幕末明治初期の英語入門書

安政5(1858)年の日米修好通商条約の締結によって、翌6年に箱館、横浜、長崎、新潟、神戸の5港が開港したが、これ以降英語関係書物の刊行が増加した。この傾向は慶応2(1866)年以降特に顕著になり、庶民の「横文字流行」に便乗した英語入門書は明治4〜5(1871〜72)年ころに発行のピークを迎えた。

こうした庶民を対象とした英語入門書には、外国の文字(ローマ字)の紹介を目的としたものや、絵入りの単語集、外国人との商売用の会話集などがあった。しかし、英語ブームに乗った形で出版されたこともあって、著者側に正確な英語知識がないまま作成されたものも多いため、英語教育の観点からの評価は低い。ただ、このような庶民向けの英語入門書が多数出版されているという事実は、当時の庶民の英語に対する関心・ニーズの強さを反映していると考えることができる。

ここでは、岡倉文庫の中に含まれているものを中心に、こうした庶民向けの英語入門書の中から興味深い資料を紹介する。


『童解英語図會』 (どうかい えいご ずえ) 初帙 PDF 二輯 PDF

弄月亭陳人抄撮、恵斎閑人図画 東京 文永堂、明治3(1870)年序 刊本

弄月亭陳人は条野採菊、恵斎閑人は浮世絵師・一恵斎(落合)芳幾である。条野採菊は、幕末期に一恵斎芳幾とのコンビで数多くの戯作を書いたが、維新後は芳幾らとともに「東京日日新聞」を創刊し、採菊散人の名で新聞小説を書いた。また、落合芳幾は錦絵新聞の作者として著名である。
本書の作者のように、時代の変化にしたがって戯作→通俗語学書→新聞と活動の場を変えていった事例は、当時の庶民層の要求を考える上でも示唆に富む。英語のヨミや訳語については誤りもあって、英語学習書としての質は低いといわざるをえないが、英単語を覚える上では芳幾の絵が大きな役割を果たしたであろう。


『西洋画引節用集』2編 (せいよう えびき せつようしゅう) PDF

井上廉平輯、長谷川貞信画 大阪 大野木市兵衛、明治5(1872)年序 刊本

本書はイロハ引の絵入り単語集であるが、明治4年に出版された『袖珍英和節用集』(吉田庸徳著)に準拠して語を抜粋し、それに絵を加えたものである。


『英和書翰』 (えいわ しょかん)

日高実広著、ワクマン氏閲 大阪 田中九兵衛(製本売捌)、明治5(1872)年刊

上段に和文書翰、下段にその英訳が配されている。新年慶賀、観桜の誘い等、日常よく使用される64の文章例が収録されている。


『和英商話』 (わえい しょうわ)

Eugene M Van Reed著 横浜 師岡屋伊兵衛、文久2(1862)年刊

和文の序があり「ウエンリイト」と記されている。商業英語を習得しようとする者のために作られた会話書。英文とその発音(カタカナ)、逐語訳、和訳というスタイルをとっている。


『英文熟語集』 (えいぶん じゅくごしゅう)

小幡篤次郎識、小幡甚三郎纂輯 江戸 尚古堂、慶應4(1868)年刊

著者である小幡篤次郎とその弟甚三郎は、ともに慶応義塾で英学を修めた。篤次郎は開成所英語助教授、慶應義塾長、学士院会員などを歴任し、『時事新報』の創刊にも携わった。本書は日本で最初の英和熟語辞典である。底本は『英和対訳袖珍辞書』、『ウェブストル氏字典』『華英字類』であると記されている。訳も正確であり労作である。


『商賈外和通韻便寳』 (しょうこ がいわ つういん べんぽう)

巻菱湖書、小原竹堂校 東都:丸屋徳造、安政7(1860)年序

序題は『和英接言』。イロハ・数字・英単語・時計の読み方等を、ローマ字、英語、カタカナ等を交えながら記すもの。
本書は後に土佐海援隊蔵版として『和英通韻伊呂波便覧』の書名で慶応4(1868)年3月に翻刻されたが、これは跋文を除く等いくつかの変更を加えつつ本書をかぶせ彫りしたものと考えられている。なお、海援隊隊長であった坂本龍馬は慶応3(1867)年11月に暗殺されているので、海援隊が翻刻出版した時期にはすでに世を去っていたが、海援隊の活動の方向性を示すものとしても興味深い。


岡倉文庫について

岡倉文庫

東京高等師範学校教授岡倉由三郎の旧蔵書2,417 点から成るコレクション。昭和15(1940)年9月受入。岡倉教授の兄は美術界の先覚者、岡倉天心である。岡倉文庫の内容は英語・ラテン語・朝鮮語・英文学等、多くの分野にまたがっており稀書も多いが、特に幕末から明治初年にかけての英・独・仏・蘭語の学習書や辞典は貴重である。

岡倉由三郎 おかくら-よしさぶろう(1868〜1936)

明治〜昭和前期の英語学者。慶応4(1868)年2月22日横浜生まれ。岡倉天心の弟。帝国大学文科大学(東京大学の前身)選科に入学、得業士の学位を得て卒業。明治30(1897)年高等師範教授となり,福原麟太郎らをそだてた。大正14(1925)年からわが国ではじめてラジオの英語講座を担当。また市河三喜とともに「英文学叢書」を監修し,「新英和大辞典」を編集した。昭和11(1936)年10月31日死去。
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Last updated: 2011/02/08