教員著作紹介コメント(ジーン・リン先生)

『帰属の美学 : 板前の国籍は寿司の味を変えるか』

ジーン・リン著

横浜 : 春風社, 2024.1 【分類 701.1-L63】

【コメント】

筆者が大学生時代にアメリカの寿司屋でアルバイトをしていたある日のことだった。メキシコ人の板前がクビになり、代わりに韓国人の板前が雇われた。店主に尋ねると、韓国人の方が〈それっぽく〉見えるからということだった。そのように見えたとして、では、板前の国籍が寿司の味を変えるのだろうか—この時芽生えた問いが、本書の原点である。
 
美学の学術書という体裁を取る本書は、もちろん寿司の話だけで終わる本ではない。〈板前の国籍は寿司の味を変えるか〉という問いは、つまるところ、作品の物理的な媒体に基づく感覚的な側面ではなく背景的な知識や情報といった文脈的な側面に依存して価値を判断することの象徴である。現代アートが理解できず、批評家のコメントや美術館の説明文に頼って作品を鑑賞した経験はないだろうか。あるいは、高級レストランで長たらしい料理の説明を聞いてから料理を食べるとき、ブランド名を見てバッグを買うとき、俳優の不祥事を知って出演作品を見たくなくなるときなど、我々は日々文脈に依存した判断に基づいて、様々な対象から価値を享受している。そう考えるとむしろ、文脈に一切依存せずに価値を享受していることの方が少ないくらいかもしれない。
 
本書が特に注目するのが〈帰属〉に関する文脈と価値の関係である。制作者の肩書きや作品のジャンルといった、人やものが特定のカテゴリに帰属するという文脈は、先入観となって人々の価値判断に影響を与えうる。例えば、多くの人が〈寿司〉を〈日本〉というカテゴリに帰属させて捉えているが、中には〈日本人の方が外国人よりも美味しい寿司を握れるはずだ〉という先入観を抱いている人がいるかもしれない。

 

本書は、芸術はもちろん料理、ファッション、工芸、映画、文学、観光のほか、文化的盗用、キャンセル・カルチャー、ポリティカル・コレクトネスなど、多岐にわたる文化的な現象を考察対象として、帰属の文脈から生じる価値の発生メカニズム—帰属の美学—を分析美学の方法論に基づき展開するものである。そして本書最大の特徴は、帝国主義、多文化主義、文化相対主義、文化本質主義といった文化研究的な議題から、芸術における道徳性や真正性、芸術の定義、美をめぐる主観性と客観性といった美学的な議題までをも一筋の理論で貫こうとする試みにある。
 
美学は哲学の領域に含まれる学問であるうえ、主な考察対象を美や芸術とする。故に、抽象的・難解・現実離れしているといったイメージを持たれがちだが、例えば〈板前の国籍は寿司の味を変えるか〉というような、誰もが日常生活の中で抱きうる感性的な疑問と直結する議論が展開されうる分野でもある。つまり、寿司について考えることと芸術について考えることは、それほど違わない。美学の分析対象は現実にあり、我々の生活や人生と直結する実際性を持つ学問である。本書を通じてこのことを伝えることができれば幸いである。

(芸術系 Jean Lin)