逐語訳『原マルチノの演説』
*注1) * 1. 標題紙: ORATIO 演説 HABITA A 6)おこなわれた 5)によって FARA D. MARTINO Iaponio, 2)原 4)氏 3)丸知野 1)日本人 suo & socioru[m] nomine, *注2) * 自身 と 同僚たちの 名において cum ab Europa redire[n]t, 4)ときに 2)から 1)欧州 3)彼らが戻った ad Patre[m] 6)に対して 5)神父 Alexa[n]dru[m] Valignanu[m] 4)アレッサンドロ・ヴァリニャーノ Visitatore[m] Societatis IESV, 3)巡察使 2)会の 1)イエズスの Go{ae} in D.Pauli Collegio, *注3) * ゴアにて 2)で 1)聖−パオロの− 学院 pridie Non. Iunij, 6)前日に 5)ノーナエ(=上弦=5日)の 4)6月の Anno Domini 1587 2)紀年の 1)主の 3)1587年の ιηs*注4) * CVM FACVLTATE 3)のもとに 2)許可 Inquisitoru[m] &, Superiorum 1)検察使たちの− および−上長たちの GOAE*注5) * ゴアにて Excudebat 3)製作した Consta[n]tinus Dourat’ *注6) * 2)コンスタンチーノ・ドーラードが Iaponius 1)日本人 in {ae}dibus Societatis IESV. 4)で 3)建物 2)会の 1)イエズスの 1588 1588年に
2. 本文第一頁:NOn immerito, 2)ではない 1)無益に Reuerende admodum Pater, 2)尊い 1)とても 3)師父さま veteres celeberrimam illam 昔の人々が 2)極めて有名な− あの Gratiarum picturam 1)美の三女神の 3)絵を posteris ita effigiatam reliquerunt, 後世の人々に あのように−描いて 残したことは vt どのように描いてかというと pr{ae}cipuam in earu[m] vultu 3)著しい 2)には 1)彼女たちの−顔 hilaritate[m] oste[n]dere[n]t, 悦ばしさを 表現して & implexis manibus, そして 2)重ねて 1)手に手を chorum ad se 4)群像を 2)に向かって 1)自分たち自身 inuice[m] redeuntium exhiberent: 3)互いに− 再び寄り添っていく 5)表現している
qua icone sapientissimi mortales, その 図像によって 極く賢い 人々は & alta quada[m] mente pr{ae}diti また 2)高い 1)いくらかの 3)精神が−備わった者たちは duas potissimu[m] leges ふたつの 2)格別に 1)掟を innuere volueru[n]t, 示そうと するだろう qu{[a]e}*注7) * その掟というのは in conferendis, & accipie[n]dis 3)際には 2)授けられ− また−受け取られる beneficijs obseruari debent: 1)恩恵が 4)遵守される− べきものであって vt どのような掟かというと & conferentium vultus ひとつには 授与する者たちの 顔は hilares sint, 悦ばしく あるようにということ & post acceptum beneficiu[m] もうひとつには 3)後には 2)受け取った 1)恩恵を cum vsuris gratiarum ij, 6)と共に 5)利子 4)感謝の 1)彼ら qui acceperunt 3)者たちは 2)受け取った quamprimu[m] reuerta[n]tur. なるべく早く− 返済を果たすべきだということ
