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大型コレクション「中国第一歴史档案館所蔵歴史档案史料」について

楠木 賢道

 筑波大学附属図書館は,平成8年度の国立大学 附属図書館大型コレクションの予算配分を受け, 「中国第一歴史档案館所蔵歴史档案史料」(マイ クロフィルム)を購入した。「档案」とは,行政 過程において作成され,集積された公文書を意味 する漢語であり,中国第一歴史档案館は日本の国 立公文書館にあたる。明朝・清朝の宮殿であった 北京の故宮博物院の西華門内にあるこの中国第一 歴史档案館には,主として清朝時代(1636-1912) に作成された膨大な档案史料が保存されており, 研究者の調査を受け入れている。
 中国第一歴史档案館では,整理が終わった档案 のうち,史料的価値が高いと考えられるものを, 影印本や活字に組み直した史料集として出版して おり,主要なものは本学附属図書館にも所蔵され ている。また大部のため出版することが困難な档 案については,マイクロフィルムを作成し,これ を研究者の利用に供している。筆者ら歴史・人類 学系の教官がこのようなマイクロフィルムの中か ら特に重要と考えられる4点を選び,大型コレク ションとして購入することを希望し,このたび架 蔵されることになったのである。
 その4点とは以下の通りである。
  『宮中〓批奏摺財政類』
     (16mmマイクロフィルム64リール)
  『軍機処録副奏摺農民運動類』
     (16mmマイクロフィルム49リール)
  『軍機処上諭档』
     (35mmマイクロフィルム395リール)
  『満文内国史院档』
     (35mmマイクロフィルム3リール)
 35mmマイクロフィルムには1リールあたり約60 0コマ,16mmマイクロフィルムには1リールあた り約3200コマ撮影されており,単純に計算すると 4点で合計約60万コマとなる。いかに膨大な史料 であるかがわかるであろう。
 中国第一歴史档案館では,清朝時代に档案が集 積された場所によって,宮中档案・軍機処档案・ 内閣档案などと大きく分類している。
 清朝では,明朝の文書制度を踏襲して,正式の 上奏文として題本という形式を用いた。高級官僚 の記した題本は輔弼機関である内閣にまず届けら れ,内閣では大学士らが決裁原案を短冊状の紙片 に記し,題本とともに皇帝に呈した。皇帝は最終 的な決裁をおこない,その決定が題本の冒頭に で記された後,内閣を経由して各官庁への伝達機 関である六科に届けられ,六科では決裁文ととも に題本を即日筆写し,関係官庁に送付した。また 題本は年末にまとめて内閣に返却され保管された 。このため題本は内閣档案に分類されている。
 康煕帝の治世(1661-1722年)の半ばになると ,国政にかかわる情報を高級官僚が秘密裏に迅速 に上奏する必要から,奏摺という上奏文の形式が 重要案件に対して用いられるようになった。奏摺 は臣下が皇帝に差し出す私信が発展したもので, 内閣を経由せず,皇帝が直接開封し,奏摺の余白 (通常は末尾)に〓で決裁を記し,官僚に返送し た。このように皇帝が自ら決裁を記した奏摺を〓 批奏摺という。官僚は〓批奏摺を拝読した後,ま た返送し,返送された奏摺は皇帝の執務室である 内廷の乾清宮に保管された。このため〓批奏摺は 宮中档案に分類されている。一説によると,現存 する〓批奏摺は72万件余りであり,このうち約57 万件が中国第一歴史档案館に所蔵されているとい う。この〓批奏摺は,内政・外交・民族事務など 18類に区分されており,このたび附属図書館に架 蔵された『宮中〓批奏摺財政類』は,この18類の うちの一つであり,8万件余りの〓批奏摺が収録 されている。すでに中国第一歴史档案館編『清代 〓批奏摺財政類目録』(中国財経出版社,1990-1 992年)全5冊という詳細な目録が出版されてお り,検索に便利である。また乾隆10年(1745)頃ま での部分には,清朝の支配民族の言語である満洲 語と漢語の両言語で記された奏摺(満漢合璧奏摺 )が含まれている。図1は,雍正元年5月11日( 1723年6月13日)に総理戸部事務和碩怡親王の允 祥らの記した満漢合璧奏摺の一部である。図1の 右半分は漢文部分の末尾であり,上奏者の官職・ 氏名が列記されている。左半分は,左から右に行 をおくって記す満文部分の末尾に続く余白に,雍 正帝自らが満文で〓批を記したものである。満文 のみで記した奏摺も,中国第一歴史档案館には8 万件余り保存されているが,『宮中〓批奏摺財政 類』には収録されていない。
