教員著作紹介コメント(小川美登里先生)

【本の情報】

三つの庵 : ソロー、パティニール、芭蕉』  
クリスチャン・ドゥメ著 ; 小川美登里訳 ; 鳥山定嗣訳 ; 鈴木和彦訳
東京 : 幻戯書房, 2020.12【分類 902.09-D85】


【コメント】

「仮住まいの哲学」

本書には『三つの庵』というタイトルがついているが、正確には三人の芸術家の作品と人生を「庵」をテーマに綴ったエッセーだ。三人とは十九世紀アメリカの小説家ヘンリー・ダヴィッド・ソローと、十六世紀フランドルの画家パティニール、そして日本の俳人松尾芭蕉。お察しのとおり、この三人に共通点はない。だが、著者であるクリスチャン・ドゥメは、「仮住まい」という接点を設けて、時代も空間も、言語も文化も、思想すらも異なる三人を結びつける。著者のあとがきには、時空間の隔たった複数項を比較・対照するという「斜め読み」の行為によって、当事者(すなわち、ソロー、パティニール、芭蕉のことだ)すら予想だにしなかった、彼自身が夢に見、作品や著作に投影したメッセージが浮かび上がる、と書かれている。これこそ本書のもっとも優れた点であり、特徴でもある。

ところで「庵」とはなにか。本書ではほかにも「仮住まい」、「掘っ建て小屋」、「ヒュッテ」」などの表現が用いられているが、一言でいうなら、定住に適した堅牢な住居の対極にある居住空間のことである。社会に存在する事物のなかでもっとも脆く、不安定で、マージナルで、孤独な存在者の隠喩がこの「庵」だと言ってもよいだろう。現代でいうプレカリアートだろうか。とはいえ、早急な価値判断は禁物だ。なぜなら、多くの物に囲まれた豊かな生活ではなくて、その反対に余計なモノを持たず、モノに囲まれて生きないことがひとつの美学だった時代が、そう遠くない時代に存在していたのだから。

本書のねらいは、我々現代人の価値判断とは異なる、別の生き方を提示した三人の姿を蘇らせることにある。彼らは社会の縁に佇む存在者たちだ。ソローは人間の共同体の外縁にある自然界との境界に小屋を建て、一歩引いた場所から社会や人間、そして彼自身を観察した。パティニール自身が仮小屋を愛したかどうかは定かではないものの、険しい山中に庵を作り、そこで瞑想に耽った隠遁者や聖人とその簡素な居住空間を好んで描いた。そして、漂白の詩人であった芭蕉、彼の場合には旅という運動が人生の中心であり、宿はむしろマイナーな要素だった。彼にとってはいっとき体を休めるだけの場所さえあれば十分だった。

一冊の本として編まれながらも、それぞれ独立したエッセーとしても読める本作は、庵のテーマを通じてわれわれの固定観念に揺さぶりをかけ、そこから一歩踏み出すことを提案する(わたしたち自身の住居を仮住まいへと変える提案だ)。ほんの一歩踏み出したその別の場所に、まったく違う景色が広がっている、そう本書は語りかける。

コロナで「巣ごもり」という語がすっかり定着したが、せめて精神だけは自由でいたい。世界の縁に佇みと、遠くで同じようにしている同じ孤独者が見え、こっちに向かって手を振っているようだ。こういうご時世だからこそ、仮住まいの精神に浸ってみてはどうだろうか。

小川美登里