語』学而篇の「節用而愛人」の「節 用(費用や時間を節約する)」の意とも,『史記』 などにある「節用(日常随時用いる)」の意とも 言われるが(この「節用」の語自体が節用集には 収録されていないのも不思議である),別の書名 を持つ古写本もあり,はっきりしない。諸本が多 数伝わっているのにもかかわらず,成立や書名に 不明な点が多いのも,この辞書が権威者の正式な 著作に由来するものではなく,僧侶たちの覚え書 き的な語彙集から出発し,利用者が適宜増補・改 編して成長した実用本位の辞書であったことを物 語っている。

 江戸時代には出版文化の隆盛と識字層の広まり のなか,「早引節用集」「真草二行節用集」「女節用」 「俳諧節用集」等,様々に増補・改編された刊本 が数百種にのぼり,「節用集」はイロハ引きの実 用辞書の汎称となって明治まで出版が続く。特に 日本語史の資料としては,15〜16世紀の古写本・ 古刊本が,当時の語彙や漢字表記の実態を知る資 料として重視され,「古本(こほん)節用集」と呼ばれて江 戸時代以降の「節用集」と区別されている。また 「古本節用集」は,諸本間の収録語や意義部門分 けに異同が大きく,それらの系統や影響関係は国 語辞書としての成長を示すものとして,辞書史上 でも重要な研究対象である。

 諸本の系統を知るには,辞書の冒頭イの部の天 地門最初の語を見るのが近道である。国名「伊勢」(イセ) が最初であれば,その本は原本に近い「伊勢」本 類に属する。のちにこの「伊勢」が巻末の「日本 国名尽」に移されたため「印度」(インド)が最初となった 「印度」本類が現われ,続いてイロハ順の整備に よって「印度」がヰの部に移り「乾」(イヌヰ)を最初と する「乾」本が作られたと推定されている。本学 には残念ながら古本節用集の古写本は存しない が,貴重な古刊本二種類が所蔵されている。

 一つは「乾」本類の『易林(えきりん)本』で,慶長二(1597) 年の跋文を持つ平井版(下巻のみ)と,慶長年間 の刊行と見られる草書本2部がある。『易林本』は, それ以前の「伊勢」本や「印度」本がイロハのう ち音韻上の区別のなくなっていたヰ・オ・ヱを部 立てせず,先行するイ・ヲ・エの部で済ませて実 用的に44部としていたものを,「定家卿ノ仮名遣」 によってヰ・オ・ヱを区別し47部に分けた節用集 として,江戸時代の節用集に大きな影響を与えた ものである。

 そしてもう一つが今回取り上げる『饅頭屋本』 である。薄茶表紙で題箋はなく,縦15cm横 20.5cmの横本である。総葉91丁,毎半葉縦11cm 横16.5cmの単枠内に本文8行,巻末に「布施」 と大書,「賢縁」という僧侶らしい署名と花押が ある。東京高等師範学校時代の明治30年ごろ図書 館に入ったもので,刷りは中位で枠や文字のカス レもあるが,汚れや虫損は少なく保存は良い。写 真のようにこの本は「伊勢」本類の刊本である点 で貴重である。「伊勢」本類では,天正十八(1590) 年の刊記を持つ『天正十八年本(堺本)』が,刊 本として最古とされているが,他にはこの『饅頭 屋本』しか伝わらず,刊記はないが16世紀末の刊 行と推定され『天正十八年本』と並ぶ古さである。 収録語は約七千語と「伊勢」本類中最も少なく, 注記も省略されて11門の意義部門分けの中に語が カタカナの読みとともに示されているだけの簡略 な構成である。コンパクトな横本で,実用的な「字 引き」に徹した節用集として「伊勢」本類中でも 進んだ形態になっている。

 『饅頭屋本』という風変わりな書名は,この刊 本の編者・刊行者に林宗二(りんそうじ)(1498〜1581)が擬せ られたことによる。林宗二は室町時代の和・漢学 者。饅頭を日本に伝え販売した帰化人林浄因の子 孫で屋号から饅頭屋宗二とも呼ばれていた。当代 に「名誉ノ内外ノ和漢ノ学者」と評せられた人物 で,古典の注釈書や作成した抄物も多く「節用集」 原本の編者と目されたこともあるが,生年からみ て原本の編者ではない。また,この『饅頭屋本』 にしても推定された成立年代と彼の没年が少々離 れており,直接の関係を想定するのは難しく,彼 と縁の深い建仁寺の僧侶が編者ではないかとの説 もある。しかし,『饅頭屋本節用集』の名称は江 戸時代から見え,実用辞書と大学者との結び付き は古くから信じられていた。

 『国書総目録』によると,現存する『饅頭屋本』 は数が少なく,特に本学蔵書のような完本は10部 にも満たない。これはこの辞書が実際に使われて いて,巻首や巻尾が欠けてしまった伝本が多いた めである。(『国書総目録』はこの『饅頭屋本』を 古活字版としているがこれは誤りであろう。)さ らに,この本には初刊本の他に,その覆刻本や改 刻された異版本の存在が知られている。

「初刊本(東京大学旧蔵本)第一葉写真」初刊本(東京大学旧蔵本)第一葉写真

『節用集 
饅頭屋本』の図本学所蔵『節用集 饅頭屋本』

 上の初刊本の写真と較べてわかるように(本文 5行目に「古(イニシヘ)・今(イマ)」が加わり6行目の「石橋(イシバシ)」 がない)本学蔵本は異版本と見られ,意義部門名 や付録にも初刊本と異同がある(ただし,こちら を初刊本とする説もある)。異版本は,他に小汀 氏蔵本しか確認されておらず,『饅頭屋本』の版 行過程を解明する上でも本学蔵本は貴重な文献で ある。


〔参考文献〕

上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』
  (『東京帝国大学文科大学紀要』2 1916.3)

川瀬一馬『増訂古辞書の研究』
  (雄松堂 1986.2)

中田祝夫『古本節用集六種研究並びに総合索引』
  (改訂新版,勉誠社 1979.1)

西崎亨『日本古辞書を学ぶ人のために』
  (世界思想社 1995.5)

山田忠雄『節用集天正十八年本類の研究』
  (東洋文庫 1974.3)


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