千々石城主千々石直員の子。有馬晴信の従兄弟かつ大村純忠の甥で
あったため、有馬・大村両家の名代に選ばれた。1580(天正8)年受洗、
ついで有馬セミナリヨに入学。温和な優しい性格であったとヨーロッパ
の記録に評されている。しかし、1601(慶長6)年にはすでに棄教し、
清左衛門と称していた。遣欧使節として華やかな前歴を有しながら、
晩年は不遇であったらしい。