- 三科造形美術協会
- [読み]	さんか ぞうけい びじゅつ きょうかい
- [始年]	1924-
- [終年]	1924年
- [Y1]	1924年10月、三科インデペンデントの木下秀一郎が雑誌「みづゑ」で結成を呼びかけ、三科インデペンデントから木下、大浦周蔵、ブブノワ、渋谷修、アクション系から浅野孟府、神原泰、矢部友衛、吉田謙吉、中原実、岡本唐貴、マヴォ系から村山知義、柳瀬正夢、、二科会から横井弘三、日本画第一作家同盟から玉村善之助の計14名が大同団結して結成。無鑑査、無賞、無差別自由出品を目指す。正式には三科造形芸術協会。実際に結成された団体は三科を名乗るが、三科造形美術協会という名称が誤用されている。
- [Y2]	1925年の第二回展開催中に村山らマヴォ系の作家を中心に内在していた対立が顕著化し、解散
- [Y3]	1926年、村山派を除いて単位三科創立。一人一人を一単位として個人活動を行うとし、中原、玉村、大浦らが活動するが自然消滅(「近代日本美術事典」ほか参照)。
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