文明開化と出版大国

 19世紀後半に鎖国が解かれると、 欧米の文化とともに産業革命以降の高度な活版印刷の技術が伝えられた。 長崎では本木昌三がわが国で最初の鉛製活字の鋳造に成功し今日の明朝体活字の基を築き、 幕府の洋書調所(蕃書調所) ではオランダ伝来の活字と印刷機を用いた出版が行われた。 幕末から明治にかけ開化期の気運にのって、 短期間のうちに近代的な出版体制が整えられ機械化された大量出版が始まった。
 出版の近代化とともに、江戸時代までは和紙に刷られていた袋綴じの和装本は、 たちまち両面印刷の洋装本に変わり、それまで横に寝かされていた書物は、 堅く製本され縦に立つようになった。 書物は近代国家の樹立を進め、個人の自立を支えるマス・メディアに成長し、 明治中期には年間数千点が出版された。
 今日のわが国は、年間数万点の書物を出版する出版大国である。 近年は、CD−ROMやフロッピーを媒体とする電子情報の出現や、 インターネットなどネットワークの普及により、 出版は新たな変革期を迎えようとしている。


『東京名所日本橋京橋之間鉄道馬車往復之図』 (230Kb gif)

錦絵三枚続 紅英齊画 明治15(1882)年 (配架番号 カ210-491 和装本)
『東京名所日本橋京橋之間鉄道馬車往復之図』の図
(当館所蔵品の複製)

『憲法発布式大祭 之図』 (210Kb gif)

錦絵三枚続 井上探景画 明治22(1889)年
『憲法発布式大祭之図』の図
(当館所蔵品の複製)

『米欧回覧実記』

全百巻五編五冊 久米邦武編 明治11(1879)年 博文館刊
明治4年から6年にかけて、米欧十二カ国を訪問した岩倉使節団の
公式報告書。三百九点の風景画(銅版画)が添えられている。本文は
本木昌三が作成した活字で刷られた。


『英和對譯袖珍辞書』

一冊 文久2(1862)年 〔洋書調所刊〕
幕府の洋書調所が『和蘭字彙』を参考に編んだ本邦初の本格的な英
和辞典。約三万五千語を収録。活版(英文)と木版(邦文)を併用し、
手動印刷機で二百部が印刷された。


『和英語林集成』

一冊 平文先生編訳 1867
アメリカの宣教師ヘボンが、来日後七年をかけて編集。上海の美華
書院で印刷し、横浜で刊行された。ヘボンに従って上海に同行した岸
田吟行が邦文活字の版下を描いた。


『和訳英辞書』

一冊 明治2(1869)年
薩摩藩の洋学生が『英和對譯袖珍辞書』(改正増補版)を活版に組
み直し、上海の美華書院で二千部を印刷。同辞書の第三版とした。通
称「薩摩辞書」と呼ばれる。


『開国五十年史草稿』

十一部十四冊 〔明治30年代〕写
明治40年から41年にかけて出版された大隈重信編『開国五十年史』
稿本。刊本(右側)に比べると、全編にわたり朱筆が入り、推敲の後
が窺われる。展示本は益田孝の「日本ノ外国貿易及将来」。


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Last updated: 2002/10/25