Beneficium tu quide[m] 5)恩恵を 1)あなたは−実に in nos contulisti 3)に対して 2)我々 6)施した ita magnum, & excellens, 4)このように−大きな− また−すばらしい vt どれほどの恩恵かというと eius ponderi, & magnitudini その 重さに また 大いさに対しては hac sola ratione 2)次のような 4)より他にない 3)思いを以って satisfacere posse videamur, 1)(感謝の意を)じゅうぶんに表すことが−できるのは 5)と我々は思う si tibi vni もし あなた ただひとりに lo[n]ge maioribus nominibus はるかに より大いなる 理由を以って qua[m]m ipsismet parentibus, *注8) * 2)よりも 1)他ならぬ− 親たち a quibus 2)からは 1)彼ら(=親たち) vita[m], & spiritum accepimus, 生命− と−精神を− 我々は受け取っているのだが obligatos nos esse fateamur. 2)感謝して 1)我々は 3)いる−と我々が表明したならば、と
Enimuero si Alexander というのも確かに もし アレクサンドロスが ille Macedonum Imperator, 2)あの 1)マケドニア人たちの 3)帝王が Aristoteli, アリストテレースに cui puer そのアリストテレースに 子供の頃に(アレクサンドロスは) informandus traditus fuerat, 教えを受けるために 預けられ たのだが no[n] minus 2)どころではないものを 1)より少なく se quam patri Philipo 1)自分は 3)よりも 2)父− フィリッポスに debere affirmabat, 負っている と語っていた quod a patre viuendi, というのも 2)からは 1)父親 3)生きることの(開始を) a pr{ae}ceptore bene viuendi 2)からは 1)師 3)良く−生きることの initium accepisset: 開始を 受け取ったのだから、と言って (そういうことだとしたら)
qua[n]to nos maiori iure なおさら 我々は より大きな 理由を以って decet hanc erga te 7)ふさわしい 5)この 2)に対して 1)あなた ingenuam grati animi 4)衷心からの 3)快い− 魂の confessione[m] vsurpare, 6)告白を− 述べることが (というのも) qui nos potissimum あなたは 2)我々が 1)特に熱心に ad eam orbis partem 4)に向かって 2)あの 1)地球の 3)部分(=ヨーロッパ) cu[m] legatione abire voluisti, 2)を帯びて 1)使命 3)旅立つことを−あなたは希望した ex qua, 2)からは 1)その場所 & bene viuendi legibus, かつは 良く 生きることの 典範を以って & pietatis obseruand{ae} normis かつは 敬虔を 尊ぶことの 手本を以って tanquam e fonte delibatis, あたかも 2)から 1)泉 3)享受したものを以って rudis a parentibus 5)粗野な者も 2)から 1)両親 natura data, 4)天性において 3)与えられた longe pulchrior, humanior, はるかに より麗しく より優しく ac limatior euaderet. かつ より洗練されて 帰ってくる*注9) *
3. 原典の文字表記をめぐる余談: 文字uとvについては、発音による書き分けはおこなわれず、小文字のとき は、語頭では常にv、語中・語末ではuが使用されている。大文字は常にVで あり、Uは使用されない。 16世紀までは、このような表記の慣習が、ラテン語のみならず、ヨーロッパ の諸国語について、ひろくおこなわれていた。 次の17世紀には、母音をuで、子音をvで表記するという、現代と同様の表 記法が、徐々に優勢になっていく。 その17世紀は、ラテン語が、国際語としての地位を近代諸国語に奪われて没 落していった過渡期でもあった。 Descartes, Rene. 1637. Discours de la methode. デカルト(落合太郎訳) 『方法序説』. 第17刷改版. 東京 : 岩波書店, 1967 (岩波文庫, 青613-1), p. 92: 「... また、私の教師たちの用語たるラテン語をもってせずに、私の国の言葉 をもって書くのは、古人の書物のみを尊信する人人よりも、全く単純な生得の 理性のみを活用する人人のほうが私の所説を正しく判断されるであろうと思う からである。私は良識を研究に結びつける人人をこそ私の審判者として仰ぎた いのであって、かかる人人は、私が俗用語をもって私の論旨を説明したからと て、それを聴くことを拒むほどラテン語を偏重しないであろうことを私は確信 する。」 