Readingバトン(唐木清志 人間系准教授)

2015年3月23日
Readingバトン -教員から筑波大生へのmessage-
外山先生に続く第16走者として、唐木清志 人間系准教授から寄稿いただきました。

 

 

Pick Up
『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』佐野眞一著. 文芸春秋, 1992.9【分類分類372.125-Sa66】

Book Review
 少々古い本で申し訳ありません。2005年には、この新潮文庫版が出版されておりますので、興味を持たれた方はそちらをご入手ください。
 「山びこ」と聞いてピンと来る方、それはお年を召された方、教育学を勉強してきた方、そして、私の教職の授業を受けた方ではないかと思われます。本書の「山びこ」は、「山や谷で起こる音や声の反響」(国語辞書)ではありませんし、新幹線の名称でもありません。無着成恭(むちゃく・せいきょう)という中学校の先生によって書かれた、『山びこ学校』という書名の一部です。
 無着先生は、1948年山形師範学校を卒業後、山形県南村山郡山元村立山元中学校に赴任し、早々に中学1年生・43名の担任になります。無着先生は1927年生まれですから、教壇に立った時には若干20歳(!)でした。今の大学生で言えば、大学3年生の4月ということになります。『山びこ学校』は、中学生の作文集です。生活綴方教育(作文を書かせ、自分の生活をありのままにみつめさせ、自らの在り方生き方を問い直させる教育方法)を活用して、無着先生は中学生に「生きる力」を身に付けさせていきます。その成果が、『山びこ学校』に他なりません。第二次世界大戦直後の1948年、山元村の最大の課題は貧困でした。貧困という重圧に屈することなく、たくまして生き抜ける人間を育てる、そのような教育理念のもとで、無着先生は43名と真摯に向き合い、3年間に渡って苦楽を共にしていきます。
 前置きが長くなりましたが、『遠い「山びこ」:無着成恭と教え子たちの四十年』は、1951年に無着学級を巣立っていった43名の中学生が、その後の40年間どのような人生を送ったのかを、ノンフィクションライターである佐野さんが丁寧な取材をもとにまとめ上げたものです。本書では、43名に加え、無着先生ご本人のその後にも触れています。43名(+無着先生)のさまざまなその後については、本書を読んでお確かめください。ここでは、佐野さんの「あとがき」から、本書の読み方の指針となる一節を引用しておきます。
「その夏、ある雑誌社から『戦後四十五年の日本人』という企画が持ち込まれた。軍人、官僚、スポーツ選手などが戦後たどってきた人生を通して、戦後の意味を問うという企画だった。『山びこ学校』について書いてみたい、と思ったのはその時だった。『山びこ学校』の卒業生たちを追うことで、どんな戦後史の本にも書かれていない庶民のありのままの戦後史が書けるのではないか。…(中略)…改めて読んだ『山びこ学校』と、取材を通じて明らかになってきた卒業生たちの軌跡には、いいしれぬ衝撃を受けた。そこには戦後高度経済成長の底流に生きた人々の姿が、くっきりと刻印されていた。」
『山びこ学校』の舞台となった山元中学校は、2008年度の卒業生3名を最後に、2009年春に廃校となりました。戦後教育実践の金字塔とも言われた『山びこ学校』は、人口減少社会の中でその姿を失ってしまったのです。
なお、本書の正確な理解のためには、『山びこ学校』(無着成恭著、岩波文庫、1995年)が必読文献となります。中学生の作文・詩もさることながら、無着先生の「あとがき」と、国分一太郎氏と鶴見和子氏の「解説」が胸を打ちます。また、今井正監督により映画化もされておりますので(1952年公開)、興味のある方はそちらもご覧ください。

■次は、青木三郎先生(人文社会系教授)です。