[浙江省房地契]

[浙江省房地契]

セッコウショウ ボウチケイ

[書写地不明] : [書写者不明], 乾隆32-民国10 [1767-1921]

図書等

巻号情報

No. 所在 請求記号 資料ID 資料タイプ 状況(返却予定日) コレクション 備考 予約・取り寄せ人数

1

東亜研B-7-2

10003015904

貴重

旧東亜研究所第六調査委員会収集文書

詳細情報

刊年

1767-1921

形態

1綴 (29通) ; 59.0×52.1cm

内容注記

[1]: 杜絶売契

[2]: 浙江新契紙

[3]: 売絶契

[4]: 売契

[5]: 找貼貼截田契

[6]: 杜絶売契

[7-1]: 帰契

[7-2]: 帰絶拠

[8]: 売絶契

[9]: 売絶契

[10]: 売絶契

[11]: 帰契

[12-1]: 収漕粮票

[12-2]: 推票

[12-3]: 租票

[12-4]: [書名不詳]

[13-1]: 推票

[13-2]: 収拠

[13-3]: 推票

[13-4]: 匯租

[14-1]: 借票

[14-2]: 推票

[15-1]: 推票(2件)

[15-2]: 推粮票

[16-1]: 合同調契

[16-2]: 推票

[16-3]: [収拠]

[17]: 収拠

[18]: 保結

[19]: 出杜絶退付

[20]: 借拠

[21]: 杜絶売契

[22]: 找貼絶契

[23]: 絶截貼契

[24]: 找貼絶契

[25]: 絶截貼契

[26]: 貼絶截找契

[27]: 貼絶文契

[28]: 貼截找契

[29]: 貼絶截契

注記

稀覯本につき記述対象資料毎に書誌レコード作成

書名は科学研究費研究実績報告「中国近代土地関係文書の数量的分析とデータベースの作成」(2003年 研究代表者夏井春喜)より

[1]: 民国拾壹年拾壹月, 杭県(銭塘), 張錫禄・錫祥・錫祉・錫祐・錫禎兄弟等が鄭処に田肆畝を洋壹佰貮拾圓で絶売, 墨書 [2]: 民国貮年拾壹月貮拾肆日(験契の年月日), 陳徳林が受芝堂呉に山伍分参釐畝を銀参拾兩で絶売したことの民國貮年の験契の証書, 黒版, 「杭州知事之印」「浙江國税廳籌備處關防」の朱印あり [3]: 咸豊伍年捌月, [海寧州], 許純恂が朱処に桑地壹畝を銭12千文で売却, 回贖あり [4]: 咸豊8年12月, [海寧州], 許純全が朱処に水田1畝を銭10千文で売却, 5年で回贖あり [5]: 光緒19年12月, 仁和県, 姚品高・子姚錦華が陳処に前に売却した田5.610畝を找価紋銀21両4銭で再売却

[6]: 光緒17年11月, 仁和県, 姚品高が蕩田2畝, 地3.500畝, 田5.500畝を英洋80元で売却, 2年内回贖あり [7-1]: 嘉慶16年5月, 海寧州弟根天が兄処に水田3畝を銭30千文で売却, 回贖あり [7-2]: 咸豊7年7月, [海寧州], 叔五輯が姪処に水田3畝を銭36千文で売却 [8]: 癸亥(同治2年か)ニ月, [海寧州], 本査氏が姪処に水田1.500畝を銭10千文で売却 [9]: 道光21年4月[海寧州], 倪芳潤が朱処に水田1.3875畝を銭12千5百文で売却

[10]: 道光14年10月, [海寧州], 査冠英が祝処に桑地1畝を洋銀11元で売却 [11]: 乾隆32年7月, [海寧州], 弟紹堂が兄処に水田3畝を銭30千文で売却, 回贖あり [12-1]: 癸亥(同治2)年10月, 朱祖香が族処の田地の漕米銭2500文の受け取り [12-2]: 咸豊3年12月, [海寧州], 張師俊が朱処に張倬名下の地粮0.800畝を移す [12-3]: 咸豊3年11月, 海寧州, 張師俊が朱処から市楼4間を毎年租銭50千文, 外小租1千8百文で借用 [12-4]: 光緒3年4月, 金五志が小作する2畝が李佃寿から栄連の収管に移る

[13-1]: 咸豊5年8月, [海寧州], 許純恂が朱処に許文華戸下の地粮1畝を移す [13-2]: 癸亥(同治2年か)6月, 本査氏・子本祖香が本森堂の田4畝, 地0.500畝の包納の上限粮銀541文を受け取る [13-3]: 癸亥(同治2年か)2月, 朱祖香が再姪処に朱永孝の田地粮1.500畝を移す [13-4]: 同治3年3月, 張師俊が租戸査渭川・馬百忍の租銭を纏めて朱処へ納さめる [14-1]: 同治14年6月, 本査氏・子本祖香が姪孫処から開店費用大銭15千文借用 [14-2]: 癸亥(同治2年か)2月, 朱祖香が族処に朱遵祀の地粮3.900畝, 礼根の地粮1.000畝を移す

[15-1]: 道光14年7月, 馬興宗が朱処に馬士龍の田粮2畝, 馬世珍の田粮2畝を移す [15-2]: 道光22年9月, 高又泉が朱処に高基之の田粮1.3875畝, 地粮2.200畝を移す [16-1]: 光緒3年5月2日, 兄弟(弟芝生・兄景蓮)のお互いの受分の土地の交換, 金銭やりとりなし [16-2]: 咸豊8年12月, 許純全が朱処に許遠昶の1畝を移す [16-3]: 癸亥(同治2年か)7月, 本祖香が包納の姪処の田粮4畝, 地粮0.100畝の下忙地丁銀541文を受け取る

[17]: 収拠, 宣統2年5月, 戚李氏・子戚瀛洲が陳熾軒に斌陞堂客桟, 傢伙・什物を洋46元6角7分6厘で譲渡 [18]: 保結, 民国7年10月, 寿文華から陳府へ出した, 余鐘湘の振和帽荘の出退の書信の保証 [19]: 民国9年11月, 杭県, 祝友全が地0.770畝を譲渡 [20]: 道光28年11月, 王裔卿が陳処からの英洋150元の借用書 [21]: 道光19年8月, 嘉興県, 薛華栄が懐処に水田桑地4畝を紋銀20両で売却

[22]: 光緒11年9月, 銭塘県, 李秋槎が張処に楼屋2間を紋銀70両で売却したが, 正価不足で紋銀40両で再売却 [23]: 光緒11年10月, 銭塘県, 李秋槎が張処に[22]を得たが, 紋銀40両で再々売却 [24]: 光緒11年, 銭塘県, 何子泉・何鑑清が楼屋2間を紋銀70両で売却したが, 正価不足で紋銀40両で再売却 [25]: 光緒11年, 銭塘県, 何子泉・何鑑清が[24]を得たが, 紋銀40両で再々売却 [26]: 光緒25年10月, 仁和県, 祁呉氏・子祁大中・祁大昌が地0.360畝を20元で売却したが, 正価不足で10元で再売却

[27]: 光緒25年10月, 仁和県, 費坤年が蕩田4.500畝を売却したが, 産価不足で紋銀20両で再売却 [28]: 民国10年旧暦4月, 杭県, 范炳泉が賀処に基地0.160畝を売却したが, 正価不足で大洋50元で再売却 [29]: 光緒32年8月, 邵建章が山を売却したが, 産価不足で紋銀15両で再売却

康煕綴

表紙に「東史-122-29」のラベルあり

標題言語

中国語 (chi)

本文言語

中国語 (chi)

NCID

BB05016166