守屋正彦
私は美術史学を学ぶものである。とくに日本美術史,中でも近世近代の絵画史を中心に,表現を通しての我が国の文化を考え,また制作する作家やその作品を通しての文献に見られない時代精神を探る。このように述べると,美術を通して日本人の事物の捉え方を悩みながら考察している高邁な人間像を想像されがちであるが,実際には日々教育と研究に追われ,自らに課した研究テーマが充分に消化できない,目の前のことに悩む学生と同様の一学徒である。
それゆえ,私は図書館をこよなく愛す。 生来,研究が体質に合わないためか,はたまた,ああでもないこうでもないと論文に悩むと,気がつけば図書館の図書に触れることで,妙な安堵感を得ているのである。そんなわけであるから,学生には「図書館を充分に活用することができるならば筑波へ来た幸せを感じるであろう」と言いふらし,自身の指導を棚上げして,「図書館の機能を利用せよ」と責任転嫁の態である。
筑波大学の図書館は開架率100パーセント。学生も全国の大学では類稀のこのサービスを充分に活用させていただいている。…らしい。研究室に所属した学生は美術館や博物館の学芸員として巣立つ。送り出した学生が年賀はがきに一言,「先生の言うとおり,筑波の図書館はすごいですね。もっと利用すべきだった。」
図書館にはいい制度がある。所蔵しない本の場合,レファレンスサービスが迅速であり,2,3日で,そのコピーが手にはいる。時に,「コピーに,見づらい箇所があります,クレームしますか。」と親切である。私は居ながらにして論文を書くことができ,随分助かったのである。学生諸君,図書館を利用して存分に旅費を浮かそうではないか。
ところで,このようにノコノコと図書館に出入りしている私は,2000年の今年,5月,同僚の教官とともに,筑波大学を当番機関として美術史学会全国大会を開催することになった。美術史学では最高の学会であり,おかげさまで大学からは後援の名義もいただき,学内の協力が可能になったのである。
大会には全国の大学の研究者,行政の文化財担当職員,美術館博物館の館長や学芸員など所属の会員が一堂に会す。このときには研究発表や討議の合間に,学内を楽しんでもらう時間が充分にある。ただ大学周辺の散策となると筑波は広い。学内で見学できるところは何処であろう。美術史学者はビジュアルである。やはり美術品が見たい。筑波に来たら,科学はあっても文化がないとは言わせたくない。これは美術史に携わる者としての私の見栄である。
そこで「図書館の貴重な美術資料を学会期間中に貴重書展示室で公開できないだろうか。」と内緒話に行ったのである。私のこの注文に図書館では「筑波大学には,昌平坂学問所に伝わったというか,湯島聖堂の礼拝像がありますが」とのこと。早速それを見たいとお願いしたら,大学図書館がインターネット上に公開しているきれいな図版を即座に拝見できたのである。私はどうもメカに弱いせいか,初めて図版に接し,そしてその精緻な画像に驚いた。まだ実験段階と言うが,このサービスはこれからのユーザーには是非必要なものになる。少なくとも,図版に学ぶ私のような者にとってはとても大事なサービスである。
さて,話がそれたが,画面に現れた画像は「朱子像」。林羅山が京で有名な絵師,狩野山雪に描かせた肖像で,江戸幕府が開かれて間もない頃の逸品である。図書館には朱子以外にも宋時代の儒者の肖像があり,あわせて六幅。「歴聖大儒像」として大学に伝えられている。新構想の大学といっても歴史は古い。もともと筑波大学の前身は今の湯島の地、学問所の跡に設立された。故に茗渓,そこにはじまるのである。
この画像を拝見したとき,江戸の漢学の伝統がいま筑波に伝えられている。すばらしい文化財である。見栄っ張りの私は即座に同僚の教官の同意を得て「学会にあわせて特別展観をお願いします」と申し込みをしたのである。5月下旬の学会の折,筑波大学の貴重な什宝を公開したい。我が大学の伝統を示し,そして文化を喧伝したい。
図書館は即座にこの開催を芸術学系との共催ということで計画してくれることになった。私がお願いした折には体育科学系との共催の特別展「身体と遊戯へのまなざし」がはじまったところであった。ちょうど図書館が教育学系を振り出しに2年前から共催事業をはじめられたので,そのような実績があることから誠によき機会を得たのである。
ところで,私が『つくばね』から執筆を依頼されたテーマは「研究と図書資料の使い方」。依頼原稿は,自身の研究との関わりで書くのが常套句であろうが,私のように美術品を扱う者にとっては「見ることが命」。ビジュアルなことも図書館にお願いするのである。これが私にとっての如上のテーマでの執筆と,編集の方には寛恕願い,小さな見栄からはじまったことであるが,図書館からのこのような助力をいただいたことに感謝している。学会諸氏もこの貴重な文化財を拝見でき,大学の内外にこだわらず,学ぶ者の多くが学習の機会を得たことになる。まさに広い意味での「研究と図書資料の使い方」と私は嘯くのである。
話はちょっとそれるが,教育学系との共催展も,体育学系との特別展も,美術史を学ぶ私にはずいぶん参考になった。また図書館が開催した特別展『幕末・明治の生活と教育』もそうであった。教科書=図書と単純に括ってはならない貴重な研究資料が展示してあった。美術的な観点から言うならば教科書には挿絵が必ず見られ,また錦絵も展示され,明治期の教育がビジュアルな学習環境であったことを示していた。美術教育的見地,また開化あるいはその後の近代教育のテキストに掲載の図案や絵画などが近代社会にどのように反映したのかを芸術上の文化学として探るなど,拝見しながらいろいろな研究テーマが開け,学系を越えた学際的空間がこれから用意できるのではないかと思ったのである。
話が大袈裟になってしまった。大学所蔵の「歴聖大儒像」6幅に戻ろう。これらは江戸初期の肖像画研究をする上で貴重である。そして画像は礼拝の用にあてられたが,江戸漢学教育の主流,儒学の象徴であり,テキストのビジュアル化でもある。展覧会の宣伝になるが,この機会に,教職員ならびに学生諸君,中央図書館の貴重書の展示室で,学問所の,湯島聖堂の遺宝を見ようではないか。とくに学生諸君,筑波大学が伝えた江戸の教育的財宝に触れ,大学コレクションとその伝統に誇りを持ち,社会に出て欲しい。
あ,どうも,また悪い癖で私は図書館を利用して学生を教育している。さても,このような展示環境を得ることはよその大学図書館ではなかなかあり得ないこと,私は図書館を存分に活用させていただいている。
(もりや・まさひこ 芸術学系助教授)