こうした庶民を対象とした英語入門書には、外国の文字(ローマ字)の紹介を目的としたものや、絵入りの単語集、外国人との商売用の会話集などがあった。しかし、英語ブームに乗った形で出版されたこともあって、著者側に正確な英語知識がないまま作成されたものも多いため、英語教育の観点からの評価は低い。ただ、このような庶民向けの英語入門書が多数出版されているという事実は、当時の庶民の英語に対する関心・ニーズの強さを反映していると考えることができる。
ここでは、岡倉文庫の中に含まれているものを中心に、こうした庶民向けの英語入門書の中から興味深い資料を紹介する。
弄月亭陳人は条野採菊、恵斎閑人は浮世絵師・一恵斎(落合)芳幾である。条野採菊は、幕末期に一恵斎芳幾とのコンビで数多くの戯作を書いたが、維新後は芳幾らとともに「東京日日新聞」を創刊し、採菊散人の名で新聞小説を書いた。また、落合芳幾は錦絵新聞の作者として著名である。
本書の作者のように、時代の変化にしたがって戯作→通俗語学書→新聞と活動の場を変えていった事例は、当時の庶民層の要求を考える上でも示唆に富む。英語のヨミや訳語については誤りもあって、英語学習書としての質は低いといわざるをえないが、英単語を覚える上では芳幾の絵が大きな役割を果たしたであろう。
本書はイロハ引の絵入り単語集であるが、明治4年に出版された『袖珍英和節用集』(吉田庸徳著)に準拠して語を抜粋し、それに絵を加えたものである。
上段に和文書翰、下段にその英訳が配されている。新年慶賀、観桜の誘い等、日常よく使用される64の文章例が収録されている。
和文の序があり「ウエンリイト」と記されている。商業英語を習得しようとする者のために作られた会話書。英文とその発音(カタカナ)、逐語訳、和訳というスタイルをとっている。
著者である小幡篤次郎とその弟甚三郎は、ともに慶応義塾で英学を修めた。篤次郎は開成所英語助教授、慶應義塾長、学士院会員などを歴任し、『時事新報』の創刊にも携わった。本書は日本で最初の英和熟語辞典である。底本は『英和対訳袖珍辞書』、『ウェブストル氏字典』『華英字類』であると記されている。訳も正確であり労作である。
序題は『和英接言』。イロハ・数字・英単語・時計の読み方等を、ローマ字、英語、カタカナ等を交えながら記すもの。
本書は後に土佐海援隊蔵版として『和英通韻伊呂波便覧』の書名で慶応4(1868)年3月に翻刻されたが、これは跋文を除く等いくつかの変更を加えつつ本書をかぶせ彫りしたものと考えられている。なお、海援隊隊長であった坂本龍馬は慶応3(1867)年11月に暗殺されているので、海援隊が翻刻出版した時期にはすでに世を去っていたが、海援隊の活動の方向性を示すものとしても興味深い。