同書、[訳者による]「解題」より, p.6-7: 「 ... ラテン訳は、幾何学の部分のほか、すべて神学者エティエンヌ・ド・ クルセル Etienne de Courcelles が担当し、デカルトみずから校閲した。... 著者は、当時としてはいわば英断をもって、『序説』をフランス語で発表した が(第6部末尾に近いところ参照)、やはり学者間の国際共通語の版をも必要 としたのであろう。」 Knight, David M. 1975. Sources for the history of science 1660-1914. D.M.ナイト原著; 柏木肇, 柏木美重編著『科学史入門 : 史料へのアプロ ーチ』. 東京 : 内田老鶴圃, 1984, p.10-11: 「 本書が扱う時代の範囲は, およそ1660年から1914年までである. ... これ らの学会誌は, それを発行する国の母国語で書かれるのが普通であった. ... ニュートンのきわめて深遠な『プリンキピア・マテマティカ(数学的原理)』, 1687年刊は, その意味では例外であったが, 一般に, ラテン語が, 1660年以後 比較的長期にわたって情報伝達言語としての役割を果たしたのは, 医学と植物 学に限られていた. ... ラテン語の知識は, ルネッサンスや17世紀の初期を扱 う科学史家にとっては必要不可欠であるが, それ以後の時代になると事情は別 である. 17世紀の前半では, 科学上の著作の大部分は, 母国語に翻訳されてお り, 後半になると, ラテン語で書かれた著書は姿を消してしまう.」
4. グレゴリオ暦: 天正少年使節がローマに向けて旅発った1582年、ローマ教皇グレゴリウス13 世は、2月24日の大勅書で、10月4日の翌日を15日とする、と宣言した。これが、 現行のグレゴリオ暦である。Catholic 対 Protestant の、血で血を洗う宗教 戦争の只中のヨーロッパで、キリスト教世界の「全体(‘ολοs)」「に対す る(κατα)」「普遍的な(καθολικοs)」総本山を自任するローマ法 王庁(curia Romana)が、「時」の秩序の規範を定め直した、という象徴的なで きごとでもあった。
注: *注1) 全訳は、泉井久之助訳「原マルチノの演述」: デ・サンデ(泉井久之助 [ほか]共訳)『天正遣欧使節記』雄松堂, 1969 (新異国叢書, 5) [210.5-Sh62-5] の巻末(pp. 699-712)に、付録として所収。 *注2) [m],[n]で表記した箇所は、実際の印刷紙面上では、直前の母音の上 に付けられた波形記号「〜」(superscript tilde)で表記されている(以下同 様)。 *注3) {ae}で表記した箇所は、実際の印刷紙面上では、aとeの合字 (ligature)。(以下同様)。 *注4) 標題紙の中央のイエズス会章の中に見える文字は、ラテン・アルファベット (ローマ字)の「ihs」ではなく、ギリシア文字の小文字で、「ιηs」。 ちなみに、「イエス・キリスト」のギリシア語表記は、 ’Ιησουs Χριστοs *注5) 初級文法等では、極く簡略にしか言及されておらず、活用表でも番外扱いの 「地格」(別名「位格」)(casus locativus)だが、図書の標題紙上では、出 版地の表示として、しばしばお目にかかることができる。 *注6) 「Dourat’」の末尾の「 ’」は、通常のアポストロフィではなく、 白丸に尾が付いた活字(数字の「9」にも似ている)。これは、初期刊本にし ばしば見られる特殊文字で、語尾の「us」をあらわす。 Von Ostermann, George F.: Manual of foreign languages. 4th ed. New York : Central Book, 1952, p. 165: 'Latin incunabula' の項を参照。 *注7) {[a]e}で表記した箇所は、実際の印刷紙面上では、eの下にフック (Polish hook)の付いた文字(hooked e)。 *注8) この 「qua[m]m」 は誤植。母音aの上の「〜」と、語末の文字 「m」の、どちらか片方だけあれば良いところを、重複して表記してしまって いる。 *注9) 本文の第1ページは、単語「euaderet」の冒頭の3文字、「eua」 まで。その次の行の右端に、つなぎ語(catch letters または catchword)の 「de−」を表示して、次の第2ページの先頭の、「deret.」へと続く。