 康煕帝を継いだ雍正帝(位1722-1735年)は, 特に急を要する軍務を処理するため,雍正7年(1 729)に軍機処を設立した。さらに乾隆帝(位1735 -1795年)の治世以降になると,軍機処は内閣に 代わって国政全般に関与するようになった。軍機 処では,皇帝の諮問に迅速に答えるため,〓批を 付した奏摺を上奏者に返送する前に,複写を作成 し保管するようになった。このように軍機処で複 写,保管された奏摺を軍機処録副奏摺という。現 存する軍機処録副奏摺は100万件を越えるといわ れている。この軍機処録副奏摺は,半月毎に一包 みにして保存されていたため月摺包とも呼ばれる 。原本である宮中档案の〓批奏摺が散逸している ことも少なくなく,軍機処録副奏摺はその欠を補 う重要な史料である。軍機処録副奏摺も,宮中档 案の〓批奏摺同様に18類に区分されており,この たび附属図書館に架蔵された『軍機処録副奏摺農 民運動類』は,この18類のうちの一つである。『 軍機処録副奏摺農民運動類』は,捻軍・太平天国 ・義和団・辛亥革命・秘密結社などの項目に区分 されており,中国近代史研究のための不可欠の史 料である。秘密結社の一項だけでも,150余りの 秘密宗教結社・秘密政治結社に関する史料を含ん でいるという。なお『軍機処録副奏摺農民運動類 』は,その内容を考慮してか,中国第一歴史档案 館では現在,『軍機処録副奏摺鎮圧革命運動類』 と名称変更されている。この録副奏摺には困った ことが一つある。それは皇帝に呈された奏摺の原 本が楷書体で記されているのに対して,軍機処の 実務に利用するために作成された録副奏摺が行書 体・草書体で記されていることである。これを判 読するためには,伝統的な漢文のほか,中国のく ずし字,清朝の政治制度,行政文書で用いられる 独特の文体(公牘体),現代漢語等にある程度習 熟する必要がある。
 軍機処では,皇帝の諮問に備えて,〓批奏摺だ けではなく,上諭も複写が作成された。上諭とは 皇帝の命令や指示のことで,軍機処ではこれをと りまとめて,1ヶ月分を1冊,あるいは3ヶ月分 を1冊に綴じて保管した。このたび附属図書館に 架蔵されることになったマイクロフィルム『軍機 処上諭档』とは,このことである。第1リールに は雍正年間の上諭が収められており,第2リール 以下は乾隆年間以降宣統3年(1911)までの上諭と なっている。皇帝の命令や指示である上諭は,そ れ自体,法的な拘束力をもっており,清朝では各 種の案件を処理する法的根拠を得るために,しば しばこの『軍機処上諭档』が検索された。また『 軍機処上諭档』のなかには,軍機処が皇帝の諮問 に答えた上奏文(議覆)などの複写も収録されて いる。
 『満文内国史院档』は,上記3種の档案史料と は趣をことにする。内国史院とは,清朝の内閣の 前身である内三院(1636年設立)のうちの一つで あり,『満文内国史院档』は内閣档案に分類され ている。この『満文内国史院档』は,太宗ホンタ イジ(位1627-1643)の事跡を編年体でまとめた 『太宗実録』の稿本の一つであると考えられ,大 半は満洲語で記されており,一部モンゴル関係の 記事はモンゴル語で記されている。図2に示した ように塗抹修正部分が多数あり,場合によっては 塗抹修正の政治的意図を読みとることもできるホ ンタイジ時代の根本史料である。なお中国第一歴 史档案館に所蔵される『満文内国史院档』の原本 は,ホンタイジに続く順治帝(位1643-1661年) の部分も存在するが,このたび架蔵されたマイク ロフィルムには含まれていない。
 以上の4点の档案史料のうち,分量的に僅かで ある『満文内国史院档』については,国内のいく つかの研究機関や個人がマイクロフィルムを所蔵 している。ただ他の3点については,膨大な分量 でしかも高額であるため,日本において所蔵して いる研究機関は本学附属図書館のみである。世界 的にみても,台湾の中央研究院近代史研究所が『 宮中〓批奏摺財政類』のマイクロフィルムを購入 したらしいということを,筆者は仄聞するだけで ある。
 公刊された編纂史料とは異なり,档案史料を利 用するためには,元来その所蔵機関に赴いて調査 しなければならなかった。筆者も大学院在学中以 来,しばしば中国第一歴史档案館・台北の故宮博 物院文献館等で調査を行ってきた。実物を手にと って調査する,あるいはマイクロフィルムすら作 成されていない文書の山から新たな史料を発掘す ることは,歴史研究にとって最も重要な作業であ る。しかし国外の所蔵機関に赴き,限られた時間 の中で調査することが,研究者にとって多大な負 担となることも事実である。このたび上記の档案 史料が本学附属図書館に架蔵されたことによって ,為政者側から見た政治史史料が主要部分である という限定はつくが,清朝史研究,及び辛亥革命 (1911年)以前の中国近代史研究のための本学の 史料的環境は,世界的に見ても最高水準になった といって過言ではない。学生諸君にとっては,行 政文書の文体,清朝の政治制度などにある程度習 熟すれば,学類の卒業論文に利用することもでき るのである。今後,「中国第一歴史档案館所蔵歴 史档案史料」を学内の教員・学生,学外の研究者 の共有財産として活用していきたいと思う。また 「中国第一歴史档案館所蔵歴史档案史料」を核と して,東洋史研究のための特徴あるコレクション を本学附属図書館に構築していければとも考えて いる。

  註)本稿執筆にあたり,秦国経『中華明清珍档指南』(人民出版社1994年) を参照した。

(くすのき・よしみち 歴史・人類学系講師)


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Last updated: 1998/02/18