江戸時代に入り社会が安定するにしたがい、まず上方を中心に、
それまでの仏典や漢詩文に限らず、源氏物語や平家物語などの文芸書から、
節用集や往来物といった実用書にいたるまで、
幅広い分野にわたる活発な出版活動が始まった。
また、書物の需要が飛躍的に増加するにともない、
一字ずつ活字を拾う活版印刷よりも、
より手軽で安上がりな木版印刷の版本が再び注目され、
出版の主流を占めるようになった。
江戸時代を通し約六千軒の出版業者、いわゆる板元が活躍し、
17世紀末の京都では、すでに一万点に近い書物が出版されている。
江戸時代中期になると出版の中心は上方から江戸に移り、
多色刷り木版など、わが国独自の精巧な整版技術が工夫され、
高い水準の出版文化が生み出された。
一方、明暦3年(1657)に始まる幕府の出版規制は、享保、寛政、
天保と続く三度の改革で強化されたが、幕末の変動期になると、
規制の網をくぐり、黒船の来航や各地の災害などを伝える瓦版が出版され、
揺れ動く世相を風刺した。
二巻二冊 寛永20(1643)年 中村宗道菴刊
![『伊勢物語』の図](/exhibition/jyousetu/nihon/ise_icon.gif)
嵯峨本の同書(慶長14年版)を底本とした整版本。近世初頭、『伊
勢物語』は最も親しまれた古典文学で、嵯峨本に基づく諸版が相次い
で刊行された。
二巻二冊 [寛永年間(1624-1644)末頃]刊
![仁勢物語の図](/exhibition/jyousetu/nihon/nise_icon.gif)
仮名草子。『伊勢物語』の絵と本文を忠実にもじった擬物語(パロ
ディ)。近世の出版ブームを背景とした『伊勢物語』の飛躍的な普及
が、そのパロディの出現を促した。
一巻一冊 〔菱川師宣画〕 天和2(1682)年 三河屋七右衛門刊
東叡山は寛永寺(上野)の山号。師宣は江戸初期の画家で浮世絵の
確立者。寛文頃より挿絵画家としても活躍し、百五十種以上の絵本、
挿絵本を残した。
三巻一冊 万治2(1659)年 伊藤三右衛門刊
![『絵入伊曾保
物語』の図](/exhibition/jyousetu/nihon/isop_icon.gif)
『イソップ物語』の邦訳本。絵入本では最古の版。展示頁の絵は、
「蟻と蝉の事」(近代の訳本では「アリとキリギリス」)の挿絵。
序図一巻(本文四巻欠)一冊 杉田玄白訳 小田野直武画 〔安永3(1774)年〕 須原屋茂兵衛刊
![『解体新書』の図](/exhibition/jyousetu/nihon/kaitai_icon.gif)
ドイツ人クルムスの『解剖図表』オランダ語版(1734)の漢訳。江戸
の蘭学勃興のきっかけとなった記念碑的著作。挿図は蘭画家小田野直
武が原著および他の西洋医学書から模写した。
二巻二冊 大槻玄沢著 天明8(1788)年
オランダ語の入門書。著者の玄沢は杉田玄白の門人。蘭学の手引書
として後世に大きな影響を及ぼした。
全九輯九八巻百六冊 曲亭馬琴著 柳川重信等画 文化11(1814)年−天保13(1842)年
![『南総里見八犬伝』の図](/exhibition/jyousetu/nihon/satomi_icon.gif)
馬琴の代表作となった読本の大作。二八年にわたって書き継がれた。
売価は五冊あたり約二十匁(約四万円)。一般の庶民は貸本屋を通し
これを愛読した。本書は天保以降の後刷。
二巻四冊 川原慶賀画 前川善兵衛刊
![『草木花実写真図譜』の図](/exhibition/jyousetu/nihon/hana_icon.gif)
川原慶賀は長崎の絵師。出島への出入を許され、シーボルトの求めに
応じ多くの植物画、肖像画、風俗画を描いた。本書は『慶賀写真草』
上下二冊(1836)の版木に手を加え、明治期に刊行されたもの。
二巻二冊 福沢諭吉著 慶応2(1866)年 尚古堂刊
幕末期に欧米各国を巡歴した体験をもとに、政治・経済全般にわた
って各国の事情を紹介したもの。同じ著者の『西洋事情』や『学問の
すすめ』は、幕末明治期のベストセラーになった。
次のコーナー(文明開化と出版大国)へ
展示室へ
戻る
図書館のトップページへ戻る