Readingバトン(寺門臨太郎 芸術系准教授)

2015年10月20日
Readingバトン -教員から筑波大生へのmessage-
谷口先生に続く第22走者として、寺門臨太郎 芸術系准教授から寄稿いただきました。

 

 

Pick Up
『死都ブリュージュ』ローデンバック作 窪田般弥訳. 岩波書店, 1988【081-I95-R578-1】

Book Review
 1988年3月末のことと記憶している。15世紀のフランドル絵画を研究対象として大学院の三年目を迎えようとしていたわたしは、書店で数冊ずつ平積みされた岩波文庫の新刊のひとつに目をとめた。表紙に大書された「死都ブリュージュ」というタイトル。わたしは間、髪をいれず一冊手にとった。恥ずかしいことに当時のわたしは、かつて永井荷風も愛読したという、その19世紀末のベルギー象徴派の作家で詩人のジョルジュ・ローデンバックの名も、彼の代表作『死都ブリュージュ』(仏語初版1892年)も知らなかった。ともあれ、わずか190ページほどのその小説は、わたしが題名に惹かれ手にとったその時から、最も思い入れの強い一冊となった。
 北海から引かれた運河によって内陸港が整備され、またブルゴーニュ公の宮廷がおかれたことで商業と文化の中心として後期中世を謳歌した都市ブリュージュは、透明感のある鮮やかな色彩と静謐な緊張感、そして精緻に再現描写された細部の表現に特徴をもつ15世紀のフランドル絵画の拠点のひとつだった。だが、その都市は16世紀の幕開けを待たず、流入蓄積した土砂で港が埋まり、ほどなく主役の座をアントウェルペンに譲ったまま活力を失い、まさしく死せる都市となっていった。そのブリュージュが息を吹き返したのは19世紀の末であり、ローデンバックのその小説こそ、死した都に人びとの関心を集め、再興するきっかけとなったのである。
 最愛の妻に先立たれ、悲嘆に暮れて抜け殻のように余生をおくる男ユーグが、亡き妻にうりふたつの女と出会うも、妻の面影と内面とをその女に求めつづけるあまり、さいごにはその首を絞めて物語には幕が引かれる。世紀転換期に特有のメランコリックで神秘主義的な情調。頽廃と孤独の気分。死をめぐる葛藤といらだち。劇中ところどころで主人公の心を洗う輝かしい色彩をもった往時の絵画芸術と、冷たく灰色に染められた無彩色の死都は、それぞれがユーグの心情を具象化している。
 1988年12月、ベルギー王国フランドル語圏政府の給費で、かつてローデンバックも学んだゲントの大学に留学したわたしは、薄暗い曇天の日の午後に思いつきで列車に乗り、ブリュージュにむかった。はじめて訪れた往時のフランドル絵画の聖地は、灰色の石畳を冷たい霧が濡らし、クリスマス直前だというのに人通りの少なく細い路地にユーグの暗い背中が現れそうな、死の都そのもののように映った。しかし、ひとたび美術館に入るや、そこにはヤン・ファン・エイク、ハンス・メムリンク、ヘラルト・ダーフィトなど、色彩の光輝を発する珠玉の絵画が居並ぶ。まるで三連形式の祭壇画の、モノクロームの外翼を開くと現前する内翼のポリクロームがなす対比。ローデンバックが男やもめに語らせた死都の街路のありさまを彷彿させる、そんな霧にむせぶ冬の夕刻を自分が過ごしているということと、念願の絵画作品を眼前にしたことは、まだ25歳だったわたしにとっては至福のよろこびだった。
 繁栄を享受した昔日に等しく「北のヴェネツィア」という異名をとり、年間をとおして引きも切らない観光客を招き入れる商業都市となった現在のブリュージュには、少なくとも30年近く前までは残っていたモノクロームのくすんだ光を見いだすことはむずかしい。しかし、わたしは今も調査のためにブリュージュを訪れるさいには、すっかりくたびれた岩波文庫の『死都ブリュージュ』を持参する。15世紀のフランドル絵画とそれを生み育んだ時代。いにしえの絵画を近代的な美術史記述の俎上にのせた世紀転換期。ふたつの異なる時代にわたしを運びだすための手引き書として、ローデンバックの小説はわたしの手を離れることはない。

■次は、和田洋先生(生命環境系教授)です。